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生まれてきて、おめでとう

 出産予定日から11日が過ぎて、ついに、夫婦二人の娘が誕生した。
 妻は里帰り。入院先の病院も面会禁止のため立会いもできず、東京から応援することしかできない出産だった。

 出産前日の夜、妻は誘発分娩のための飲み薬の影響で、前駆陣痛が小刻みにやってくるようになっていた。妻は痛みで声が漏れるということで、一人部屋(陣痛室)を使わせてもらっていた。深夜に妻と電話をした。時折声を上げて痛がっており、聞くだけで可哀想に思った。なんとか励まそうとしたけれど、上手い言葉が掛けられなかったと思う。

 2時頃、痛みがあっても少しでも休まないとということで、それぞれ寝ることにした。夜の間、いつでも電話してねと伝えるも、きっとそれどころではなかったらしい。午前3時の「これは陣痛」というメッセージを最後に、妻と連絡が付かなくなった。ついに始まったのだと思った。
 朝、出勤の前に、近所の神社で二人の無事を祈った。(妻にはなるべく話さないようにしていたが、妻が入院してから毎日通っていた。)

 午前中。きっと妻は本陣痛の痛みに耐えるので精一杯な状況になっているのだろう。あるいは、既にお産が始まっているのかもしれない。そう想像しながら、多少ソワソワしながらも、何食わぬ顔で仕事を片付けていた。

 昼になると少しずつ不安が増していった。妻に何かあっていないだろうか。ついに我慢できず、妻や病院から連絡を受けていないかと、義母に尋ねてしまった。義母も特段の連絡は受けていなかったようで、それだけで少し安心したのだが、気を遣ってくださり、わざわざ病院に連絡してくれた。強い陣痛が来ていて連絡を取れる状態ではないようだと教えてくれた。

 夕方4時、安心したのも束の間。義父から帝王切開になったと連絡を受けた。義父母が病院に向かってくれた。誘発分娩に向けて長時間の陣痛を経た後の帝王切開となれば、何かトラブルがあったのかもしれない。そうでなくても、妻にはかなりの負荷が掛かっているに違いなかった。そこからは少なからず動揺して、居ても立っても居られなかった。
 急遽入った外での打合せの最中も、度々スマホの通知を確認した。

 7時頃、無事に手術が終わり、赤ちゃんも元気に産まれ、妻もそれなりに元気だと義母が連絡をくださった。緊張の糸が一気に解けた気がした。2人が無事だったことの安心と、子どもが生まれたのだということの喜びが、じんわりと心の底から広がってくる感じがした。

 夜に少しだけ、妻と電話をした。妻の疲れ切った声が印象的だった。自分には想像つかないほどの痛みや不安と闘っていたのだと思う。妻にはなるだけの労いと感謝の気持ちを伝えた。

 こうして出産は無事に終わった。
 娘が無事で良かった。何より妻が無事で良かった。
 出産は命懸けだと聞いていたから、もし何かあったらどうしようと弱気になる瞬間もあった。
 明らかに浮き足立っている自分を見た職場の上司からは、「大丈夫だから、現代の医療をもっと信頼しなよ笑」というようなことを言われたが、それでもやっぱり気が気じゃなかった。

 コロナの影響で面会不可ということもあり、通常どおり出勤して、仕事は忙しいながらも心ここに在らずといった一日だった。今日のことはきっと忘れられないと思う。
 十月十日(+α)の間、立派に娘を育て上げてくれた妻には感謝の気持ちでいっぱいだ。今日妻が成し遂げた偉業を超えることは、自分には生涯できないだろうと感じる。これまでは頑張る妻を応援することしかできなかった。これからは妻の頑張りに応えて、率先して活躍していきたいと思う。頑張りますから、期待しててね。

 生まれてきた子はどんな子に育つだろうか。3人目の新しい家族を迎えた我が家はどんな家庭になるだろうか。今から楽しみで仕方がない。

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