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ピアノ協奏曲第1番ニ短調(ブラームス)

いらっしゃいませ。

ようこそ、CLASSIC BAR VERSTECKへ。


さて、"本日のオススメ"は、ブラームス作曲の『ピアノ協奏曲第1番ニ短調』です。(数字は9-301。名曲解説全集第9巻P301)


ヨハネス・ブラームス先生。1833年-1897年(63歳)の、ドイツの作曲家ですね。

ボロディン先生と同じ年の生まれです。

ちなみに、対立構造で有名なワーグナー先生は、20歳年上の先輩。

ブラームス先生が生まれる6年前に、ベートーヴェン先生が亡くなったばかりです。


なんと!

ブラームス先生、まさかの初登場。


父は、コントラバスやホルンを中心に色々な楽器を演奏する、町の音楽家だったようで、基本的な教育は父から手ほどきを受けます。

7歳からは本格的にピアノを習い始め、13歳のころには、酒場で演奏をしながら、家計を支え始めました。ピアノの技術はちゃんとあったようで、本日の曲を含む、ピアノ協奏曲2曲は、ブラームス先生が初演のピアノを演奏したそうです。いや、すごいじゃないですか!!

まぁ、ショパン先生もリスト先生も、クララ・シューマン先生もいらした時代ですから、ピアニストとしてやっていくには大変な時代だったのかもしれませんね。

20歳ころには、重要な3人に出会います。エアヒム先生、シューマン先生、クララ・シューマン先生。それまでにすでに作曲していた曲を、シューマン先生にみてもらう機会を得ます。

ヨアヒム先生のススメでシューマン先生に出会い、シューマン先生はブラームス先生の才能を見抜き、「ベートーヴェンの後継者」と、自身の雑誌で称賛。

翌年にはシューマン先生が自殺未遂を図りますが、シューマン先生の家族を援助するために、再び訪れます。クララ・シューマン先生との恋の話もありますが、発展することはなく、友情関係が生涯続くことになります。


25歳ころに、色々な変遷を経て、本日の曲『ピアノ協奏曲第1番ニ短調』が完成。

厳しい自己批判のため、習作の多くは残っていないようですが、とはいえ、このピアノ協奏曲の前に作品番号がついて残っている管弦楽作品は、『セレナード第1番』のみです。

つまり、それまでピアノ曲や歌曲、室内楽や作品番号のついていない作品、習作などを作っていたブラームス先生は、26歳ころに『セレナード第1番』を完成させ、2年後にこの大曲『ピアノ協奏曲第1番ニ短調』を完成させます。


いやー、すごいですね。


ちなみに、交響曲第1番は、43歳ころの作品です。

ちなみにこの協奏曲の完成にも、ヨアヒム先生やクララ・シューマン先生の助言をもとに推敲を重ねたそうですが、初演は失敗に終わったようです。


『ピアノ協奏曲第1番ニ短調』。

元々は、2台のピアノのためのソナタとして作曲が始まったようです。そのうちの第1楽章は交響曲としてオーケストレーションされることになりましたが、協奏曲に直すことになりました。ちなみに第2楽章は『ドイツレクイエム』に転用され、協奏曲の第2楽章にはプランのあったミサ曲を逆に転用するなどして、元のソナタの完成から4年ほどして、完成となりました。


協奏曲なのに交響曲てきな感じのする協奏曲。

ショパン先生やクララ・シューマン先生、リスト先生などが全盛の時代に、華々しいピアノソロという感じではないピアノ協奏曲は、交響曲として作られる過程で協奏曲になった経緯と、初演独奏者のブラームス先生のいた時代を考えると、なるほど、納得ですね。


曲はもちろん素晴らしのですが、ソロの堪能だけではなく、オーケストラとの対等関係にある競奏性が、やはりブラームス先生の協奏曲ならではの楽しみと言っていいのではないのでしょうか。


本日の音源は、ILoveChScBrさんのチャンネルを視聴しながら書き進めてきました。ありがとうございます。ツィマーマン&バーンスタイン&ウィーン・フィル。最高です。


本日もご来店いただきまして誠にありがとうございました。

またのお越しをお待ちしております。



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