「家に帰りたい」を叶えたい
病院勤務時代、たくさんの緩和の患者さんと出会い・別れを繰り返してきました。
「死ぬのが怖い」といつも1人になることを恐れていた方。最後に出来ることを考え行動に移していた方。身体の変化についていけず「死なせてほしい」と懇願してきた方。
そして、この先の未来を私に託してくれた方がいました。
その方は60代後半の女性でした。とても髪が長く、部屋を訪れるといつもブラッシングしていました。若い頃から長い髪だそうです。「旦那さんがね。長い髪が好きだって言ったから。」そう言って、無口なんだけど優しいの!といつものろけ話をしてくださいます。
私はその頃夫婦仲がうまくいかず悩んでいました。
私「そんな風に旦那さんを想えるってうらやましいです。」
Pt「私も若い頃は悩んだわよー。だけど今は愛しいと思える。毎日いつ会いに来てくれるんだろうとワクワクするわ。綺麗にしなきゃ!って思うの。あなたも女を忘れちゃだめよ。髪も伸ばしてみたら?」
私「お手入れが大変なんで・・(汗)考えてみます。」
また別の日は
私「今、緩和薬物療法認定薬剤師を目指してるんです。」
Pt「あなたみたいに若いといろんなことにチャレンジできるのね!元気もらえるわ!」
こんな感じで薬の話よりも、人生相談に乗ってもらうことの方が多かったと思います。
ある日、いつものように部屋を訪れると「今日の私、変なの。じっとしていられない。なんだかソワソワして。気持ちも落ち着かない。旦那さんに電話したけど、夜にしか行けないって。ああ。どうしたらいいの。」普段の笑顔は消え、ずっとウロウロしているのです。
私は『アカシジア』を疑いDrに報告。クロナゼパムを内服してもらいました。薬が効いたのか症状はすぐに治まりました。しかし、またあんな事になるのではないかと不安がるようになったのです。
その日以来、旦那さんがそばにいないとダメになってしまいました。旦那さんがいないと小さな子どものようにダダをこねるのです。身体の調子が悪くなってきているのも、目に見えてわかりました。
「もう入院はいや。命が長くないのはわかる。最期は旦那さんと暮らしたあの家に帰りたい。あの人のそばに居たい。」
旦那さんは仕事をしており日中はいない時間があります。患者さん本人はオピオイド持続皮下注にて疼痛コントロール中。
オピオイドの処方もできる在宅のDrが必要。日中のフォローができる訪看さんやヘルパーさんが必要。そして持続皮下注の対応ができる薬局薬剤師が必要。けれど自宅療養を許可したくても、在宅でフォローできる体制がすぐに見つからないのです。
「どうして!?自分の死に場所も決めれないの?」なかなか決まらない退院に苛立つ患者さん。私はごめんなさいと言うしかありません。事情もわかるのか少し落ち着いて彼女は話してくれました。
「ねえ。お願いがあるの。いつか私のように家に帰りたいって人の願いを叶えてほしいの。いつも頑張ってるあなたならできる!」
その数日後、どうしても家に帰ると自宅へ退院して行かれました。持続皮下注は継続できないので中止。内服も厳しい状態だったので、定時薬はなし。それでもいいと納得されていました。もう自立歩行はできず、車椅子にやっと乗っているといった状態でした。病院を後にする時、私に手を振ってくれました。会話は無理でした。この数日で崖から落ちるように体力が無くなったのです。
自宅に戻られて何日後かに亡くなられたと連絡がありました。ほんの少しの時間でしたが家に帰れてよかったと思うと共に、最期は痛みで苦しんだのではないかと心が痛みました。
その後、私は無事に念願の緩和薬物療法認定薬剤師になりました。それまでの道のりが苦労の連続だったこともあり、自分に出来ることは何か?を考えるようになったのです。
病院には緩和の専門医も看護師もいる。痛みもほぼコントロールできる。みんな優しい。申し分ない。けれど、それでも、家に帰りたいと願う人がいる。
『在宅でも緩和医療を受けれるようにしたい』
この方だけでなく他にもたくさん「家に帰りたい」と願う人達がいました。でも叶えられなかった。これが私の在宅に進んだ原点であり、原動力なのです。
彼女と約束したから。
あの日以来私は髪を伸ばしています。
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