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ストーン・シャーク

 二体目の変屍体が挙がった。
 場所は前回と同じく金坂二十二番地九、猿沢宅前。屍体は膝から下の脚のみで、これもまた前回と同様、まるで何物かに食い千切られたような切り口。現場に残された脚から、屍体は成年男性のものと見られるが、身元不明、目撃者無し。県警は先に起こった事件を踏まえて本件を、連続殺人事件、と認定、捜査本部を立ち上げ真相究明に全力を尽くす。といったような内容の記事を読んでいると、
「やあ、安心院君。とうとう全国紙にも載ったようだぜ」
 門を潜って庭先から百足君が、右手に全国紙を掲げて悠然と中に入ってきた。
 私は百足君から全国紙を受け取ると、がさがさがさ、これを広げて当該の記事を目で追った。
「ああ、あったあった。ふうん、存外大きく取り上げているね」
「うん。テレビでも早速報道があったらしいよ」
 そう言って百足君は台所から勝手にコップを持って来て、私の脇にあった粕取焼酎の壜を奪い、とっとっとっとっとっとっとっとっ、コップに並々と粕取焼酎を注いで口を付けた。
「百足君、実のところ君はこの事件をどう見ている?」
「さあ、それが僕にもさっぱり見当が付かないのだよ。巷じゃあやれ、樋熊の仕業だ、なんて騒いでいるがね」
「うーん。樋熊の可能性は少ないだろう。だってあすこは一帯住宅地だぜ。あんな所を樋熊がうろうろしていたら、目撃情報があって然るべきだろう?」
「仰る通り。目撃者が居ない、という一事がこの一連の事件を不可思議な物にしているのさ」
「先日の屍体は、胸から上が無くなった女性の屍体だっけ」
「うむ。白昼での犯行だったらしい」
「猿沢翁はどうしている?」
「あすこは猿沢翁の一人暮らしでね、始めこそ嫌疑がかけられたものの、なんせ八十過ぎのご高齢だろう? 本件とは無関係ということでいまは県警の施設に保護という名目で収容されているよ」
「そうか。うーん、益々分からんなあ」
「どうだい、安心院君? いまから行って、一寸現場を冷やかして来ないかい?」
「いいね。幸い現場まで歩いて十分もかからないし」
「決まりだ。その前に君、昼飯はまだだろう? そろそろ来る筈なんだが、おっ、来た来た、おおい、こっちだ」
 ききっ。門前に自転車が止まり、岡持ちを持った年嵩の出前持ちが庭先からのそのそと入って来て、毎度、と胴間声で発語して目の前に白片鶏、炒鶉蛋、蝦仁吐糸などの料理を並べた。
「ご苦労様。代銀は彼から貰ってくれ給え」

 締めの糖醋鯉魚を食い尽くして一服つけた私と百足君は、
「んじゃ、ぼちぼち」
「行きますか」
 そんな会話を交わしたり交わさなかったりして表に出た。
 それにしても。
 今し方の出前といい、この百足君という男はどうやら、人様に奢られる、ことに並々ならぬ情熱を燃やしているような節がある。思い返してみると、小料理屋などで一献を交えた際も、百足君が財布を出すところを私は終ぞ見たことがない。支払いの段になると、ふっ、と姿を消すのである。止む無く私が立て替えて店の外に出ると、百足君が佇立していて、やあ、とか、いやいや、などと曖昧な言葉で以て濁して、人を煙に巻くのである。
 彼は私以外の人間の場合でも同じ信念を貫いているのであろうか?
 もしもそうだとしたら、とんでもない話である。
 友人として、ここいらでひとつ一家言を呈するべきか。
 そのようなことに思案を巡らせていると、
「着いた着いた。おっ、やってるやってる」
 数台のパトロールカーが目に入ってきて、猿沢宅前のぐるりを報道陣が囲んでいた。
「大変な賑わいだね」
「うん。野次馬もうじゃうじゃ居る。ここいら辺で眺めることにしますか」
「そうですな」
「警官が頻繁に出たり入ったりしているなあ。一体何をしているのだろう?」
「さあ。お上のすることはよく分かんよ。それにしても、何の変哲も無い住宅地だなあ」
「見ろよ、安心院君。あすこの石垣」
 そう言って百足君は猿沢宅の腰くらいまでの高さの石垣を指差した。
「石垣がどうかしたのかい?」
「ほら、あすこの右の方の血痕の付いた石。なんだか鮫の顔のように見えないかい?」
「どれどれ。ほんとだ。鮫の顔のように見えるね」
「そうだろう? まあ、だからどうしたという訳でもないのだがね」
 其れ切り会話は途絶えてしまい、私と百足君は暫くの間、現場の動向を茫然と眺めていた。
 やがてどちらからともなく、
「そろそろ」
「だね」
 そんなやり取りがあって、我々は現場を後にした。
 胃腸薬、大師陀羅尼錠。そのような文句がトタン壁に貼ってあって。

