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ととちゃん

わたしの、世界でいちばん大切なととちゃんがもうすぐ死んでしまうらしい。

文字にするとじわじわと涙が溢れてくるけど、ととちゃんが今日生きたこととわたしの気持ちをどんなことでも残しておきたくて書いている。

ととちゃんの具合が悪くなったのは3日前。朝実家の母から飼っている犬の動画が送られてきた。「ととちゃん朝から元気ない」とも書いてあった。
こういうメッセージが来ることは時々あって、その度にわたしは自分のこと以上に心配になって、一人暮らしを始めたことを後悔していた。

今回も心から心配していたのは本当だ。だけど、母から聞く限り症状はこれまでにも頻繁に起きているもので、病院にはかかっているけど病気ではなく体質的なものだと言われていて、いつものように家にある薬を飲ませて様子を見ていれば良くなるだろうと思っていた。

実際、母が昼休みに職場を抜けて様子を見に帰ってくれた時には、いつもと変わらない満面のかわいい笑顔でおやつをねだっていた。
わたしも昼休みにその動画を見て安心していた。

けれど、安心したのもつかの間。翌日金曜日の夜にもう一度連絡が来て、やっぱり調子が悪いと聞いた。母が仕事が休みの日曜日に病院に連れて行くねと言ってくれた。

わたしは、もし必要だったら土曜日に帰って病院に連れて行くから言ってね。と返した。
それでもまだ季節の変わり目の風邪かなくらいに思っていた。

土曜日の朝にきた連絡は、いつもの元気はないけど朝ごはんは食べた。病院には明日行くね。という内容だった。
わたしは少し心配だったけど、帰らなかった。それでいつも通り自分の家で家事をすすめていた。このことを今とても後悔している。

母はほんとは帰ってきてほしかったけど、わたしを気遣ったのかもしれないとも思う。
帰っていたらどうなっていたかなんて考えてもしょうがないし、たとえその時帰っていても結果は変わらなかったと思う。それでも飼い主は後悔するものなんだとも思う。

次にメッセージが来たのがその日の夕方。「ととちゃんほんとに具合悪い」という短い文章と、いつもの毛布の上でぐったりと寝そべるととちゃんの写真が送られてきた。
わたしがそのメッセージに気づく前に電話も来ていた。わたしはその電話にもすぐに気づかずに数分後にかけなおした。

母は慌てていた。その声でわたしも慌てた。
かかりつけの病院に電話したけど診療時間が終わっていて先生がもういないから、救急病院に行く。こんな状態での運転が不安だからタクシーを呼んでほしい。と言われた。

わたしは急いで実家にタクシーを手配した。そのあと結局母が自分の運転で病院に連れて行くことになったのだけど、わたしがすぐにできたことはそれしかなかった。

「わたしも病院に向かおうか」と聞いたけど、母には断られた。今思えば、いざという時に強がる母の言うことなんて聞かずにすぐに向かってもよかったのだけど、わたしも動揺していて言われたとおりにするしかできなかった。

わたしはいつでも家を出られるようにと支度を始めた。
電話を切ってから1時間半ほど経った時、病院にいる母からまた連絡が来た。

「ととちゃんすごく悪い」「死んじゃう」「心臓に腫瘍があって水を抜くけどそのまま死んじゃうかも」

わたしはできるだけ急いで家を出た。今日の朝に帰らなかったこと、夕方にも帰らなかったこと、いつもの体調不良だと思ったこと、後悔して泣いた。もう会えないのかもしれないと泣いた。電車の中でオロオロしながら泣いた。

病院を目的地にして電車に乗っていたけど途中でまた連絡が来て、「ととちゃんを連れて帰るから家に帰ってきて」と言われた。

どうやら生きているらしいとほんの少しホッとしたけど、このまま家で看取ることになるのかもしれないとまた泣いた。

健康診断では「年相応」くらいにしか言われず大きな病気をせずにきたけれど、今年の8月に12歳になったシニア犬だから、こういう日が来るということはかなり現実的に考えていた。
シニアになる前からもよく、もしもの話はしていたし、だからこそ思いっきり愛そうと心に誓っていた。

