森ビヨの感想混じり考察(大ネタバレ)
みなさん、HELLO ! PROJECT所属グループBEYOOOOONDSの主演舞台、「演劇女子部 眠れる森のビヨ」観られましたか?
この文章を読んでくださっている方は既に観劇済み、または配信視聴済みかと思います。
万が一、観ていないビヨヲタ、ハロヲタの方がいたら是が非でも観ていただきたい。いやヲタクでなくてもこの地球に住んでいる限り観ていただきたいです。秋頃商品化が決定しております。
そして未観劇の方は絶対にここで読むのをやめてください。難しいとは思いますができる限り無知識で観てください。
前置きはこの辺りにして、これは森ビヨ視聴直後のヲタクによる、拙い考えを思うままに書き綴っただけの文章のため大変読みづらい事を先ず伝えておきたいです。どうか寛大な心でお願い致します。
では本題に入ります。
初めに、この考察は目が覚めるまでの登場人物(現実のヒマリ以外)が全員ヒカルの記憶に基づいて、ヒカルの意志を反映して動き存在している事を前提に進めます。(ここもたくさんの解釈があると思うので)
ヒカルの中で生きている人達
夢の中のヒマリと演劇部員は、ヒカルの中にある天使と悪魔のような存在ではないでしょうか。
夢の中の同級生ヒマリは、現実のヒマリが見舞いに来て話しかけている事(ピッピッという音が鳴っている時に喋っているのが本物のヒマリ?)を無意識下で認識した、生きなければならないというヒカルの気持ちの具現化。
一方夢の中の演劇部は夢で皆と過ごし続けたいというヒカルのもう1つの気持ちを具現化した存在。
夢で生きるみんなはヒカルの記憶を元に存在するため本物に限りなく近いでしょうが、参考になる記憶が小学生で止まっている、そして唯一現実世界に生きているヒマリは、現実と夢の中で差がある可能性が高いです。
(実際、病院で眠るヒカルに語りかけるヒマリや目覚めた後話すヒマリは穏やかで、夢でのヒカルに突っかかってくる性格とは違って見えた)
そしてヒマリと対になるツムギもまた、記憶よりヒカル自身の想いが大きく介入しているように感じたため、ここではツムギの存在について2パターンの考察をしてみました。
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①ツムギ実在パターン
ツムギは実際に演劇部に存在していた。そしてツムギがヒカルと最後に会話をした演劇部員だった。ツムギとの最期の「これ、夢だよね?」「夢なら、よかった…」という会話がヒカルの心に残り続け夢の中で演劇部と幸せな日々を過ごすことになる。最後に会話をした相手であるツムギが夢に居続けたいヒカルの想いを最も強く表し、夢を終わらせないように行動する。
ヒマリの「その子はあなたを連れ去りたいだけ!」は、「そこに居るのはヒカルを夢に留まらせたいだけのツムギであなたの知っているツムギではない」という意味。
②ツムギは本当は存在しなかったパターン
ツムギという存在は現実には居なかった。夢であって欲しいというヒカルの強い気持ちが作り出したもので、バス事故の時に生み出されたため事故の記憶に存在している。夢に居続けたいヒカルの想いそのものであるため、当然夢を終わらせないように行動する。
大会が終わったら引っ越しをするのは、事故さえ起きなければツムギの存在はなくなり、元の10人の演劇部による本当の意味での現実の続きが出来るから。
ヒカルの想いそのものであるためヒマリの事も見えている。
ヒマリの「その子はあなたを連れ去りたいだけ!」は、「ずっと一緒の仲間なんかじゃない、あなたを夢に留めるために作り出された存在でしょう」という意味。
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ツムギが実在していてもしていなくても、本人の意思が色濃く反映される夢の世界であそこまでヒカルを引き留めようとしたという事は、それだけヒカルは夢の中に居たい気持ちが大きかったのではないかと思います。
夢の世界がどこまで記憶に基づいた事実でどこまでがヒカルの想いによるものかは分からない。けれど、眠れる森の美女でツムギ演じるカラスの遣いがヒカル王子を殺す台本を書いたのは、いっそ僕も殺してみんなの所に連れて行って欲しいという願いを暗に示しているように感じました。
「やっと気づいた 僕は今 生きてる」も生きている嬉しさなんか微塵も感じられない、取り返しのつかない選択をしてしまった絶望や後悔のように聞こえます。
夢は必ず覚める
今も演劇部の夢を見続けるヒカルですが、それまでの夢と知らずに(自覚しないように)ただ楽しく過ごしていた世界と、終わりのある夢だと知りながら過ごす世界は全く違うもので、もう純粋に楽しくみんなと過ごす世界には二度と戻れなくなってしまった事になります。
現実では演劇部みんなの分まで生きるという重圧と孤独、夢では終わりを知って純粋には楽しめない、そんな世界は果たしてヒカルにとって幸せでしょうか?
それでは逆にあのまま眠り続け現実から目を逸らし逃げ続ける世界は本当に幸せと呼べるのでしょうか?
ヒカルは眠り続ける選択をしていたとしても、またどこかで違和感を覚え、いつか必ず目を覚ますことを選んでいたのではないかと私は思います。
どちらが天使か悪魔だったかは誰にも、ヒカル本人にすら分からない。せめて現実のヒカルにまた新たな幸せが、生きてよかったと思える日が来る事を、第三者としては軽率ながら願いたくなってしまいます。何が幸せか何が正解か、そもそも正解なんて存在するのか改めて考えさせられる舞台でした。
最後に
ヲタクによる考えを放出したかっただけの軽薄文章で申し訳ない限りです。また、これは本当に一意見であり、私自身次観る時には全く別の考えになる可能性がある事を断っておきます。
このグダグダ長文をここまで読んでくださって本当にありがとうございます。