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「君の知らない物語」を「物語シリーズ」で読む

「君の知らない物語」の歌詞を戦場ヶ原ひたぎと羽川翼で解釈していきます。この記事はかなり長いため、何を言いたいのかをサクッとだけ知りたい方は目次から”「君の知らない物語」は誰の曲か”に飛んで読んでいただければと思います。
全文読んでくれたらうれしい。がんばったので。


前置き

この記事が映画『傷物語』やアマプラ解禁に触発されるような形で、以前からちょこちょこと書き溜めていたものをほぼ衝動的に出力したものであることから窺えるように、物語シリーズというコンテンツは少しずつではあれど様々な形で今現在も展開されている。「物語シリーズ」と言えば、見たことのない人でも「恋愛サーキュレーション」「吉幾三のマッシュアップで見た」「パチンコ」「なんか神谷浩史がキモいやつ」と反応されるような知名度を誇っている。もしかしたらこの記事を読む人にも、断片的には知ってるけどちゃんとは見たことのない人がいるかもしれない。そのくらいの認知がされるくらいには大きなコンテンツなのだ。
小説は以前ほどの高頻度・高密度な展開をしてはいないが、それでも未だに刊行されている(次巻のアナウンスが無い『戦物語』が話の内容的にも最終巻である可能性があるが、現状は不明)。『続終物語』以降の「オフシーズン」「モンスターシーズン」は読んでいないという読者も多いかもしれないのでここで一応紹介しておくと、『結物語』『戦物語』は読んでおいて損はない。阿良々木くんと戦場ヶ原さんって結局どうなったの~?ということや、羽川翼との話の結びについてはこれだけで充分である。その他にも色々と読んでもらいたいものはあるのだが、キリが無いので取り敢えずこの二つである。これらのアニメ化は決定したが、シャフト制作のため(バカクソ時間の掛かった傷物語、その後の音沙汰がない美少年探偵団など)、気長に待つのが吉だろう。老倉育さんがめっちゃ喋ってくれる愚物語楽しみです

ここまで物語シリーズが続いた大きな要因がこのアニメシリーズの存在であると私は考えている。シャフト制作の魅力的な映像や演出(シャフ度、文字挿入、謎建築、忍の絆創膏など)、豪華な声優陣、そもそもの会話劇としての原作のテンポの良さなどが大いに噛み合うことによってこのシリーズは人気になったのではないだろうか。物語シリーズの魅力は多岐に亘るため、もしアマプラ解禁で初めて見たという方がいたとしたらもう一度見て欲しい。一回目の視聴で気がつけなかった/見逃したような部分が、どこかに必ずあるはずである。
そして、ここで忘れてはならない魅力がキャラクター達に寄り添ったOPとsupercellやじんなど豪華アーティストたちのEDである。とりわけ、化物語EDの「君の知らない物語」の存在が大きいように私は感じる。ウエダハジメ絵の印象的なキャラクターたちが可愛らしく動いている時に流れているのが、「メルト」でおなじみのsupercellとガゼル(nagi/やなぎなぎ)が発表したこの楽曲だ。これとなでこスネイクOPの「恋愛サーキュレーション」と共に大いにインターネットを沸かし、物語シリーズの存在を多方に喧伝していた。それによって物語シリーズの今があると言っても過言ではないだろう。

そんな「君の知らない物語」には戦場ヶ原ひたぎを髣髴とさせる「あれがデネブ、アルタイル、ベガ」という歌詞が存在している。これによって視聴者は何となく
君の知らない物語=戦場ヶ原ひたぎの曲?
といった印象を抱くのだが、この曲はゴリッゴリの失恋ソングである。戦場ヶ原ひたぎと言えば爆速(作中時間では1週間ほど)で阿良々木暦と付き合うまでに至ったやり手であり、失恋というテーマとはそぐわない存在であるように思われる。
このシリーズで失恋と言えば羽川翼だ。つばさキャット/つばさタイガーでは燃え上がるような恋心によって大暴れした他、「chocolate insomnia」とかいうハイパー失恋曲を歌い上げ、西尾名物の断髪をしても思いを断ち切ることが出来なかった失恋の名手である。特に化物語の〆は彼女の話であり、アニメの一番おいしいところを飾っている彼女を見て
化物語EDの失恋曲=羽川翼の曲?
という連想もまた出来てしまうのである。
結局「君の知らない物語」はどっちの曲なのかとオタクで議論をすれば、意見は真っ二つになるだろう。

