年末年始まとめ日記

2024年1月6日(土)
あけましておめでとうございます。
2020年の6月から毎日分の日記をこつこつ書いてきたんですけど、ついに追いつけなくなりました。12月に大きな公演があり、その稽古が過密で日記に割いてる頭がなかったのが理由なのですが、きっとそれは言い訳で、自分の意志が弱かったのと、毎日同じような内容の日記を更新し続けることが自分のメンタルにとってマイナスの影響を与えていたのもあって、正直もう日記を書きたくない状態になっていたと思います。毎日毎日生活のありのままを書いてるだけなのに「自分は何もしてない」というのを自分の文章で突き付けられてしまって、まいってしまいました。とりあえず公演本番日のことは書き留めたくなったのでその二日分(本当は三日だけど初日は書けていない)だけ書いて、それから放置しています。書いてない分で言うと丸々一か月以上はあります。これを今から追いかけるのは無謀というか、あんまり意味のないことで、それは連続フルイニング出場記録のために肩が終わっている金本をレフトで使い続けるようなものです。毎日続けられるような生活になれば続ければいいし、そうでないときは記録を途切れさせる勇気をもって日記を書かないといけないけど書けてないというメンタルの負荷をかけないような付き合い方をしていく必要があると思いました。約三年半ですけど、この期間は毎日何かしらの記録があります。正直一週間前のことを思い出しながら書く日ばかりで新鮮な言葉を残せていないので胸を張れたものではないのですが、飽き性でどうせこれも3日で辞めると思っていた日記をここまで書いてこれたのは一旦誇らしいです。これからのnoteの付き合い方ですが、書くべきことがあった日に書くという方針で、無理矢理毎日分を更新することはしないでおこうと思います。今このnoteを書いているのは書いておきたいなと思ったことがあったからです。まとめて書きます。


苦しくなる話

2024年1月1日(月)


祖母が家にいる状態で家族4人全員で新年のあいさつをすることができた。祖母はベットから移動することができなくなっており、その場で起き上がったり寝たりをする生活を送っている。これを書くと胸が苦しくなるし、多分人間の脳はこういう記憶を忘れようとしているからなんとか忘れないうちに残しておこうと思った。正直祖母はいついなくなるかわからない。12月31日の夜もかろうじて生き抜くことができ、あと一晩頑張ってなあと一晩頑張ってなみたいなことを毎日続けてなんやかんや何日も何週間も何か月も生きてきた。実は2022年の年末に入院して2023年の元日に祖母は病院にいたのでもう祖母と一緒に新年を迎えることはできないんだろうなと思っていたが、なんとそこから一年生きた。人間ってそう簡単にそう簡単しないんだなあと思った。2023年は入退院を繰り返していて、退院するたびに、会うたびに弱っていて、年の瀬には食べる量が明らかに減り、年末には車いすに乗ることすらできなくなっていた。人間食べれなくなると早いとよく聞くので、12月12日に実家に帰った時は本当に年越すのは無理か、また入院することになるのかなと思っていたけど、奇跡的に家族全員が同じ場所で「あけましておめでとう」とあいさつすることができた。泣きそうだったけど、泣いたらもうすぐ死ぬみたいだからめちゃくちゃこらえた。祖母がお雑煮を食べるとこを見守って部屋を出た。食事をほぼしなくなって、ゼリー飲料を吸うだけみたいになっていたのでおもちを食べていて驚いた。別の日におもちがとろけた味噌汁を持っていったら塊が欲しいと言っていたみたいなのでまだ頑張ったら食べられそうだ。僕は4日のお昼に京都に戻ったのだけど、「京都帰るわ」と祖母に言うのがつらかった。これが最後かもしれないこれが最後かもしれないと思いながらこれまでも手を振ってきたけど、なんやかんやまた次があった。しかし今回は結構これが最後かもしれなかった。だけど泣いたらもうすぐ死ぬみたいだからこらえた。「またすぐ帰ってくるし」と言う。祖母が手を握ってくる。今までこんなことなかったからもしかしたら祖母も思うところがあるのかもしれない。だけどここで泣いたらこれが最後になるみたいだからこらえた。何を言うでもなく、ぎゅっと握手した。僕もなかなか離せなかったけど離さないと僕がもうすぐ死ぬと思ってるみたいだからちゃんと離した。父は2018年の11月に亡くなっているのだが、直前の父の誕生日になんか最後かもしれないと思って感謝のメールを送ったのだけど、あとあと母に聞いたらそのメールを受け取って父が「もうすぐ死ぬと思っとるんちゃうか」と言ってたらしく、逆に悲しませることになっていたかもしれないなと思って、祖母にそういうことするのはやめといた。祖母は「こんなんなってしもてどうなってしまうんやろな」とか「痛いのに気づかんかったらええのに」とか言って、自分ではわかってるのかわかってないのかよくわからないから周りが気づかせるのはたぶん酷だし、だから僕が泣いたり変にしゃべったりするのはちょっと我慢した。部屋を出て、妹の元へ戻ったとき涙がパンパンだったので泣きかけてるのがバレたかもしれない。涙を流すことはなかった。ちゃんとこらえた。父と最後に会ったのが父が亡くなる8日前で、その時の父はまともに会話できなくてそれにショックで一人階段のとこで泣いてしまったのだけど、泣いたらもうすぐ死んでしまったから泣くのは違うと思って今回は泣いたらダメだと思っていた。といってもだいぶアップアップで、書いてる今もきっと冷静ではない。昨日の稽古で自分は体調いいと思ってたのに会った人に開口一番「顔色悪いですね」と言われたので疲弊しているのかもしれない。でも僕なんかはたまに実家に帰って祖母に会うだけで、毎日祖母の看病や介護をしているのは祖母とは血のつながってない母であって、その母に任せっきりにしてる以上僕があれこれ動揺する資格がない。だから泣くのも意味わからんし、僕は自分勝手に疲れている。

