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私のバースレビュー・そして母乳記念日

3日前の9月9日、私は母親になった。
ずっとずっと待ち侘びていた出産の日。
予定日をがっつり超過して41週と4日で我が子に会えた喜びは、半端ないものだった。
泣き声だけで自分の子だとわかる不思議。他にもかわいい赤ちゃんがたくさん並んでいるのに我が子が1番可愛く思える不思議。妊娠してから初めて感じることが多かったが、出産してからも初めて感じる感情や気持ちがとても多いのに驚いている。

バースレビューという言葉がある。
どちらかというとバースプランの方が世間には知られているかもしれない。
出産という、人生でそう多くはない経験をより素晴らしいものにするために、どんなお産にしたいか事前に考えて打ち合わせをして臨み、また、少しでも良い出産だったと思って前向きに育児に取り組めるよう振り返りをする試み、それがバースプランとバースレビューだ。
SNSのマタニティーアカウントは「出産レポ」という言葉で出産を振り返っている方が多い。すごくためになるし、臨月に入ってからは私も毎日のように出産レポを読み漁っていた。私は総合診療医なので(?)振り返りが大好きだ。振り返りはすごく大事だと思っている。なので、今回は出産レポからまた一歩踏み込んで、バースレビューを行ってみたいと思う。

とはいえ、コロナ禍で、しかも総合病院での出産。バースプランもバースレビューも病院からは何も言ってこない。適当にインターネットでバースレビューの項目を調べたので、それに沿って1人で勝手に振り返っていく。(ちなみに私のバースプランが唯一あったとすれば「精神安定のために夫の匂いが染みついたTシャツを持ってお産に挑む」だった。)

●まずどんな出産だったかを簡単に振り返る
予定日を1週間超過して、予定日超過妊婦として分娩誘発のために41週1日で入院。
入院後に子宮口を開くためにバルーンを挿入して2日間待機し、入院3日目に内服薬の陣痛誘発剤を飲んだ日の夕方に陣痛が始まった。前駆陣痛なのか本陣痛なのか様子を見なければわからないね〜という助産師さんの反応だったが、たまに10分以上に遠のくことはあるものの基本的には一晩中、5分前後の陣痛が続いた。夜勤帯は病院側の人手も少なく、夜の間は基本的に1人で耐えた。上手に呼吸もできずいきみ逃しもできず、体力をかなり消耗した状態で朝を迎えてしまった。夫のTシャツはこの陣痛中ずっと手に持って合間合間に嗅いでいた(笑)あれがなかったらもっと早い段階でパニックになっていたと思うので準備してよかった。
次の日、点滴の陣痛誘発剤も開始になり、朝から強まる一方の陣痛に耐え続けたが、夕方になっても胎児の頭が降りてこず、分娩遷延のため緊急帝王切開になった。
産まれた子はもともと平均より大きめ+正期産ぎりぎりまでお腹の中にいたということもあり、3630gと大きめに産まれてきたが、大きな問題もなく元気そうでよかった。

●産前のイメージと比べての、自分のお産の感想
事前に誘発分娩うまくいかない→帝王切開での出産、までイメージしていたのでそんなに抵抗はなかった。むしろ陣痛がヤバすぎて、いつもの自分ではいられないことが怖くて(獣みたいに呻いていた)、もう早く産みたい!お願い、お腹切って取り出してください!と思った。あの陣痛はもう経験したくない・・・けど、イメージと全く違うお産になったということはなかった。

●お産の時に感じていたこと、考えていたこと、頑張ったことなど
とにかくどんどん強まる陣痛が恐怖だった。一方でどんどん体力は消耗していき、足も手も震えながら声にならない声を発している時間が約24時間続いたのは本当に辛かった。夜間の1人の時間と比べて、日中になってからは1人の助産師さんがずっと付き添ってくださったので精神的にはとても助けられた。正直自分が想像していた以上の痛みで、想像していた以上の状態になっていたので、夫がいなくて本当に寂しかったけど、大好きな夫にあの姿は見られたくないとも思った。
お腹の子と会うための陣痛なので「もう無理」とか「逃げたい」「助けて」は言いたくないなと思っていて、実際、それらの言葉を発することは我慢できた。

