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【0016】 緊張を例に

緊張を例にした、ある人の記事を読んだ。

ざっと内容をまとめると、

「私には、どうして大勢を前に話をするときに緊張する人がいるのか、わからない。だって、その人には話、つまり伝えたいことがある訳で、それを大勢に向かって話せるのだから、本来なら嬉しい時間になるはずだ。それなのに緊張するということは、自分の伝えたいことを話せる嬉しさよりも、自分がどう思われるかだとか、失敗したときのことだとかを考えて、そっちのほうがワクワクより大きくなってるってことでしょう?」

というやや挑戦的な記事だ。


もちろん、大勢を前に話すことになる経緯はいろいろあると思うので、スピーカーの方の境遇は限定的な話、という前提で、話を続けようと思います。

ですが、この指摘はなかなか鋭いものがあると思うのです。

たまたま「緊張」が取り沙汰されていますが、「恐れ」とか「卑屈さ」とか、いろんな身体状態や感情についてこの指摘が当てはまると思うのです。


本来的にやりたいこと、やるべきことなのに、なんだか違う身体状態や感情が邪魔をするときってあると思います。僕はあります。よくあります。


そのときは、なにか別の価値観、特に「悪い意味で自分を守ろうとする心理」が暗躍しているように思います。

それを感じたら、目をつむり、深呼吸をして、心を落ち着かせて、中庸に。意識が自分にばかり向くような、ちっぽけな発想になっているようだったら、それに気づき、別れを告げよう。手放してやろう。

少なくとも僕の心の中には、そういう悪い虫が住んでいると思う。そういう悪い虫を退治する、優れた殺虫剤を常備しておきたいものだ。

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