と、ここまで書いて本当に気分が悪くなってきて一回やめて洗濯物干したら稽古に行く時間になっていたのでここからは次の日1月7日の深夜に書いている。

とにかく家族4人で2024年という新年を迎えられたのが嬉しかった。

楽しい話

2023年12月31日(日)


2023年を振り返ろうと思う。
年が明けたときはまだボケクエ6の時期で、予選3回戦の画像のお題を考えてたかその辺だったと思うけど、まだあれが一年前なのかというのがいつもびっくりする。ボケクエは脳みそが溶けたけどめっちゃ楽しかったし、チームCGIを見返してもちゃんと面白いボケを投稿していたなあと安心するときもある。結局3月の頭に負けてしまって、トロフィーをとれなかった。自分は結構好きなボケとか出せたけど、他のメンバーの回答をきちんと選んであげられなかったのが心残りだ。僕が推したやつが沈むというのが多かったし、やりようによってはもう一回くらい戦えたんじゃないかなと今も新鮮に悔しい。ボケクエ負けた後にオンラインで話してたら一週間後とかに4人で集まる予定が組まれて名古屋で遊んだ。4月に鹿児島に行った。高校の後輩の結婚式に招待してもらった。ずっと泣いててなんて幸せな式なんだろうと思った。5月に初めて競馬をやってみた。まったく当たらなかったけど、馬という動物が可愛くて牧場のYouTubeを見るようになった。大喜利とはという大会に誘ってもらって準優勝だった。自分の力ではないので陰に隠れている。初戦で3位をとって上スタートにしたのは僕だ!6月にコント公演をおこなった。Nくんという人とこの時期から仲良くするようになったけど、この出会いが僕にとってたぶんめちゃ大きくて、この半年間冗談抜きで2日に1日以上のペースでNくんと会っている。6月の半ばに名古屋に生大喜利をしに行った。生大喜利目的というよりかはネットの人たちに会いたくて行った。全然ウケなくてもう生大喜利はいいかなーと思った。7月にキングオブコントに出た。はるかぜに告ぐの3組後に出た。両方とも落ちた。ダウ90000のことばかり考えていたけど、はるかぜに告ぐのことも考えなくてはいけなくなった。8月に香川に旅行に行った。うどんが美味しかった。居酒屋のにぼしラーメンが美味しかった。瀬戸大橋で写真を撮るためにタイマー押して全力で走ったのがなんか一番楽しかった。9月には他の劇団に客演として参加させてもらったり、テレビに出させてもらったりしてノリノリだったけどM-1の一回戦に2回落ちた。カスみたいなバイトを辞めた。8月9月は精神的に終わっていた。バックヤードで叫びながら段ボールを踏みつぶしていた。大喜利ドラフト会議で目玉選手になり、初めてトロフィーを獲得した。7巡目に3球団競合するという小説より奇な状況で声出して笑ってしまった。その後の本戦でも一回2位をとれて良かった。10月から12月は客演で参加した劇の稽古で週6自転車生活だった。ずっとエチュードで試されるだいぶタフな時間だった。自分の積み重ねになってくれると信じている。ゲームはMinecraftをついに買ってドはまりしてド冷めしたのと、ポケモンのDLCをすんごい楽しくプレイしてダブルバトルにハマった。下半期はほぼ大喜利していないけど、今年参加した大会は結構結果残してるのでチーム戦誘ってください。大会強いです。

2023年12月24日(日)


