Back Alley Story

プロローグ

 春の嵐が吹きすさぶ中、ベッドの上から憂鬱と共に窓の外を見つめていた。枕元の時計はいつの間にか午前三時を示していて、明日は一限から始まるという事実が余計に憂鬱を加速させる。外に見える景色は元気のない住宅街で、家々は闇の中に静寂と共に佇んでいた。
 通りの向かい側の児童公園は乱暴に緊縛されたジャングルジムと、真新しいペンキをで塗りたくられたブランコが街灯に照らされていた。昔は遊具のもう一つや二つがあったものだが、主を失ったからだろうか、いつの間にか姿を消してしまった。ほんの五年くらい前には、窓から喧しい幼稚園児たちの声が聞こえていたような気もする。くだらない回想をつらつら、つらつらと眺めているうちに、私は微睡みの中に沈んでしまった。
 
 規則正しいアラームの音が鳴り、私は朝を迎えてしまったのだと確認する。いつからだろうか、日が昇るのを恐れるようになってしまったのは。
 重い体を引きずってリビングへ向かうと、既に家族は朝食を摂っていた。のろのろと席に着き、無言でシリアルをかきこむ。
 駅へ向かう道すがら、昨日の公園を通ってみる。やはり夜のままで、公園は空虚であるのだと知る。この公園自体、路地裏に在って大して人も来ないところではあるが、あるべきはずのものが欠落している感覚は、空間に連れ込まれてしまうような引力、でも求めている者は私ではないという拒絶を知覚させる。朝の雲間に照らされる遊具たちは、どことなくくたびれているように見えた。
 
「次は渋谷~渋谷~お出口は右側です……」と声が車内に響き渡る。吐息すら聞こえるような車内にあって、私たちは互いに無関心だ。灰色に見える人々が……そう、ちょうど液体のようにぶつかり合い、流れてゆく。駅を出てキャンパスに向かう。やはり整然とした人々。灰色の顔。
 校舎の陰、ぬくもりのある日差し、灰色の顔。炸裂する明暗の中にあって、音だけが存在しない。いや、私には聞こえるべき音が聞こえないだけか。
 スマホを見てみれば様々な声が飛び交う。ツイッター? インスタ? あるいはLINE。私たちがインターネットであることに無自覚なまま使うインターネットでは、音を伴わない声が活発だ。文字、文字、あるいは画像。私たちは声を失って、潜在的な交流に対する欲求をなおあらわにする。皮肉なものだと内心笑いつつ、私自身も声なき声の一つである訳だ。
「都市の心霊案内さんの新しいツイート」
 ツイッターの通知が目に入ってくる。「都市の心霊案内」は比較的古くから活動しているアカウントで、2ちゃんの怪談っぽいストーリーを定期的に呟いている。どの話も典型的なネット怪談という趣きで、真新しさもない。なぜこのアカウントをフォローしていたのか分からないが、アルゴリズムが産んだ偶然を無下にするのもかわいそうだと思い、通知をタップした。
「知人から聞いた話ですが、大宮の南銀に子供の霊が潜んでいるそうです。なんでも居酒屋の裏を歩いていたら、イオンで買ったようなTシャツを着てぼーっと佇んでいるのだとか。知人は飲んだ帰りにその子供を見たそうですが、酔っていたけどあれは間違いなく幽霊だったとか。怖い話です……」
 
第一章
 大学生らしく暇を持て余した私は、春の陽気にでも浮かされたのか、何をするでもなく散策していた。花粉に対してぶちぶち言いたくなってしまう性分ではあるけど、それでも生命は何かパワーを持っているらしい。
 私の住んでいるエリアは、どことなく翳のある雰囲気の住宅街だ。昔はもう少し活気があった気がするけれど、最近は子供の声をめっきり聴かなくなった。
 
 自宅からちょっと足を延ばして買い物をするとなると、私は大宮に行くことが多い。
「そういえば……」
 以前見たツイートで大宮について言及しているものがあったっけ。令和の時代にあんな古典的な都市伝説なんて流行らないと思うけど。
 そう、今時、典型的な怪談よりも、手軽に楽しめるホラーゲームなんぞの方がよっぽどウケがいいだろう。知り合いが噂話をしていたのを見たが、そんな真剣に取り合っている訳でもあるまい。
 