 三体目の屍体が挙がったのは、それから二日後のことであった。
 場所はまたしても猿沢宅前。屍体は胴から下。身元は当日警備に当たっていた凡田凡一巡査、享年二十八歳。同じく警備に当たっていた警官の証言によると、凡田巡査から目を離した一瞬の間の出来事であったらしい。現場に設置した防犯カメラの映像を確認するも、胴から上が無くなった瞬間だけノイズが入り、検証不能。現在解析を急いでいるとのこと。これら三件の変死事件は全国で大々的に報じられ、専門家たちの論戦が日夜繰り広げられていた。
 一方で私はマット上で片膝立ちしている相手に対し、その片脚を踏み台にして相手の膝上に乗り上がり、すぐさま相手の頭部・顔面を狙って膝蹴りを繰り出すシャイニング・ウィザードというプロレス技の真似事をしていた。
すると。
ゔゔゔゔゔゔゔゔ、ゔゔゔゔゔゔゔゔ、ゔゔゔゔゔゔゔゔ、ゔゔゔゔゔゔゔゔ、卓上のiホーンが律動して、ディスプレイを見ると、果たして百足君からのFaceTimeオーディオであった。私はディスプレイを人差し指で、すっ、となぞり、音声通話を開始した。
「Allo」
「やあ、安心院君。調子はどうだい?」
「げっさいっす」
「そうか。ところで君、暇かい? どうせ暇だろう? いまからSUSHI KOBOに来てくれ給え。ぢゃ。ちゃららん」
 一方的に音声通話は終了された。
 なんと無礼な、と思った。
 こちらはシャイニング・ウィザードの修練で忙しいというのに、端から私が暇をしていると決めつけている。こうなったら雪崩式DDTの真似事でもしてやろうか。ええと、雪崩式DDTのやり方は、とPCでググっていると、ゔゔゔゔゔゔゔゔ、ゔゔゔゔゔゔゔゔ、ゔゔゔゔゔゔゔゔ、ゔゔゔゔゔゔゔゔ、再びiホーンが律動して、ディスプレイを見ると、またしても百足君からのFaceTimeオーディオであった。
「何をしている。どうせ雪崩式DDTの真似事でもしているのだろう?」
 ぎくっ。思わず喉から声が出そうになった。
「いいから早く来給え。ぢゃ。ちゃららん」
 私は辺りを見回した。知らない内に監視カメラが設置されていやしないかと思ったからである。
「仕方が無い、行くか」
 諦めた私は心内語でそう呟いて、突っ掛け履きで庭先から門を潜った。