毎年恒例になろうとしているM-1みんなで見る会が今年は開催された。去年はなくて家で一人で見たんだけど、今年は2年ぶりの復活ということでウキウキだった。敗者復活戦は3人で見て決勝は5人で見た。いつものチキンマックナゲット15ピースとコーラで大暴れしてしまった。結果は令和ロマンのまさかのトップバッター優勝。大盛り上がりした。どの組も面白かったけど、昔は涙を流して笑ってたM-1もなんか素直に笑えなくなってしまった。たぶん一回漫才を書いてしまったからだと思う。一応出た大会で、負けた大会だからというのはさすがにかいかぶりすぎかもだけど、多少はあると思う。それとどういう構成なんだろうとか勉強な意味で漫才を見てしまっていて、素直に笑うことが減ってしまった。全体的に面白かったし、「おもんねーこいつら俺のほうがおもろいねん」とかそういうのを思ってるわけではなくて、おもしろくなりたいなという憧れというかなんかそういう前向きなやつの笑うことが減ったなのである。キングオブコントも全然笑えなかったんだけど、これは多分見たときの僕の体調が悪かったんだと思う。来年は一回戦突破したい。敗者復活で初めて見たコンビで面白かったのはエバースとナイチンゲールダンスの習字のボケ。ぎょうぶと鬼としみちゃむは3年前から推してて!面白くて良かった。ヘンダーソンが行くかなと思った。決勝はモグライダー、さや香、カベポスターの三連単で予想してたけどモグライダーはねなかった。応援してたのはマユリカで、後半ちょっとウケてて良かった。やっぱりM-1って見るのに緊張するし、見終わって疲れた。楽しかった。

2023年12月23日(土)


えすわいが京都に来た。本当は10月に来る予定だったのに僕が体調を崩してしまったせいでこんな後のスケジュールになってしまった。四条に行ってポケモンセンターに行った。何も買わなかった。錦市場を何も買わずに通って木屋町へ行き、喫茶ソワレでコーヒーゼリーを食べた。漢字ミュージアムに寄って1時間くらい居座った。なんとえすわいも漢字が好きなようで、そんな友達マジでいないからマジでテンション上がってしまって1時間くらい押した。漢字が5万字書かれている柱を見ることができて本当に感動した。家に持って帰りたかった。八坂神社を予定通り5分で出て、京阪に乗って伏見稲荷大社に行った。何も買わなかった。夕方になってたのもあり山の上までは行かずに小周りで帰ってきたけど、人が多すぎて千本鳥居はちょっと圧迫感だったので帰って正解だった。京都駅に戻って駅構内をうろついた。えすわいがお土産を買っていた。京アニのブースみたいのがあって寄り道した。前行ったときはなかったけど氷菓のクリアファイルと日常のマグカップを買った。えすわいもなんか買っていた。予約してた居酒屋に行って結構ちゃんと飲み食いした。えすわいが新幹線で帰って行った。
えすわいと会うのは3回目で実際あんまり大喜利の話をしなかった。喫茶店で少しして、それからはあんまりしなかった。えすわいがダブルスで優勝したのになんかシンとしてるねえ。主戦場どこで出るか二人とも迷っていた。森田大喜利のちょい裏話とか、遠くを見ているが僕によろしく言っといてねと嬉しいことを言ってくれてた話とか。でも森田大喜利に投稿するのは違うだろ!とお喜利、マジで忙しくて2回答くらいしかできなくてごめん!京都はなんやかんや歩いてるだけで見るもんがあってこれがああでとかいろいろガイドしてしまった。そんなうるさくなかったらいいけど。漢字の博物館では漢字の話してたし、その場その場な話をしてた。と思いきや結局居酒屋では大喜利の話になって、結局ボケクエの話になるこの二人は。いつまでグジグジ言ってるんだろうか。いつまでもグジグジ言うんだろうなこの二人は。マジでいつまでボケクエの話するん??次のボケクエが始まっても二人が集まったら6の話してそうだな。話ししだいて絞り切ってようやくいい思い出みたいな話になったと思ったらその思い出を美化して笑って高校の部活みたいになってる。変なのがえすわいと僕はもうチーム組まないほうがいいっていう結論になってるのにずっとボケクエをほじっている。
えすわいはその次の日だか次の次の日だかにまた関東まで車で行って深夜に一人で車で帰って車パンクしてるし、その次の日だか次の次の日だかに大けがしててほんま気の毒や。八坂神社でも伏見稲荷大社でも何も買わなかったのが響いてますこれは。おもかる石を持って二人とも想像通りの重さだったじゃないんだよ。森田大喜利おつかれ!月一で開催して!
京都来てくれてありがとう。また遊ぼう!

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