この、曖昧な「君の知らない物語」と「物語シリーズ」の結びつきについて今回は少しだけ話させてもらいたい。誰目線の曲で、ここの表現はこう解釈して、みたいなそんな話である。私は別にこれが正解だとか言いたいのではなく、俺はこう思ってるぜ!みたいな意見でしかないので、違ったら違ったでそのままでいて欲しい。ただ、ちょっとだけ「君の知らない物語」という曲に関して思いを馳せてくれる人がいればいいなと思い、こんな文章を書いた次第である。

尚、作詞を手掛けたryoさんは「君の知らない物語」について「舞台設定だけ借りた別の高校生の話」と言っている(化物語アニメコンプリートガイドブック)し、この記事の途中で出てくる『猫物語(黒/白)』など後のシリーズやアニメは「君の知らない物語」以降の公開となっている。が、ここら辺の「作者(ryo/meg rock/西尾維新/シャフト)の意図」や「時系列」などは完全に無視をしたい。誰が何考えて作ったかなんて完全に理解ができるはずがないし、そんなことで解釈の幅を狭めたくないためである。
出版順についてはさすがに無理があるだろ、と思うかもしれないが、西尾維新という作家は「子荻ちゃんのキャラデザ良すぎたからめっちゃ書き換えちゃった♡」(『ザレゴトディクショナル』荻原子荻)「斧乃木ちゃんがアニメで長靴履いてたから履き替えさせちゃった♡」(「240Q」117)みたいなことをよくする作家であるので、世界が曲から小説へと輸入された可能性も無いとは言えない。状況や世界観が「君の知らない物語」から『猫物語(黒/白)』へと繫がっても良いのである。
そして、たとえ西尾維新がそういう作家ではなかったとしても、私の方針はことばとして書いてあることだけが全てであり、それ以外の要素は基本的には用いない。
つまり何が言いたいのかというと、今回見るのは戦場ヶ原ひたぎや羽川翼というキャラクターだけだぜ!リアルの人物の意図とは別な!ということであり、その点理解して読んでいただけるとありがたい。

これは『化物語』と「君の知らない物語」を私が戦場ヶ原ひたぎと羽川翼を通してこう解釈しているよ、というだけの話である。
だからこれは正解ではない。この記事によって得られるものは解釈の選択肢の幅であり、違うと思ったら忘れていいようなものでしかない、というようなことを念頭に置いて読み進めていただきたい。

「君の知らない物語」は誰の曲か

失恋ソングとしての「君の知らない物語」

まずは「君の知らない物語」の歌詞を見て欲しい。
これを見ればわかる通り、滅茶苦茶失恋ソングである。告白もできずに終わった恋の記憶が歌われるのみならず、MVを見ればアイスの棒が宙を舞うような見事な失恋が描かれており、どう頑張ってもこれは失恋の曲でしかない。「君の知らない物語」は失恋ソングである。
この大前提は揺るがない。
そしてこの長々としているのに一向に何も進まず、1人で勝手に苦しんで、何か行動をして助けを求めたりしない姿勢は「つばさキャット」『猫物語(黒/白)』に見られる羽川翼の姿勢と酷似していると言っていい。羽川翼は「私のヒーロー」や「眠り姫をキスで起こしてくれる王子」を待つことはしても、軽はずみに言えない言葉は言わない女の子である。
結果としてそれを自分の口から言うまでに春休みから二学期の初めの数か月かかって失恋する羽川翼のように、「君の知らない物語」でも「大好きでした」と告げるまでには4分40秒も掛かっている。曲が始まり、盛り上がってからも何も言わず長々と時間が経ち、もう一度最初と同じように落として盛り上げ、ラストの1分になったところでようやく自分の想いを告げ、フェードアウトしていく。読み方によってはこれらの言葉も全て言っておらず、自己完結で全てを終わらせようとしているとすることも可能な内容である。私はこの全てが後手後手で手遅れ感のある恋模様は羽川翼のものであると考えている。
だが、「君の知らない物語」=羽川翼の曲かというと話はそう簡単ではない