 とはいえ、気になってしまうものは気になるのである。
 うららかな日差しを浴びながら、微妙に臭う南銀に足を踏み入れる。駅前の駐輪場を通り過ぎ、天下一品を尻目に通りを歩いてゆく。裏路地に入れば、まだシャッターを下ろしたままの店が大半だった。春の生暖かい空気の中で、気だるげに往来する人が数人。
 いかにも、といった風な看板が立ち並ぶ中をうろうろと歩き回る。前々から疑問に思っていたけれど、ああいう店はどうして十五年くらい前の萌えイラストを使っているのだろうか。
「ねぇ、さっきから何してるの?」
 ふと、あどけない声が聞こえる。振り返ると、そこに少女がいた。
 
第二章
 四月のあの日以来、私の世界は大きく変わってしまった。どうやら、世の中には非合理的な存在がまだまだいるみたいだ。幽霊の見た目は十歳にも満たないくらいだが、かれこれ十年くらいこの容姿なんだそうだ。元々は自宅の向かいの公園に住み着いていて、よく私のことも気にかけていたらしい。いつしか公園から生気が失われてしまって、今はここに滞在していたところ、偶々私と出会ったという訳だ。
 試験明けの晴れやかな気持ちに浸りながら、橙に染まる街並みを歩いてゆく。駅前のドラッグストアは雑然としていて、車道には平然と歩行者がたむろしている。そんな生気に満ちた空間を七月の風がふわりと揺らしていく。五時の鐘が鳴り、少し暗くなってきた頃合い。街は活気に満ちていた。大通りを外れて、裏路地を抜ける。夕陽の差す線路沿いで彼女は待っていた。
「久しぶり!」
 居酒屋の看板に腰かけて、機嫌よさそうに景色を眺めていた。
「わたしね、このくらいの時間の光が好きなの。夏の日差しの強さと夕方のやさしさが入り混じる時間帯。交差点の白、橙、黒」
 鉄道の音を背景に、夏の夕陽が少しずつ高度を落としてゆく。新幹線の高架の奥からは、瑠璃色の空が昇ってきていた。
「夏休みにはこのくらいの時間まで遊んでいたよね。鬼ごっことかしてさ。滑り台とかジャングルジムを使って追いかけっこもしたっけ。ああいう景色って色と結びついているのよね。わたしの幼いときの記憶は、あの陽の光が彩っているんだと思う」
 友達と別れて家路を辿るときの色彩。でも、目を閉じて思い浮かべる色合いは、郷愁と若干の恐怖心を掻き立てる。
「私は、オレンジの空間が少し怖いの」
「どうして?」
「夕陽で伸びる影が怖かったんだろうね」
「ふうん。変なの」
 横目に見る彼女の身体は透けていて、光の中に溶けてしまいそうだった。どうにも哀しさがこみあげてきて、彼女に向けてそっと手を伸ばす。
「何よ」
 すっと通り抜けた手とは対照に、彼女の声は耳朶を打つ。
「不思議なものだね。声は聞こえるのに手はふれられないなんて」
 不意に触れようとしたからか、私の言葉はまるっきり無視されてしまった。こういうところは容姿のままと言うべきか……
 
 言葉を語る。自分の根源を探す。言葉は筆写でき、私たちはそれを記録として残す。しかし、記録は本当に生の実像を語るのだろうか? 如何に心情を写せども、生きているその生々しさは語りえない。いわんや特に、死者ならば。
 
第三章
 あっという間に夏休みが終わってしまった。昔読んだ漫画の登場人物が「大学の学費は高いんだからもっと休みを短くするか授業料を下げろ」と言っていた気がするが、一般的な大学生とは意識が違うのかもしれない。私は夏休みが終わらないことを切実に願っている。
 教室に入れば、会話も無く見知らぬ他人が隣り合っていて、顔の見える人間同士が、隣り合っていながら沈黙を守り続ける光景は少し狂気を孕んでいるようにも思える。
 顔と人格が一致しない集団というのは果たしてどれほど人間味を持っているのだろうか。そんなことをつらつらと考えているうちに、瞼がゆっくりと閉じ合わされていった……。
 次に目覚めた時には、とうに講義が終わって次のコマの学生が入ってくる頃合いだった。無言の圧を感じながらそそくさと退室する。
 
