ガンジーの眼鏡

ガンジーが掛けていたメガネが3600万円で落札されたとニュースで報じていた。きっとメガネはいくつかあるのだろう。前にもそんなオークションで出たことがある。それと、ガンジー記念館を以前見たが、その中にも展示されていた。

 いまから11年前にインドに行ったとき、わたしは自分の土産にインド更紗とガンジーの掛けたような丸い真鍮の細い縁のメガネが欲しいと、ニューデリー中の眼鏡屋を見つけるたびに入って見た。だけど、現代風の日本でも売っているようなモダンなものよりなかった。インド更紗もどこにもなく、案内されて行ったところはシルク屋ばかりで観光客に買わせようと、うるさいくらいだった。更紗自体がプリンティングコットンと言っても通じない。なんと説明したらいいのものかと電子辞書から見せたりしたがダメだった。

 そのときのブログからコピーしたのが下記の文で、2009年3月初旬のもの。


 博物館からオートリキシャでガーンディー記念博物館に行く。これで市内観光は終わりだ。リキシャマンは、入口で待っているという。暑いし喉が渇いたので、アイスクリーム売りから買って舐めた。やたらと甘い。

 マハトマ・ガンジーが暗殺された場所が記念公園として資料も展示していて一般開放している。昭和二十三年の殺された日のガンジーの足跡が、そのまま足跡として歩いた道筋に続いている。その足跡が芝生の中ほどで、突然ふつりと切れる。そこが凶弾を受けて倒れた場所なのだ。慰霊碑が建っている。

 先ごろ、ガンジーの眼鏡とサンダルがオークションで高額で落札されたというニュースがあった。そうした遺品も展示されている。

 ガンジーのような丸い縁の眼鏡が欲しいと、この数日、眼鏡屋があれば入って覗いた。真鍮でできたような昔の縁はなかなか売っていなかった。眼鏡が合わなくなったのと、縁が折れかかっていたので、インドで新しいのを作ろうかと考えていた。だけど、視力の検査で、ヒンドゥー語ばかりの表を見せられても、「読めません」だ。


 いまから思えば、そういうものは骨とう品店で探すべきだった。ただ、怪しい市場にあるような骨とう品は観光土産用に造られている偽物が多いらしい。うまく年代物のように作っている工房をテレビで見せてもらった。パリの蚤の市のクリニャンクールなんかは、すっかりとそういうものと、わたしも一度騙されて買ったことがある。ジャカルタにも骨とう品店が200店並ぶエリアがあり、そこで古いバディックを探したが、買い集めていれば、みんなが寄ってきて怪しげなものを高くふっかけようとする。鍵の古いのも交渉したが、下げないので買わなかった。トンボ玉も古いものと並べていたが、帰ってから文学仲間の女史が、ねりものと偽物を掴まされたことを知る。やはり古本屋は古本だけでいい。門外漢が、専門以外のものに手を出したら火傷する。

 考えてみたら、ガンジーの丸メガネは当時は普通に売られていたものだろう。東条英機も掛けていた。昭和天皇も掛けている。作家では坂口安吾も、画家のレオナルド・フジタも。先ごろ、わたしはメガネを壊して、新しいものを買ったときに、クラシック調というコーナーがあって、そこの黒縁の丸メガネを買って、いま掛けている。真鍮なんかどこでも売っていない。やはり骨とう品店をマメに見て探すよりないだろう。


 古本が好きと商売を始めたのではなく、その前から、古いものが好きで、かといって骨董趣味ではなく、値打ちなんか判らない。そのものの価値がどうのというお宝鑑定はどうでもいいのだ。自分の身につけ、部屋に飾っておいて見て楽しむガラクタでいい。それで若いときから大阪の日本橋近くのガード下に露店であった古道具屋をよく覗いて歩いた。青空店舗で、きっと違法なのだろうが、ガラクタばかり並べて売っていた。その中で大正時代の扇風機や柱時計を安く買ってきて、四畳半の部屋に飾っておいた。昔のガラス瓶も集めていた。洋酒からビール、ワインから色の綺麗な保存ビンなど、部屋にずらりと並べていた。古い地図も好きで集めたりしていた。みんなどこかに売った。消防団の刺し子の半纏もあった。ずしりと重い加古川消防団と襟に書かれていた。それにジーンズがよく似合う。古本屋の帳場ではそれを冬は着て座っていた。

 だから、メガネも古いほうがいい。昭和初期の臭いのするデザイン。自分に似合うかどうかは別として、古いものはいまでも好きで、捨てているものの中から探したりしている。