もう一つの「君の知らない物語」

このじれったい失恋模様をひっくり返したのがアニメサイズの「君の知らない物語」である。歌詞を見れば失恋要素は取り除かれ、見る影もなくなっていることが分かる
それどころか1番と2番の歌詞の順番が入れ替えられ、初めに2番の「あれがデネブ、アルタイル、ベガ」が来て、その次に1番の「真っ暗な世界から見上げた」以降が来るようになっているのである。この違いを認識してから注目したいのは、曲終わりが「どうかお願い 驚かないで聞いてよ 私のこの思いを」となっている点である。フルサイズは1番サビ後の2番Bメロで「私は何も言えなくて」と結局何も言えなかったことが分かるのだが、ここで完結しているアニメサイズにその事実は無い。寧ろアニメサイズが終わった1分30秒の後に告白を済ませていると考えた方が自然である。
最初から全開で楽曲が始まり、メリハリはつけつつも最後まで駆け抜けて終わる。これは失恋要素(羽川翼)を感じさせる前に、順番(傷・猫黒)をガン無視(「wicked prince」でいうところの「ちょっとだけずる」)して電光石火で告白をしている戦場ヶ原ひたぎの姿勢そのものだと私は感じた。

つまり私は
「君の知らない物語」(フルサイズ)=羽川翼
「君の知らない物語」(アニメサイズ)=戦場ヶ原ひたぎ

だと考えている。
長く時間をかけてゆったり失恋していく羽川翼と、短時間で駆け抜けて告白までこぎつける戦場ヶ原ひたぎ、その両方をこの一つの楽曲から読み取ることができる。

とは言っても今のところは「失恋の有無」「曲の長さと構成」でしか説明ができていないため、上記の考えを基にしてもう少し細かい歌詞も見ていきたい。

”君は指さす夏の大三角覚えて空を見る”

君「は」指さす

「あれがデネブ、アルタイル、ベガ」
君は指さす夏の大三角
覚えて空を見る
やっと見つけた織姫様
だけどどこだろう彦星様
これじゃひとりぼっち

アニメサイズAメロ1番・フルサイズAメロ2番

この歌詞はアニメサイズの一番最初に登場し、劇中のセリフがそのまま使用されているためアニメ視聴者にとっては戦場ヶ原ひたぎのイメージが強い箇所である。ここで注目したいのは「君指さす」であり、「君指さす」ではないという点である。
ここが「君指さす夏の大三角」だとそれ単独で文章と情景が完結してしまうが、「君指さす夏の大三角」であれば「君はA」に対応する「○○はB」という文章の存在も考えられるようになる。「が」は一文内で完結する主題の提示だが、「は」文を跨いでも作用するような主題の提示の効果を持つため、文章を大きく見て「覚えて空を見る」まで考える必要が出てくるのである。
日本語学的に見ても「は」という助詞は取り扱いが難しい。「象は鼻が長い」のように主語・述語の関係がわからなくなるような効果があり、「こんにゃくは太らない(こんにゃく文)」「私はうなぎだ(うなぎ文)」など何かと論争に事欠かない存在である。
そのため、君「は」と言われてしまったら、一度立ち止まってその意味について文脈と考慮しつつ一度しっかりと考えねばならないのである。

この歌詞の情景に「君」「私」という登場人物がいることや、
歌唱の際に入っているブレスの位置が
君は指さす夏の大三角/覚えて/空を見る
という点を踏まえると、

①「君は指さす夏の大三角覚えて(君はA)」<空を見る(私はB)>
君は指さす、夏の大三角覚えて(倒置)。(私は)空を見る
(君は覚えて指さす、私は見る)

「君は指さす夏の大三角(君はA)」<覚えて空を見る(私はB)>
→君は指さす、夏の大三角(体言止め)。(私は)覚えて、空を見る
(君は夏の大三角を指さす、私は覚えて見る)