 がらがらがら。
 SUSHI KOBOの引き戸を開けて中に入ると、四人掛け卓子席に百足君、それと知らない男が百足君と対面に背中を見せていた。
「やあ、安心院君。遅かったじゃないか。こっちこっち」
 百足君に招かれて、私は彼の隣りに座った。
 目の前には大柄な、年の頃三十代半ばから四十代前半といったところだろうか、ラスタマンのような男が、どもども、なんて言ってへらへらしている。
「まあ君もやり給え。マスター、冷やとコップもう一つ」
 百足君が言うと、新聞を熱心に読んでいたマスターが、すたすたすた、冷やとコップを持って来てくれた。
 BGMにSusumu Yokotaの盤、『Acid Mt.Fuji』が流れていた。
「それじゃあ乾杯しますか」
「百足君、ご時勢柄、乾杯はよくないだろう」
「何を言っているんだ。こんなご時勢だからこそ僕たちは乾杯するんじゃあないか。ほら、コップを持った持った。乾杯」
「かんぱーい」
 ラスタマンが気楽な調子で百足君に続く。
 仕方無しに私もコップの縁を、かちん、と触れ合わせる。
「ところで百足君、こちらの方は……」
「ああ、こいつは僕の後輩でね、ほら君、挨拶しないか」
「ども、はじめまして、六沢といいます。心霊・オカルト関連のライターをやってまして、あ、一寸待って下さいね、ごそごそ、ごそごそ、これ、自分が書いてる雑誌っす」
 そう言って六沢なる人物はリュックサックから一冊の雑誌を取り出して、卓子の上に差し出した。
 私は、失礼、と言い、雑誌を手に取ってぱらぱらと頁をめくった。
 異星人ウォッチング図鑑、大予言・一九九五 阪神大震災を予知した五人の預言者たち、金星人と出会った占い師、フリーメイソンのベールを剥ぐ!、チョウデンドウリョウシカンショウケイ突撃ルポ、科学VSオカルトー決戦の現場からー、などの見出しが目に入ってきた。
 雑誌を卓子に戻した私は百足君に尋ねた。
「それで? 用件は?」
「つれないなあ。まあいいだろう。用件というのは例の事件について彼が面白い考察を立ててね、それを君にも聞いて欲しくてこうしてお呼び立てしたという理由さ。六沢君、先の話を彼にも聞かせてやってくれ給え」
「わっかりました。ええと、安心院さんですよね? お噂はかねがね。ええと、緊張するなあ、何から話せばいいんだろう。そうだ、俺も現場見てきたんす。それで気になったんすけど、猿沢宅に石垣あるじゃないですかあ? その石垣の中の血痕の付いた石、鮫の顔にそっくりなんすよね。でね、俺思ったんす。もしかしたらあの石垣に鮫が封じ込められてるんじゃないかって。それで人間を襲ってるんじゃないかって。そう考えたら一連のあの異様な殺害方法も納得いきません? 目撃者が居ないのも、平時は石垣の中で眠っていて、人間を襲う瞬間だけ石垣から出てくるんすよ。屹度そうっす。安心院さんはどう思います?」
 突然振られて返答に窮した私。
 六沢なる人物は、ピーターパンのように瞳をくりくりさせてこちらを真っ直ぐ見詰めている。
 ここは下手に刺激しない方が得策だろうと考え、私は適当に話を合わせた。
「うん。実に面白い考察だ。石鮫。差し詰め、ストーン・シャーク、といったところか」
「いっすね、石鮫。それ、頂きっす」
「だが、防犯カメラの件はどう説明するんだい?」
「それは多分なんすけど、石鮫が現れる瞬間だけこう、ばーっ、と強力な電磁波が発生して、電子機器を駄目にするんじゃないでしょうか」
「電磁波ねえ。それはどうなんだろう」
「まあまあ、六沢君も安心院君も。論より証拠。ここはひとつ、いまから三人で現場に行って大いに張り込みといこうじゃあないか」

 嫌がるのを無理やりに連れて来られた、金坂二十二番地九。
 現場付近は警察や報道陣が殺到して、上を下への大騒ぎであった。
 私は不機嫌な態度を包み隠さずに言った。
「ほら、だから言ったじゃないか。現場に来ても僕等じゃあ近付けやしないよ」
 それに対する百足君の応対は、極淡泊なものであった。
「構わないさ。ここで充分。ええと、いまが十四時〇六分だから、二十四時間を三人で割って、十四時から二十二時、二十二時から六時、六時から十四時までの三交替制で張り込みをしよう。六沢君、君は一番若いんだから二十二時から六時を受け持ち給え」
「うっす」
「よろしい。安心院君は十四時から二十二時と六時から十四時のどちらがいい?」
「待ってくれ。僕は張り込みに参加するなんて一言も言ってない」
「やれやれ。ここまで付いて来ておいて今更何を言っている。どうせ家に戻ったってやる事が無いんだろう? 付き合い給え」
「失敬な。僕は忙しいんだ。悪いが帰らせてもらう」
「六沢君、確保」
「うっす」
「うわっ、やめっ、やめろっ、何をするんだっ、離せっ」
「最初から黙って従っておけばよいものを。それじゃあ安心院君は十四時から二十二時で。六沢君、暫く彼を見張っておいてくれ」
「待てっ、百足君っ、おおい、待ち給えっ」