わたし自身の当時の体調のことを考えれば去年一人暮らしを始めたことは間違いではなかったはずだと思う。だけどほんの少し罪悪感のようなものもあった。
その罪悪感と単純にととちゃんに会いたいという気持ちで、できるだけ実家に帰って、ととちゃんを撫でて、ととちゃんが望めば遠回りのコースを散歩した。先週の土曜日だってそうやって散歩してきたばかりだ。

それでもいざとなるとこうしてうろたえて、泣いて、これまでの選択を後悔する。

単身赴任先から一足先に病院に到着し、母たちと一緒に帰宅していた父に駅まで迎えに来てもらい、ようやくわたしも家に着いた。

ととちゃんはリビングのソファの毛布の上にいた。生きていた。
腫瘍があって心臓の周りに水が溜まり、心臓が押し潰されていたせいで血圧が下がったりして苦しかったらしい。病院で水を抜いてもらってそれが落ち着き家に帰ってきたところだった。

まだ少し息は荒かったけど、目は開いていて、わたしが帰ってきたことにも反応して、お腹を撫でてもらうために足を軽く開いた。そのお腹を撫でていると、寝起きに甘えてくるいつものととちゃんみたいで、この柔らかい身体の中にそんな悪さをしているものが存在しているなんてやっぱり思えなかった。

母もいくらか落ち着いていて、病院での話を聞かせてくれた。大きな腫瘍があったこと。普段の診察では気づけないものだったこと。こうなるまでは本人が痛みなどを感じるものではなかったこと。水を抜く時にショックを起こして死んでしまう可能性があったこと。もう治らないこと。抗がん剤治療ができること。もしも転移していたらただただ苦しむだけだから安楽死させる選択もあると言われたこと。

嘘だと思った。聞いていてこんなに涙が出てくるのだから嘘であるはずないのに、いつかはその日がくるとわかっているのに、ずっとずっと、わたしが死ぬまでずっと一緒に生きていてほしいと思ってしまう。
ここ数日の苦しさはあったにしろ、自分に何が起きていて、どうしてみんなが帰ってきて、それも泣いているのかなんてほとんど知らないととちゃんを思うといたたまれなかった。

目の前で横たわるととちゃんに顔を近づけて耳の匂いを嗅いだ。トリミング前でモサモサに伸びた毛を撫でた。お腹が呼吸とともに動くのをじっと見つめた。匂いは湿っているし身体は温かいし耳をすませば呼吸の音も聞こえる。それなのにもう死んでしまうらしい。

夜中には遠出していた姉も様子を見に来てくれた。情けないわたしは泣きすぎて酸欠になっていて頭がくらくらしてそのまま眠りに落ちた。

そして今朝、改めてかかりつけの病院に母とわたしでととちゃんを連れて行った。父は車で送ってくれた。

病院のいつもの先生はエコーで腫瘍を確認したあと、A4のコピー用紙に文字を書きながら丁寧に説明をしてくれた。その中には昨日、母から聞いた話もあった。
昨日起きたことをもう一度説明してくれたあと、今後の話をされた。
心臓にある腫瘍を取り除くことは不可能で、だいたいまず考えるのは抗がん剤治療だという。
抗がん剤治療をしなければ今回と同じようなことが起きてしまう。その場合は1か月ほどで亡くなってしまうことが多いと言われた。
抗がん剤治療は昨日みたいな緊急事態になるのを避けるためのもので、延命措置であることや、副作用も教えてくれた。
これをやっても腫瘍はなくならない。腫瘍が小さくなる確率は41%。これをやった場合の寿命の平均は4か月だと言われた。できるだけ緩やかに死んでいくためにする治療だと言っていた気がする。安楽死の話は今日はまだされなかった。