③「君は【指さす夏の大三角】覚えて空を見る」
君は(私が)指さす夏の大三角(を)覚えて、空を見る
(私が指さす、君が覚える)

「君は【指さす夏の大三角覚えて】空を見る」
→君は(指さす夏の大三角(を)覚えて)空を見る
(君は夏の大三角を指さし覚えて空を見ている)

という解釈が生じるのではないだろうか。
残念ながら私は日本語学に少し触れた程度の人間であるため、これには間違いや他の読みが存在するかもしれない。その場合は非常に恐縮なのだが教えて貰えるとありがたい。
ただ、少なくとも上記の読みも可能ではあると思うので、これを前提に話を進めていくことにする。

これら読みを「私」を戦場ヶ原ひたぎと羽川翼に当てはめながら、「あれがデネブ~ひとりぼっち」を整理したい。

CDの帯にもこのフレーズが書かれている


戦場ヶ原ひたぎと夏の大三角

「織姫様」は神様の服を織る仕事で遊ぶ暇なく働いているが「彦星様」と結婚することによって仕事をしなくなってしまう、「織姫さんって最近彼氏できて変わったわね~」とお局様から言われていそうなタイプの女性である(参考)。阿良々木くんと付き合い始めてから印象が変わったと所々で言われている戦場ヶ原ひたぎも似たような状態ではあるが、それよりも注目すべきは「神様に捧げものをしていた女が男の登場によってそれをしなくなる」という点である。
神様に思い≒重い(体重)を捧げていたが阿良々木暦の登場によってそれをやめた、というのは「織姫様」の伝説とかなり似通っている。織姫はその後天帝に滅茶苦茶キレられ、彦星と引き離されて働くことになるのだが、恋愛という観点でこの伝説を読むのであれば「神に仕えることだけをしていた女性が愛を知り、以降はその愛の為に働く」という、心理的な支配からの脱却が窺える話となっているのだ。
更にこじつけ的な発想ではあるが戦場ヶ原ひたぎと「服」という関係で言えば、彼女が蟹に挟まれている期間は服が重たくておしゃれも満足にできなかったというものもある。阿良々木暦と出会う以前の彼女は体重を失うという形で、自分の衣服を捧げていたという読みもできなくはないのかもしれない。
以上の理由により、
「織姫様」=戦場ヶ原ひたぎ/「彦星様」=阿良々木暦
という隠喩である、という考えで読みの提示を行いたい。

「あれがデネブ、アルタイル、ベガ」
→戦場ヶ原ひたぎのセリフ(劇中ママ)