「もう観念した。観念したから、君は帰りなさい」
 私は私を監視する六沢君に言った。
「いえ、兄貴からのお達しなんで。兄イさん、堪忍して下さい」
そう応じて六沢君は頑として動かない。
「まったく、兄貴兄貴と随分と親っているようだけれども、実のところ君と百足君はどんな間柄なんだい?」
「兄貴は兄貴っす」
「埒が明かないな。嗚呼、まだ十五時だ。二十二時まであと七時間もある。六沢君、君は二十二時から六時まで張り込みだろう? 帰って休んだらどうなんだい?」
「自分は平気っす。それよりも兄イさん、確りと見張って下さい」
「なんだと? 僕に意見するつもりか? なんだ? やるか? するっ、あれ? 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。タップタップタップ、参った、参りましたから、V1アームロック解いて」
「ちゃんと見張りますか?」
「見張ります見張ります。するっ、ふう、いつつつつつつつつ、こいつ、こんなキャラだったっけ? いえ、何でもありません、見張ります見張ります」
 不本意ながら六沢君に従う形で、仕方無しに私は張り込みを継続した。
 かりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかり。
 雁の群れが編隊を組んで、我々を見下ろして。

 ゔゔゔゔゔゔゔゔ、ゔゔゔゔゔゔゔゔ、ゔゔゔゔゔゔゔゔ、ゔゔゔゔゔゔゔゔ。
 iホーンの律動で目を覚ました私は、枕元のiホーンに手を伸ばした。
 半目を開いてディスプレイを見ると、百足君からのFaceTimeオーディオであった。
「むにゃむにゃ、なんだい?」
「むにゃむにゃ、じゃあないよ。六沢君がやったようだ。いますぐ現場に来給え。ぢゃ。ちゃららん」
 其れ切り音声通話は途絶えた。
 iホーンのディスプレイは二時二十二分を表示していた。
 私は寝間着を着替え、現場に急行した。
 ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ。
 パトロールカーのけたたましいサイレン音。
 大勢の人が入れ替わり立ち代わり蠢いていて、現場は狂騒の体を成していた。
「おおい、安心院君、こっちだ」
「やあ、百足君。六沢君もご苦労様。えらい騒ぎだね」
「ああ、四人目の被害者が出たようだ。現場は見ての通り大混乱だよ」
「それで? 六沢君がやったというのは?」
 吸っていた手巻き莨を足の裏で揉み消して百足君、
「目撃したのさ、石鮫を」
「本当かい、六沢君?」
「うっす」
「さあ、六沢君、安心院君に分かるように説明して差し上げ給え」
「うっす。ほんと、一瞬の出来事でした。口の開けた石鮫が、ぬっ、と石垣から出てきて、がぶっ。一噛みでした。あとは石垣の中に戻って、ご覧の通りです。僕の他にも報道陣の中の何社かも目撃したようです。ほら、あすこ、警官と話しているのがそうです」
 成程。あちこちで報道陣らしき人間が警官から何やら聴かれているらしい。
「事情は相分かった。しかしだね、目撃したからといって一体どうしようというのだい? 僕たちじゃあどうしようもないだろう?」
「無量小路先生に連絡を取ってみます」
「はあ? 無量小路先生? 誰?」
「くわつくわつくわつ。日本最強の霊媒師さ、安心院君」

「日本最強の霊媒師? なんだい? その胡散臭い人物は?」
「まあまあ、後でちゃんと説明するから、いまのところは六沢君に任せてみようよ」
 百足君に諭されて、私と百足君は六沢君を待つこととなった。
 六沢君は耳に携帯電話を当てて、我々とは一寸離れた距離で背中を向けている。
 ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ。
 パトロールカーのサイレン音が煩くて、何を話しているのかさっぱり分からない。
 やがて通話を終えたらしい六沢君が、我々の元に戻って来た。
「無量小路先生、受けて下さるそうです」
「そうか。では一刻も早くこの場を立ち去らないとな。行こう、六沢君」
「うっす」
「へ? なに? どういうこと?」
「いいから急ぐんだ、安心院君も」
 百足君に促されるのをまるで合図にでもしたかのように、それまで入れ替わり立ち代わり蠢いていた大勢の人が、ぴたり、と動きを止めた次の瞬間、なんと一斉に撤収作業を始めた。
 現場に後ろ髪を引かれながら、
「どうなってるの?」
 という疑問符が、赤色回転灯の灯りの中に消えていって。
 張り込みを始めてから四日目のことであった。

