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20210919 / 東京の生活史、心理、ふるさと以外のことは知らない

 ツイッターで日記を共有することを一度やめてみようと決めたら書き始められた。今はもう翌日の夜。朝八時頃に起きてカフェに行く生活を久しぶりに始めてみている。行きつけのベローチェは改装中で近くのサンマルクに行った。いつも混んでいるイメージがあったその場所は思いの外空いていた。むしろ人がいない。朝だからかコロナだからかはわからないが、どちらもだと思う。途中の原稿を一から書き直すことにしたら筆が進んだ。昼が近づくに連れてカフェは混んできて、そこを去る。本屋に寄って岸政彦さんの『東京の生活史』を買って返った。よくある「はじめに」はなく、目次の後にはいきなり本文が始まる。150ある聞き書きの一つ目を読んでみる。聞いたことがそのまま記述されているから、何度も同じような質問がなされ何度も同じようにわからないという回答が続く場面がある。はじめは戸惑ったけれど、見たことも会ったこともない語り手の輪郭はそのしつこいやりとりで確かに少しずつ浮かび上がってくる。内容も重要だが、話し方や考えるタイミング(「…」で表現されていたりする)や速度は文字であれ伝わってくる。話したくない質問には端的に答えるし、話したい内容は長々といつまでも喋っている。大変面白く読んだ。あと149人の語りが記述され一つの本になっていると思うと、慄くような気持ちになる。夕方には折坂悠太の新しいアルバム『心理』のオンライン視聴会があり、聞いた。のちにbutajiさんとのトークがあった。butajiさんは歌う姿は見たことがあるが喋る姿を見るのは初めてで、折坂さん同様誠実で信頼できる話し方、考え方をするなと思った。「心理」というタイトルについて問われると、感情的(心)で直接的なやりとりでもなく、はっきりとした物事の道筋(理)でもないようなその間にある何か、今はそれが重要な気がすると言葉を選ぶようにして話していた。なんとなく彼の活動の向きの片鱗を伺えたようで嬉しかった。その後toibooksのオンラインイベントで青木淳悟さんと町屋良平さんのトークが太田靖久さん司会で行われ、こちらも大変に面白かった。機会があるたびに何度も改稿がなされるという青木さんの原稿の噂はどこで聞いたんだったか、以前から知っていた。受賞後第1作の初稿のゲラが本屋で展示されるなんてことが本当にあっていいのかと素直に思ってしまう。青木さんは小説に人の感情をなるべく書きたくない、そのことから逃げ回っているという感覚は私もわかる気がした。しかしそれを徹底できるかというとそんな度胸は私にはなく、どうしても既存の「小説」を目指してしまっていたのだなと青木さんの話を聞いていて思った。小説未満のようなものを書いている、書いてしまっているという青木さんの言葉には励まされた。受賞前に青木さんのような小説を目指しつつも自分にはできなかったし自分には違うと思ったと言う町屋さんの言葉にも頷いた。小説は好きに書いていいらしい。トークの後、本棚からつまみ上げたのは建築家の青木淳さん(ほぼ同じ名前なのは偶然かどうか)が選書をし解説を書かれている建築文学傑作選というもので、その中には青木淳悟さんの『ふるさと以外のことは知らない』が入っている。深夜の一時頃までそれを一気に読むことになった。場所を書きたい、とトークでもおっしゃっていた青木さん。本作は家(一戸建ての住宅)というものを舞台に書かれた家ということ以外なんでもない小説。そこにはただ家を書くことについて文字数が割かれていて、物語はない。小説の極地を読んだような思いになり、私は神聖な眠りについた。

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