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私と野球(2)背番号”7”キャプテンの背中

・泥臭く、諦めない姿

当時の横浜ベイスターズは揺れに揺れていた。10年間で8回ものシーズン最下位や親会社TBSの撤退、本拠地の移転問題、更には選手たちのモチベーション問題、主砲村田修一の巨人FA移籍などよくないことばかりであった。私も最初は良いイメージを持たなかった。強い阪神や巨人をずっと見てきたというのもあるかもしれないが、何より知っている選手がいなかったというのが大きいと思う。

だが、背番号”7”は違って見えた。新生”横浜DeNAベイスターズ”の初代キャプテンとして、またゲームでは二塁手、遊撃手としてひたむきにどんな点差になっても諦めず、プレーする姿は当時の私にとってとても興味を惹かれ、魅力的な人であった。

時には素行が悪く、当時監督であった中畑清から叱られることもあったり、チームのキャプテンとして成績が悪いことの責任を感じていたかもしれない。しかしそれでも私は石川雄洋の姿が誇らしく、憧れの存在となっていたのである。

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・勇気と希望を与える背中

時は2013年、当時高校1年生だった私は環境が変わったことに対するストレスや自身の体調不良などが重なり学校に行くことが出来なくなってしまっていた。自分で選んだ学校に行けなくなってしまった罪悪感や、他人に迷惑をかけてしまったかもしれないという不安や妄想に駆られ身体的、精神的にもとても参ってしまっていた。

そんな中で唯一、私を元気づけてくれたのが石川雄洋の活躍である。8試合連続マルチ安打やユニフォームを汚しながらも一生懸命に白球を追いかける姿、2013年は最終的に.275 5本塁打 41打点 出塁率.357 得点圏打率.313と活躍したシーズンとなった。私はその姿に心打たれたのは言うまでもない。それから石川雄洋に元気とまた前に進む希望をもらった私は体調も回復し、転校という形にはなったがその後の高校生活を何事もなく終えることが出来たのである。

精神的に落ち込んだ時や悲しいこと、泣きたいことがあったときにいつも私に勇気や希望、そして元気を与えてくれる存在、それが石川雄洋なのであった。

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・佐野恵太、柴田竜拓の加入、そしてベイスターズファンへ

時は流れ私は相変わらず阪神ファンをしていたのと同時に石川雄洋の打席や活躍を見守っていた。好調な時もあれば不調な時もあり、また二遊間のポジション争いは激しく、有力な選手が出てくるたびに石川雄洋の出番が少なくなり結果や公示が出るたびに一喜一憂していた。

そんな中で私がベイスターズのことも応援したい、と思った出来事があった。それは私の地元でもある岡山県出身の柴田竜拓、佐野恵太の加入である。柴田竜拓は2015年3位で、佐野恵太は2016年9位で入団した。同じ地元の選手が入ったというのは私がベイスターズのことをもっと知りたい!!と興味を持たせるキッカケにもなった。

そして2018年、仕事の関係で岡山から大阪に引っ越した私は、近くに甲子園があることも相まって、観戦機会が増えると思い、初めて私はDeNAベイスターズのファンクラブに入ることとなる。それから私は甲子園を中心に本拠地横浜スタジアム、ナゴヤドームなど日本各地に行くようになった。

球場では沢山の同じファンの仲間達と精一杯声を出し応援をし、また選手達の動き一つ一つに感心していた。特に甲子園での試合は私が阪神ファンだったことや、ビジター応援席の少数精鋭的な応援スタイル、そして関西人特有の気前の良さと球場の雰囲気などがありとても楽しく、また非常に良い思い出になっていた。

しかし私には気になることがあった。
それはベイスターズが強くなって行くにつれて、石川雄洋の出場機会は段々と減ってきていたことである。


⑶へ続く〜

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