「どういう理由か、説明してもらおうか」
 二人揃って人の家に転がり込むなり、勝手に台所から粕取焼酎の壜を持ってきて、とっとっとっとっとっとっとっとっ、コップに並々と粕取焼酎を注いでいる百足君に対して、私は毅然とした態度で言い放った。
 それにも拘らず、百足君は家探しのような真似をして、je t’aime dance floorの『シール108』という盤を引っ張り出してきて、
「ふうん。君、こんな物を持っていたのか」
 なんて言って澄ましている。
 そろそろ殴ろうかな、と思っていたところへ唐突に、
「日本三大財閥は知っているかい?」
 と尋ねられた私は、百足君の真意を測り兼ねながら答えた。
「日本の三大財閥といえば、三菱、三井、住友だろう」
「そうだ。三菱、三井、住友。これら三つの財閥が表では日本三大財閥と呼ばれているね。ところが安心院君、日本には裏の財閥が存在することを知っているかい?」
「なんだって?」
「くわつくわつくわつ。驚くのも無理はない。けれどもね、日本には実際に裏の財閥というのが存在するのだよ。無量小路、がそのひとつさ」
「がびーん」
「通り一遍の感嘆詞だな。まあいい、続けよう。無量小路は取り分け日本の、祭り事、に絶大な権力を持っていてね、警官なんかが撤収したのも、無量小路の鶴の一声というわけだ。分かってる分かってる。どうして裏の財閥である無量小路と六沢君が連絡を取れたのか聞きたいのだろう? それはね、日本最強の霊媒師、無量小路十二は、彼の姉なのだよ。姉といっても腹違いの姉だがね」
「そうなのか、六沢君?」
「うっす」
「俄かには信じ難い話だとは思うが安心院君、今朝の新聞を見れば分かるよ。この事件に関しては既に言論統制が敷かれているから。おっ、噂をすれば、新聞配達員が来た来た。ご苦労様。其処へ置いておいてくれ給え」

 百足君の言った通りであった。
 今朝の新聞を見ると、昨日まで一面で大々的に報じられていた石鮫事件が、紙面を隅々まで見ても何処にも掲載されていなかった。
 私はiホーンを弄り、すっすっすっ、Yahoo! JAPANのニュースの項目をtapした。
 ところがYahoo! JAPANニュースでも、石鮫事件に関する記事は全て削除されているようであった。
 これに至って真に百足君の主張を信用した私は、百足君に尋ねた。
「百足君、君の言うことはよおく分かった」
「うむ」
「そうなると、これからどうなるのだろう?」
 くいっくいっくいっくいっくいっくいっくいっくいっ、粕取焼酎を一飲みして百足君、
「それについては六沢君から説明した方が早いだろう。おい、六沢君」
「うっす。ええと、これからのスケジュールですが、無量小路による現場の封鎖は完了してますので、十二時までにステージの設営、設営が済み次第リハーサル、十六時に無量小路十二先生現地着、日の入り、いまですと十六時三十分から開場、十七時開演と、このような流れになってます」
「なんだかコンサートみたいだね。十七時開演、というけれども、その無量小路先生というのは、具体的にどのようなことをするのだい?」
「祓、をします。祓、とは、不浄を清浄に、不完全を完全に、不良を善良にすること。更には災いを除き幸福と平和を齎す。ことを指します」
「成程。分かったような分からんような」
「まあ単純に、石垣に巣くった鮫の悪霊を退治する、と考えて頂ければ」
「ふうむ。それにしても六沢君、裏の財閥である無量小路が動く程、この事件は大きな事件なのかい?」
「さあ。姉さんは気紛れな人ですので。しょっちゅうあるんすよ、こういうこと」
「そうか。それで、おおい、余り人の家を漁るな、百足君、僕たちはこれからどうする?」
 空気の抜けだダッチワイフを膨らませながら、
「まあ、石鮫は無量小路に任せて、僕たちは大いにやろうじゃあないか。なんならいまから三人でこいつを試そうか? くわつくわつくわつ」