 言葉を交わすというのはどんな意味を持つのだろうか?
「人間は社会的動物である」なんて使いまわされたフレーズは、しかし生存のための時間的コストを節約する方便に過ぎない。少なくとも、日々顔を合わせ、語らう、あるいは語らわない人々は私の生存にとって何ら意味を持ちえない。人間が社会的であるとするとき、そこに、必然性があるとは言い難い。大講義室にいる彼らが私の「社会」の一部だとして、私の生存に彼らは不必要であるのだから。「コミュニケーション」に意味はないのだろう。
 それでも、私はあの幽霊と思い出を語らっている。橙、路地、または遊戯。互いの共通項をなぞるように、きざみつけるように。彼女が「社会」にあって、私と共通のものを体験していたのは短い間だったが、私たちの語らいは絶え間なく続いていた。
 いつしか、私にとって語らいは当たり前のものになっていた。
 
第四章
 年の瀬で浮かれた街は、現実から遊離しているようだった。
「十二月だとこの辺りは騒々しくなるわね」
「忘年会が増えるだろうし、社会は明るくなってくるだろうね。私もあまり馴染めないけれど」
「雰囲気が明るすぎると成仏しかかるのよ」
「あ、そういうこと?」
確かに年末の晴れやかなムードの中だと、幽霊のような負の存在は生きづらく(?)なってくるのだろう。
「それにしても、毎年この時期は風が強くて参ってしまうね。もっと風が穏やかになってくれればいいんだけど」
「わたしには関係ないわね。この体になってから風とかを感じたことがないから」
 かける言葉が見当たらなくて、私はそれっきり黙ってしまった。
「少し場所を変えましょうよ」
 
 風が吹く中で、沈黙が流れてゆく。喧騒が止んだ中には、汚れでどことなく有機的になったビルが佇んでいた。
「現実に生きるって、どんなことだと思う?」
「現実?」
「幽霊みたいな非現実的な存在に尋ねる質問では無いかもしれないけど」
「なんでしょうね。例えばわたしはもう時が止まってしまって、あなた以外には干渉できなくなってしまった。でも、傍観者として世間の様子を覗き見ることはできるし、見たものを通して自分の考えを持つことができる。そして、それをあなたに話すことで、わたし自身の存在を認めてもらっている。それって生きているってことにならない?」
「考えることが、生きていることの証明になるって言いたいの?」
「そうよ」
「さっきまでの街は、クリスマスで騒がしくて、みんな浮かれているように見えた。サンタだなんだって空想的なものを相手にしていてさ」
 その雰囲気になじめないのだと、私は自虐的に話す。私は現実を見据えているが、空想に在る彼らは一体なんなのだろう。
「彼らは現実に生きているのかな」
「生きているわよ。たとえ子供だましのものでも、何かを共有して語ろうとすることは、大まじめに生きていこうとすることだもの」
「そっか」
「わたしだって、あなたと会話しなければ、何者でもない孤独な存在だったのよ」
 
 日が暮れても私たちは語り続けた。自分たちが見聞きしてきたことを。自分の存在を証明するために。
 
 気づけば、少女の声は聞こえなくなっていた。
 
エピローグ
 春の嵐は相変わらず窓から見える遊具を虐待していた。
 雨の中に、憂鬱な私が映っている。
「ねぇ、さっきから何してるの?」
「久しぶりだね」
「どうせ『雨と暗い私』とか変なこと考えてたんでしょ」
壁に目線を遣って誤魔化す。
「図星だね」
 
「わたしがあなたに話したことは覚えている?」
「まぁ……いくらかは」
「わたしが語った思い出は、あなたが生きていた時代と同じ時代だけれど、そこから時を進めることはできない」
「タイムカプセルみたいだね」
「たぶん、そう」
「公園に集まってポケモンとかやっていた頃をずいぶんと懐かしく感じたもの」
「だけれど、あなたは、社会は時を進めてしまう。日常の持っていた生々しさは失われて、きっとあの頃の遺物しかないのよ」
「だから記憶を私に語ったと?」
「うん」
「私も、自分の生きている瞬間を言葉として遺さなきゃいけないと思う。時間が進めば、きっとただの思い出になってしまうから」
「生きていた呼吸を伝えたいの」
いつのまにか雨が止んでいた空の中、水滴が遊具を照らし出していた。
 あなたと過ごした日々は短かったけれど、想いは私の中に留め置かれている。誰もが生きている意味を持っていて、その人生を「時代」や「思い出」とかの言葉で文脈に落とし込んでしまうことはあまりにも残酷で。
 生きている私が話して、そしてまた誰かが語ることで、あなたのも、私の生も光を得る。
 
いつかは風化してしまうけれど、少しでも時間に抗いたい。

エピローグ


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