●お産に対してのわだかまりはあるか
何よりも立ち会い出産ができなかったこと。上にも書いたがあの姿を見られたくはなかったなと思う一方で、夫も夫で出産の日を心待ちにして一緒に妊娠生活を乗り越えてきたパートナーなので、夫と一緒に乗り越えたかった。陣痛が痛すぎて連絡もできなくなり、遠くから心配させてしまったのが心残り。
(それでも夫なりに色々感じてくれていたようで嬉しかった。夫の日記を貼る。すごくいい日記なのでみなさま見てください。)


●助産師に対して思うことはあるか
本当にあの助産師さんがいてくれたからこの子を産むことができたと思う人が付き添ってくれて心強かった。出産は身体的にも精神的にもつらいので、医療者の一言で一喜一憂することも多いと思うが、痛みに耐える私の腰をずっとさすり続けて、「すごく良く頑張ってる、本当にすごい」と励まし続けてくれて、帝王切開に切り替えになった時も「ベストな判断だと思う、最後まで一緒に頑張りましょう」と全肯定してくれたあの助産師さん、本当にありがとうございました。同じ医療従事者として本当に尊敬したし、見習わないといけないと思うところがたくさんありました。

●出産できてよかったかどうか
愛しい我が子に会えたので頑張ってよかった!!
母子ともに元気でいられているので、はなまるの出産だったのではないかと思う!!
妊娠して仕事を休むことになったことを悔しく思う日もあったけれど、指導医からの「家庭医にとっては全てが芸の肥やし。妊娠出産を経た医師だからこそ患者にもっと寄り添えることもある。」という言葉を宝物にして、医師としてもより成長したい。


バースレビューとしてはこんな感じ。
自分でも良く頑張りました。こんなに頑張ったの産まれて初めてかも。
これから先の方が大変なのかもしれないけど、夫に頼りながら何とか我が子を育てていきたい。

さて、出産してこの3日間がどうだったのかも一緒に振り返る。
出産当日はベッド上で寝たきりだった。麻酔もまだ効いていて足も動かせなくて、でも出産したという興奮でなかなか寝つけなかった。
出産翌日、離床の許可が出た。いろんな管がどんどん外れて身軽になった。傷も、子宮の後陣痛も痛いけど、我が子を初めて腕に抱いて、泣きそうなほど嬉しかった。でも痛すぎて寝返りも打てず、トイレに行くのに30分もかかった。
出産翌日の夕方から、3時間ごとの授乳レッスンが始まった。これに関しては合宿だと思った。お腹を切った翌日であっても3時間ごとに集合して1時間ほどかけて授乳の特訓をする。お腹痛すぎて歩くのも起き上がるのもやっとだし、お股からは大量の出血が続いているのに。これが母親か・・・と思った。
今回の病院は母子別室なので、3時間ごとの授乳タイム以外は子が泣いていてもわからない。ゆっくり休めるようになっている。加えて、出産2日目までは夜中の授乳は助産師さんにお願いして夜は休ませてもらった。

そして迎えた産後3日目の今日。
ついに、一滴の母乳が出ました!!!!!嬉しい!!!!!
全然出ない母乳を求めて必死に吸ってくれた我が子のおかげ。
今日からは夜中の授乳も含めて、ガチで3時間ごとの授乳が始まる。
思うように出なければ完全ミルクで全然いいとは思ってるけど、金銭面を考えても母乳がある程度出るといいよなぁとも思う。
今日は母乳記念日ということで、おめでとうございます!!!!!!!!

退院まであと3日。沐浴、ミルクの作り方などなど、覚えないといけないことはいっぱい。頑張るぞ。

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