 ゔゔゔゔゔゔゔゔ、ゔゔゔゔゔゔゔゔ、ゔゔゔゔゔゔゔゔ、ゔゔゔゔゔゔゔゔ。
 がちゃがちゃがちゃ、うーん。iホーンのアラームで目を覚ますと、辺りはとっぷりと日が暮れようとしていた。
 外から祭囃子の音が聞こえる。
 私は近くで大鼾を立てて転がっている百足君を揺り動かした。
「おおい、起きろ、百足君」
「ふがっ」
「起きろってば、おおい」
「ふがっ」
「弱ったなあ。もう十六時二十二分だというのに全然起きないよ。あれ? 六沢君の姿が見えない。おおい、六沢君」
 六沢君を探してきょろきょろしていると、門を潜って庭先から六沢君その人が中に入ってきた。
「やあ、六沢君。何処へ行っていたのだい?」
 尋ねると六沢君、
「一応無量小路に顏を出してきました」
 浮かない表情である。
「そうか。向こうの様子はどうだった?」
「まあ、首尾は上々といったところでしょうか」
「ふうん。それよりも六沢君、こいつを起こすのを手伝ってくれないかい? 見ての通りの有り様で、ほとほと困り果てているのだよ」
「百足さんは酒が入ると駄目です。自然に起きるのを待ちましょう」
 六沢君、なかなかどうして堂に入っている。
 祭囃子が音量を上げる。
 iホーンのディスプレイは、十六時三十一分を表示していた。
「いよいよ開場だね」
「ええ」
「どうだい? 君の見立てでは、勝算はどれ位あるものかね?」
「分かりません。自分が分かるのは、姉さんはこれまで対峙してきた全ての霊を祓っている、という一点のみです」
「そうか。それは心強い」
 其れ切り会話は途絶えてしまった。
次第に辺りは宵闇に包まれる。
「ふがっ」
 百足君がまた鼾を掻いて寝返りを打った。
 膨らまされたダッチワイフが虚ろな目で天井の暗がりを見詰めていて。

 十七時になった。
 祭囃子はいよいよ勢いを増す。
「始まったな」
 いつの間に目を覚ましたのか、裸電球の灯りの下で胡坐を掻いた百足君。その目付きは鋭く、気安く呼びかけを受け入れるような感じではない。
 僕たち三人は誰と話すでもなく、じっと祭囃子の音に耳を傾けていた。
 永遠に続くような時間が経った。
 堪らなくなってiホーンに手を伸ばそうとしたその時。
 ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃんちゃらん、ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃんちゃらん、ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃんちゃらん、ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃんちゃらん。
 六沢君の携帯電話が鳴った。
 電話に出る六沢君。
 ふううううううううう。私は深く息を吐いて、ぐびっぐびっぐびっぐびっ、血に乾いた獣のように粕取焼酎のコップを空にした。
 百足君はだんまりを決め込んで動かない。
 やがて電話を終えたらしい六沢君に私は尋ねた。
「誰からだい?」
少し間を置いて六沢君、
「無量小路からです」
「そうか。それで無量小路からなんだって?」
「姉さんが敗れたそうです」
「えっ」
 私は思わず息を呑んだ。
「敗れたとはどういうことだい?」
「言葉の通りです。石鮫の悪霊に姉さんは敗亡したのです」
「ええええええええええ? マジ? だって君の姉さんは日本一の霊媒師だと言っていたじゃあないか?」
「はい。姉さんは日本一の霊媒師です」
「日本一の霊媒師です、って君。え? 敗亡したということはつまり」
「姉さんは死亡しました」
「がびーん」
 余りの衝撃に、私は現実から離脱した。
 離脱した私とは別人格の、イケイケの私が六沢君に問う。
「日本一の霊媒師が敗亡したということは、僕たちはこれからどうなるのだろう?」
「無量小路の伝言は、逃げろ、の一言でした」
「あひゃん」
 イケイケの私も離脱した。
 現実から離脱した場所で私は、祭囃子の音が次第に途切れて、最終的には完全に聞こえなくなっていく様を、耳を凝らしてじっと聞いていた。

「安心院君、安心院君、しっかりせんかえっ」
「はんっ」
 百足君に喝を入れてもらって現実から帰還した私の目に入ってきたのは、草鞋を履いた百足君、六沢君の二人であった。
「二人とも、何処へ行くのだい?」
「無量小路が言うには、一刻も早くこの土地を立ち去れ、とのことだ。我々はいまから駅へ向かう」
「駅? 駅たって、歩いて五十分はかかるぜ」
「誰が歩いて行くものか。君が現実から離脱している間にタキシーを呼んである。早く出掛ける準備をし給え」
「準備たってなあ」
 ぼやきながらiホーンと財布を上着に捻じ込む私。
 ききっ。
 その中に門前にタキシーが停まる。
 我々は庭先から門を潜って、助手席に六沢君、後部座席に百足君、私の順番で乗り込む。
 ばたん。
 自動ドアーが閉まり、タキシーは走り出す。
 ぶるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる。
 振動に揺られながら、シートに体を沈めて車窓から外を眺める。
 現場の方角の空だけが真っ赤に燃えている。
 車内は無線が一人で喋っているだけで、運転手含め四人とも無言であった。
 新しく開通したバイパス道路を滑るように走るタキシー。
「はれ?」
 沈黙を破ったのは、運転手であった。
「どうした?」
 これは六沢君。
「ありゃあ何でげしょう? うわっ、うわっうわっうわっうわっうわっ」
 ききいっ。がんがらがっしゃん。
 急ブレーキ&衝撃。
「うわっ」
「おおっ」
 そんな悲鳴が上がったり上がらなかったりして、天地が分からなくなった瞬間。目の前が真っ暗になって。