治療についての考え方はいろいろあると思うけど、どちらの亡くなり方を選ぶかと聞かれているようなものだった。
わたしも母も説明を聞きながら涙がこぼれるのを止めることはできなかった。
それでもわたしは先生の言葉を聞き逃さないように必死に聞いた。

どちらの方が苦しまないんだろうと考えた。それは結局わからないけど、抗がん剤治療をすることを決めた。
早速明日から治療が始まる。

帰り道で父に先生からの話を伝えた。一度自分の家に帰ったあとまた実家に戻ってきた姉にも同じように説明した。
わたしは先生から聞いたことをひとつも落とさないように話した。
わたしの説明を聞いている間、姉も泣いていたけど話しているわたしは冷静だった。
きちんと話さなければという気持ちの方が大きかった。父は全く同じ内容ではないにしろ救急病院の方の先生から話を聞いていたけど、わたしからの説明だけになってしまった姉はもしかするとわたしよりつらかったかもしれない。

病院に帰ってからのととちゃんは、昨日よりもすこし元気そうに見えた。それは昨日処置してもらったからだとわかっていてもうれしかった。庭でウンチをしてオシッコをする時も足を上げてできた。そのまま庭をぽてぽてと歩いた。外の音に反応して吠えた。帰宅してからすぐに母が剥いてあげた大好物のりんごは食べなかったけど、いつもみたいに玄関マットですやすやと長めの昼寝をしたあと、お腹が空いて急に起きてきて、いつもカリカリのごはんのうえにトッピングする柔らかいごはんを食べた。わたしたちが夕ご飯を食べている時にいつもみたいにおやつをねだった。

病院で説明を受けている間、ととちゃんは泣いているわたしたちを心配そうに見つめていた。
その姿を見て、もう泣いてはいけないと思った。
病院の先生にも「できるだけいつもと同じように過ごしてください。いつもと違うことにわんちゃんはすぐに気づくし、家族が暗いと不安になったりして身体にもよくないですからね。いつもと同じように話しかけて、ととちゃんがいない時に悲しんでください。」と言われた。

本当のことを言うと病院から帰ってからもわたしは泣いてしまった。気を抜くともうすぐととちゃんに会えなくなるということが頭をよぎってしまう。
でもできるだけととちゃんには見られないようにした。

今日は一度一人暮らしの家に帰ってきたけど、また明日実家に帰ってしばらくは実家から通勤することにした。明日ははじめての抗がん剤治療でととちゃんのことも母のことも心配だから仕事を休むと決めた。次の土曜日の友だちとの約束をキャンセルさせてもらった。

この時点でととちゃんにはいつも通りではないことが伝わってしまうかもしれないし、ただのわたしのわがままかもしれないけど、これ以上後悔しないようにしたい。それでもきっと何かしら悔やんでしまうんだろうけど。

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それと、わたしはもう悲しまないことにした。我慢をするわけではないけど、その日が来るまでは毎日目の前のことだけを考えるようにする。悲しむのはととちゃんがいなくなってしまってからいくらでもできる。残された時間を落ち込んで過ごすなんてもったいない。

できるだけ穏やかに逝けることを祈りながら、できるだけ幸せを感じてもらえる日々にする。

まとまらないまま長く長く書いてしまったけど、わたしが残しておきたいのはこの決意の部分だけだったかもしれないな。

ととちゃんが生きていることなんて、今さら文字にしなくても大丈夫なはずだもん。だって今でも12年前にはじめて出会った日のことや、芸を覚えさせた日のことを思い出せるし、かわいい笑顔と嬉しそうな息遣いが頭に浮かんでくるから。

もしかしたら、こういう記憶も薄れてしまうのかもしれないけど、わたしが死ぬまでわたしの中でととちゃんはずっと一緒に生きていてくれると確信している。

自分の家に帰ってきてからまた声をあげて泣いてしまったわたしだけど、明日はととちゃんにいつもみたいに「とっちゃんただいま〜!」って言うぞ。

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