君は指さす夏の大三角覚えて空を見る
=③君は【指さす夏の大三角】覚えて空を見る
→戦場ヶ原ひたぎは夏の大三角を指さして教える、阿良々木暦は空を見て覚える

やっと見つけた織姫様
→「織姫様」のような、恋をして変化する自己の発見

だけどどこだろう彦星様 これじゃひとりぼっち
→阿良々木暦の気持ちの所在に対する疑問・不安
となる。

最後の「だけどどこだろう彦星様 これじゃひとりぼっち」の部分をこのように解釈したのには羽川翼の存在が関係してくる。
この場面は「あれがデネブ、アルタイル、ベガ」というセリフがあることから分かるように、父親同伴で行われた天体観測デートである。この時の二人は交際一か月程度でありながら初デートであり、この提案も企画も全て彼女である戦場ヶ原ひたぎが行っている。
その一か月の間に彼氏はというと、道端で女子小学生に声をかけて追いかけまわしたり露出癖のある後輩女子の部屋に上がり込んだ上に夜中にこそこそしてみたり、妹の友達のかわいいだけの女の子に屋外でスク水を着せてみたりとやりたい放題で、彼女はそっちのけで色んな女に唾つけてる状態である。異性関連の過去のトラウマがあるとはいえ、そりゃ不安にもなるしデートもしたくなる。もしかしたら戦場ヶ原父は相当急かされてデートの予定を開けたのかもしれない。
そうでなくても、戦場ヶ原ひたぎは告白時に「だって、阿良々木くんは、どう見たってあなた(羽川翼)のことを好きだったんだもの(『猫物語(白)』)」と思っていたように、二人の間にただならぬものを感じていた状態である。
それでも駄目元で告白してさらっとOKされはしたものの、実際に彼の気持ちはどこにあるのか不安になるのは当然のことである。この不安については偽物語上の副音声で「あんまり聞きわけがないようだと私が阿良々木くんに告っちゃうぞ」という羽川の脅しに対し、ちょっとしたPTSDを発症するというやり取りからも見て取れる。この脅しは告白が成功する可能性を孕んでいるかもしれないからこそ成立するものであり、戦場ヶ原ひたぎにとって羽川翼はずっと警戒すべき存在として君臨しているような状態である。
更に言えば戦場ヶ原ひたぎの曲である「二言目」では、「今だって君のとなりでいつだって不安になるよ」と歌っている(ここ以外にもそんな感情が盛りだくさんのため、是非聞いたり歌詞を見たりして欲しい)。この曲は「偽物語」のOPであり、それ以前の出来事である「つばさキャット」でもこのような感情を抱えていると考えても良いだろう。

以上により、「だけどどこだろう彦星様 これじゃひとりぼっち」は「織姫様」である自己を見た際に、「彦星様」である阿良々木くんが自分の隣にそれでもいてくれるのかという疑問が含まれた言葉として読むことができる。羽川翼という強大なライバルの存在を認知している彼女にとって、阿良々木暦の心の所在については未だに確信が持てていないのである。
その確認行為としての「全部」をあげるデートであり、「どうかお願い 驚かないで聞いてよ 私のこの思いを」へと繋がるようになっている。

そういう意味では「これじゃひとりぼっち」は消極的な意味ではなく、「このままひとりぼっちにしておくつもりかしら阿良々木くん?」のような、戦場ヶ原ひたぎらしい強めのアプローチの言葉と読めるかもしれない。
これじゃひとりぼっち、と言っておきながらひとりぼっちになるつもりが全くなさそうな力強さをアニメサイズでは持ち合わせているのである。それを表しているかのように、楽器は序盤から盛り上げ、メリハリはあれど最後まで落ち込むことなく駆け抜けている。
まさにこの楽曲は戦場ヶ原ひたぎそのものだと言えるだろう。


羽川翼と夏の大三角

では羽川翼とイコールで捉えているフルサイズはどう読むかについて考える前に、まず「あれがデネブ~」の前提であるアニメサイズには存在しない1番の歌詞から見ていきたい。

いつもどおりのある日の事
君は突然立ち上がり言った
「今夜星を見に行こう」

フルサイズ歌いだし

つまりこの時点で君(=阿良々木暦)が星に対して興味がある状態でなければならず、自ずと初デート以降の状態であることが分かる。
また、この後に

「たまには良いこと言うんだね」
なんてみんなして言って笑った
明かりもない道を

フルサイズAメロ 1番

という歌詞がある様に、この天体観測には「みんな」がおり、この場に羽川翼と阿良々木暦の二人きりではないということとなる。そんな状況で阿良々木暦が「星を見に行こう」などという提案をする相手は勿論戦場ヶ原ひたぎが適当だろう。
この場面では「星を見に行こう」と戦場ヶ原ひたぎを阿良々木暦が誘い、それを羽川翼は見ている、といったような構図なのではないだろうか。
それに対して羽川翼が「たまには良いこと言うんだね、阿良々木くん。戦場ヶ原さんのこと大切にしてあげなきゃだめだよ」、みたいな嘘をまた吐き、胸の内に孤独や不安を抱え込んで押しつぶされそうになっている方が私は嬉しい。そんな話の流れで、何故か羽川翼も一緒に星を見ているというのは何ともお人好しな阿良々木暦らしいというか、強引な戦場ヶ原ひたぎらしいというかではあるのだが、歪ではあるが割と仲良し三人組ではある彼らにとっては自然なのかもしれない。これが後に新婚旅行にも後輩を同伴させる(『戦物語』)カップルだと考えると全然ありえない話ではない。