 がんっ。がんっ。がんっ。がたん。
 やっとのことでドアーを外して、車から這い出る。
「はー、はー、はー、はー」
 なんとか足に力を入れて立ち上がり、二、三歩よろめいて振り返ると、大破して逆さになったタキシーがもくもくと黒煙を上げていた。
 私は声を振り絞る。
「おおい、百足君。おおい、六沢君」
 すると微かに、微かにだが、安心院君、と私の名を呼ぶ声が聞こえたような気がして、ずっ、ずっ、ずっ、ずっ、重たい足を引き摺りながら回り込んで、がんっ。がんっ。がんっ。がたん。もう一方の後部座席のドアーも外すと。
 ずるっ。
 中から血塗れになった百足君が身体を私に凭れ掛かせてきた。
「おいっ、しっかりしろ、百足君っ」
「も、問題無い」
「問題無い、じゃあないよ。こんなに血塗れになってからに。待ってろ、いま救急車を呼ぶから」
 そう言って私は上着からiホーンを取り出した。
 iホーンは真ん中から二つに割れて、粉々であった。
「ああっ、iホーンが。ああっ、糞っ。百足君、君の携帯電話を借りるぜ」
 私は百足君の衣嚢という衣嚢を探った。
 その間百足君は譫言のように
「は、早く逃げ給え」
と言う。
「何を言っているのだ。誰が君を見捨てて逃げるものか。気を確りと持ち給え。直に救急車が来るからな」
 衣嚢を探りながら励ますも、どこにも携帯電話が見当たらない。
「そうだ、六沢君」
 六沢君の携帯電話を当てに、タキシーの前方に回り込んだのがいけなかった。
「ひいっ」
 地獄の底から叫び声を上げて、私はその場に尻餅をついた。
 タキシーの前方は特に損傷が激しく、見る影もなく肉片や腸が飛び散っていたのである。
 それらが黒煙と混じって強烈な異臭を放ち、
「げええええええええっ、げええええええええっ」
 思わず胃の内容物を全部戻す。
「ふー、ふー、ふー、ふー」
 兎に角救急車だ。
 息も切れ切れによろめきながら起き上がって、助けを求めようと視界を周囲に転じた私の目に映ってきた光景は。
 夜の闇に煌々と炎を揺らめかせる、ダンプトレーラー。
 それに向かって吠える犬の声は、ううううううううううううううううううううううううううう、かーん、かーん、かーん、ううううううううううううううううううううううううううう、かーん、かーん、かーん、ううううううううううううううううううううううううううう、かーん、かーん、かーん、ううううううううううううううううううううううううううう、かーん、かーん、かーん、消防車のサイレンの音に吸い込まれる。
 この時、不覚にも私は炎が織り成す妖美な揺らぎにすっかり心を奪われてしまった。
 悪魔的な美しさであった。
 ううううううううううううううううううううううううううう、かーん、かーん、かーん、ううううううううううううううううううううううううううう、かーん、かーん、かーん、ううううううううううううううううううううううううううう、かーん、かーん、かーん、ううううううううううううううううううううううううううう、かーん、かーん、かーん。
 心を奪われて、まるで炎に誘われるかのように片方の足を差し出そうとした瞬間。
「何をやっているのです。下がって下さい。下がって」
 消防隊員に制止されて、はっ、と我に返る私。
 気が付くと消防車が現着しており、消防隊員による消火活動が始まろうとしていた。
「もう大丈夫。大丈夫だ」
 心の底から安堵して、身体中の力という力が抜けてその場にへたり込んだ私は未だ、背後に迫りつつある鮫の背鰭の存在に気が付いていなかった。

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