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【5年目以下療法士対象】情報収集や研究における疑問の考え方(PICOの観点から)(質問会動画付き)

情報の収集や研究の実施において、非常に重要なファクターになるのが、Clinical Question(臨床上解決する必要がある・したい疑問)とその思考過程となる構造化の方法,所謂PICOが重要になります。本ノートではClinical Questionについて説明し、実例を挙げて具体的なPICOの実際についても述べていきたいと思います。【目次】            

1. Clinical Questionとは?

2. 情報収拾について

3. 情報収拾におけるエビデンスの評価

4. 情報収拾における批判的吟味の必要性

5. 研究方法の立案

6. まとめ

1.  Clinical Questionとは?

 Clinical Questionといえば、「臨床上解決する必要がある・したい疑問」ということです。研究においては、Research Questionと呼ばれる場合もありますが、我々が多く関わる臨床試験では、臨床の疑問を臨床というステージで解決することが求められるので、多くの場合でClinical Questionと呼ばれることが多いです。さて、「研究したい、しなければならない」という「研究」という動機が先立ち、「Clinical Question = どんな研究をしよう」と、研究を実施することが目的となり、Clinical Questionを考えようとされる方が少なからずいらっしゃいます。これは一言で言うと、「研究のための研究」と揶揄され、手段が目的となっている本末転倒の典型的な例といえると思います。つまり、研究はあくまでも普段の臨床で解く必要がある問題を解決するための手段なので、研究を行うためにClinical Questionを考えるなど、例え結果が出たところで、全く意味がないことなのです。

 さて、それではどのようにClinical Questionが生まれることが理想的なのでしょうか。ただ、意識されにくいのですが、実は多くの臨床家がClinical Questionというものを無意識に抱えているものなのです。というのも、臨床家は日々の対象者との関わりの中で、多くの情報検索を実施しています。例えば、疾患の特徴・病態、リスク、経過、予後、病態に対するアプローチ方法、本当に多くの情報を検索しています。実はこれらの全てがClinical Questionに繋がる可能性を持っている「臨床上の疑問」ということになります。ただし、それが研究にまで発展しない理由があります。それはどうしてなのか?というと、既に先人達が研究などを通して、その問題の解決し、それらの知見を多くの教科書や論文などに記しているからです。私たち後進者は、先人が残してくれた多くの知見で臨床の問題を解決することができるのです。ただし、私たち療法士が関わるリハビリテーション科学の領域は、思いの外解決されていない問題が多数あります。また、ここ最近の10-15年の間に、目覚しい勢いでエビデンスが構築されたり、周辺を取り巻くテクノロジーの発達により、一旦は問題が解かれたものの、今再び大きな問題になっているファクターも少なからず存在することが現状です。

 これらの「未だ解かれていない問題・再び解かなければならない問題」これらは全て、Clinical Questionというものとなるのです。しかしながら、その全ての問題を疑問とし、研究を履行していけば良いか?というと話はまた別になります。例えば、療法士が臨床で感じた疑問が非常にニッチな分野のものであり、世の中の多くの方々が例えその問題が解けたことがあったとしても、その疑問の解決に多くの方が共感しない限り、仮に解決したとしても使えない知識となる可能性が多いのです。つまり、研究によって導き出された解決方法は、全て等価であるという性善説的な前提はあるとしても、やはり使われることなく、衰退し古くなる知識は、ないも同然ということになります。よって、自らが臨床において「解決が必要」と捉えた問題が、社会にとって共通の問題点であるのか、この問題が解けた際に、多くの臨床家・対象者の方々がこの知見を使うことで、少しでも幸せに近づくことができるのか、このような視点を常に持ち続けることが重要です。どうして、このようなことを言うのかと言うと、臨床研究は対象者の方の協力がなければ絶対に実施できません。つまり、対象者の方の個人情報を使い、世の中の問題を解く行為なのです。ですから、対象者の方の個人情報を暴露しておいて、結果、その暴露情報が誰からも見向きされない、使われないとなるとこれは完全に研究者のエゴイズムや自己満足の範疇を超えないと言うことになります。マーケティングと個人情報の観点は、Clinical Questionを考える上での「研究倫理」の問題にあたるので、これ以上深くは語りませんが、研究を志す際には非常に大切な心構えとなることは言うまでもありません。
 それでは問題点を感じてから、情報収拾、そして問題点を構造化する過程について、実際に私たちがどのような経過を辿って、研究疑問を生成したのか、具体的な研究内容を踏まえて説明を行ってきます。

2. 情報収拾について

 まず、臨床で働いていると多くの問題点に遭遇します。その際に、その問題を解決するための情報収拾を皆さん確実に行っているはずです。それはどのようになされているのでしょうか。もっとも簡単な情報収拾の仕方はネットの情報です。検索サイトで疑問に思っているキーワードを入力して、それに関連するブログなどから情報収拾をされることもあるかもしれません。ただし、ネットの情報は玉石混合です。それは、ネットに情報を上げる際には、情報に確からしさ(妥当性)を担保するための仕組みが存在しないからです。例えば、ブログなどは、ネットワークに接続できる端末(PC、スマートフォン等)さえあれば、それだけでどんな文章だってあげることができるのです。
ですから、中にはフェイクニュースと呼ばれる情報もたくさん混じっています。また、文章を書いた人間も匿名だったり、名前を名乗らなかったり、身元の特定が不十分な筆者が書いた情報がほとんどです。このように、「情報に責任を持つ必然性」が低くなると基本的に情報の妥当性は低くなります。ですので、基本的にはネットの情報を鵜呑みにすることはありません。と言うよりも、ほぼ信じません。また、極たまにネットの情報でも引用文献が記載されている情報なども散見されます。それらについては、必ず一次情報まで遡り、ソース(論文やデータを提示している省庁など)の妥当性を確認したのちに、その情報の受領を決定すると言う流れになります。

 それでは、これらネットの情報よりも、どのような情報が、妥当性が担保されているのでしょうか。それは、私が考える中では、「筆者の氏名・所属が明記されている」、「第三者かつその分野の識者がその内容の妥当性を確認している」媒体と言うことになります。これらが記載されることで、情報が間違っていた場合にダイレクトな批判が複数の人間に対して矛先が向くので、飛躍的に情報の正確性が上がることが考えられます。これらの条件を満たす専門領域における媒体が「学術論文」と言う形になります。「論文は研究業績が欲しく、出世することに興味がある人が書くもの」と根拠のない揶揄をされることはありますが、全くの誤解です。論文こそ、臨床の問題を解くために先人たちが取り溜めた知識であり、財産であり、臨床の説明書である、と言うのが基本的な考え方です。

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