ここからが本題の「君は指さす夏の大三角覚えて空を見る」の読みについてである。
これまでで読み取ったような状況で阿良々木暦が再度、「あれがデネブ、アルタイル、ベガ」と教わるようなことはまず無いだろう。彼らにとってあのデートは一生の思い出とも言え、そうやすやすとは忘れられるものではないはずである。
→×③君が私に指をさして教えてもらっている
→×④君が「指さす夏の大三角を覚えて(=今見ている大三角を覚えて)」空を見ている

フルサイズの最後の歌詞も「遠い思い出の君指をさす 無邪気な声で」であり、指を指しているのは阿良々木暦で確定となっている。
→×③指をさしているのは私

また、羽川翼には夏の大三角という小学校で習うような知識を再度覚える必要がない。
→×②私は覚えて空を見ている

となると必然的に読み方は①の
「君は指さす夏の大三角覚えて」<(私は)空を見る>
→君は夏の大三角を覚えて指をさしている。私は空を見ている。
となるのである。

この前提を踏まえて「あれがデネブ~」の更に先の歌詞を見てみると

楽しげなひとつ隣の君
私は何も言えなくて

フルサイズBメロ 2番

であり、彼はどうやら誰かと楽しげにしているらしい。「あれがデネブ~」が戦場ヶ原ひたぎに向けた発言であり、デートで教えたことをちゃんと覚えているという愛の確認行動としてのものだと考えるとどうだろうか。
戦場ヶ原ひたぎとしては阿良々木くんが自分のことをちゃんと好いているか不安であり、自分と同じようにあの星空を大切なものとして覚えてくれているのかを知りたい。阿良々木暦としては戦場ヶ原に教えてもらった夏の大三角を、大切なものとしてきちんと覚えていることを知らせたい。お互いがこんな風に思うことは天体観測というシチュエーションでは必然とも言え、戦場ヶ原ひたぎから「ちゃんと覚えているかしら」系の質問が出たり、急に阿良々木暦が「あれがデネブ~」を「覚えてんだぜ」的な言葉と共に言い出したりしてもおかしくはない。
「星を見に行こう」と阿良々木暦が言いだしているあたり、このために星を見に行っているような気もしてくる。

つまり、

「あれがデネブ、アルタイル、ベガ」
→阿良々木暦から戦場ヶ原ひたぎへの言葉

君は指さす夏の大三角 覚えて空を見る
=①「君は指さす夏の大三角覚えて(君はA)」<空を見る(私はB)>
→阿良々木暦が夏の大三角を覚えて指を指している。それを羽川翼は見る。

であり、ここでは羽川翼は完全に蚊帳の外で星を見る以外に何もすることがなく、楽しげにしている阿良々木暦たちを見ているだけの状態にあるのである。この状況がそのままで、

やっと見つけた織姫様
だけどどこだろう彦星様
これじゃひとりぼっち

フルサイズAメロ 2番

になる。
ここでの「やっと見つけた織姫様」は織姫様のような、恋も遊びも知らなかった女の子としての自分を客観的に見つけ出し、そのような現実から連れ出してくれる彦星様のような存在を望んでいる、というような意味合いになるだろう。
このようなことを考える羽川翼像は『傷物語』に多く登場している。

・人間よりも上位の存在がいてほしい、でないと報われない
・ドラマツルギー戦を目撃し、自らの意思で怪異側に踏み込む
・エピソード・キスショット戦でも積極的に怪異に関わってくる
・ブラック羽川曰く「春休みから阿良々木くんが好き」「人間と吸血鬼の物語は自身の置かれている立場を打破してくれるパワーを持っている

など、この時の羽川翼にとって現状の打破は怪異(=阿良々木暦との関係)がしてくれるものであり、阿良々木暦は彼女の彦星様候補に位置していたのである。
しかし『猫物語黒』でブラック羽川が「阿良々木くんは、スターにはなれても、ヒーローにはなれないよね」と述べているように、この候補からは脱落している。その脱落に気付いているが、ブラック羽川化によって忘れているのが『化物語』時点での羽川翼なのである。

つまり、「彦星様」を阿良々木暦に見ていると同時に、それが彼ではないとうすうす分かっているという切なさが「だけどどこだろう」にはあるのである。
羽川翼の隣には阿良々木暦も「彦星様」もいない。これじゃひとりぼっちと思うのも当然である。

同じ歌詞を使用している戦場ヶ原ひたぎとは対照的に、非常に重く暗く切ない意味を「あれがデネブ~ひとりぼっち」は持っている。彦星様はどこにもいないし、自分も織姫様になりきれず、ひとりでずっと耐えているだけの描写を延々としているのがフルサイズの「君の知らない物語」である。そのくせ表面上はバンドサウンドで明るく振舞っており、この悲痛さは上手く覆い隠されている。嘘吐きな羽川翼にはぴったりな表現であると言えるだろう。


さいごに

以上が私の捉えた「君の知らない物語」である。
アニメサイズは希望に溢れた戦場ヶ原ひたぎの曲。
フルサイズは悲痛でどこにも行かない羽川翼の曲。
この二つの楽曲は同じ歌詞を使用していながらも曲の構成によって全く違った情景を描き、「君は指さす」という一つの言葉でもアニメサイズとフルサイズで違う意味を持たせているのである。

言ってしまえばそれだけの事であるが、それだけのことをしれっとやっているのがこの曲の凄いところだと言えるだろう。その「しれっと」を説明するのに私は約7000字を費やしたし、書こうと思えばもっと書けるようなことはある。サビの「いつからだろう~この思いを」までだって、戦場ヶ原ひたぎの視点と羽川翼の視点ではかなり違った意味に見えるような言葉が選ばれているように私は感じている。フルサイズにしかない歌詞も羽川翼というフィルターを通せばもっと味わい深いものになるかもしれない。
これらのものについて書くと更に長くなるし、書いても大体当たり前みたいなことしか言え無さそうなために今回は書かなかったが、何度も読み返しながらこの記事を書いた。是非これを読み終えたら今一度歌詞全文を読んで、味わってみてほしい。

繰り返すようだが、私はこれが正解だとは一切思っていない。私にとってはこの解釈が一番というだけであり、もし誰かがこれを読んだ上で違うような解釈をしたとしてもそれはそれで構わない。寧ろその理由を聞いてみたいくらいである。
更に言ってしまえば、理由が無くてもそう思うならそれでいいのである。間違えても自分の解釈を正解だと思い込んで誰かに押し付けなければ何でもいい。解釈の世界は自由であるべきなのである。そのくらいのノリで一度「君の知らない物語」について考えて、誰かに話してくれれば、私にはこれ以上ないことである。

最後になるが、現在上映中の映画「傷物語 こよみヴァンプ」だけを見た方には、三部作の映画「傷物語」もご覧になっていただきたい。今回特に取り上げた羽川翼の扱いがこよみヴァンプでは舞台装置でしかなく、羽川翼を知るには不十分な内容であると言わざるを得ないためである。こよみヴァンプは「悪夢のような春休み」の内容を知るための話でしかなく、いつもの物語シリーズを楽しむには少し物足りないと私は感じている。阿良々木暦はベラベラ喋らないし、羽川翼とふざけないし、忍野メメも何故か見どころが減らされている。というかマジで忍野のネタばらしを無くしたのかは分からない。
三部作では時間をたっぷり使って羽川翼の異常な部分を描き、仲良くなって少し気になりはじめている阿良々木くんから「正直、引く」と言われるような羽川翼っぷりを堪能することができる。大筋には全く関係のない部分ではあるのだが、いらない会話を楽しむのが物語シリーズの醍醐味であると個人的には思っているので、これだけはどうしても伝えたかった。二つの映画を比較してみるのもいいかもしれない。

この記事への投げ銭は代わりに書店や映画館や動画配信サイトにブチ込んで物語シリーズ・傷物語に触れてくれればと思う。それが私への投げ銭であり、この記事の意義でもある。

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こよみヴァンプ入場特典、ずっとかわいい
映画の羽川翼もずっとかわいい

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