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恋愛中毒

この本を読みはじめたときは、理解はできるけど共感は出来ないな〜とおもってた。

今の私は、今も、これからも、彼氏がいてもいなくても、結婚してもしてなくても、子どもがいてもいなくても、転職してもしなくても幸せであるという自信がある。

つまり、私の幸せは誰かがいないと成立しないわけではなくて、私という個人のなかに存在してる。となりに誰かがいてもいなくても、いつでもその時が最善なんだ。

と、思ってたけど、読み進めていくうちに、今は隠れてるだけで自分にもこういう部分があるかもしれないと恐くなった。

たしかに、今私は幸せで、それは誰かに与えられてるものではない。自分が幸せと感じているだけ。

だけど私だって、彼氏に会いたいと言われて家に通ってご飯作って、セックスして泊まって起きて、仕事に行った彼が帰って来た時に食べれるようにまたご飯を作っておいて帰る、それが幸せだと感じていた時があった。たぶん本心は2人で出かけたいのに、どこにも行かなくてもいっしょにいればそれでじゅうぶんって思ってた。

2人で幸せになりたかったのに、相手が自分とは違う人間であることがいつも不安で、いつか居なくなってしまうんでしょうと彼に泣きついたこともある。そもそも2人で幸せに、なんて私のエゴだったわけで。

相手を甘やかしていた時、自分はその自覚がなかった。ありがとうと言われることで自分の存在価値を見出していた。ほんとは相手のためにしたことなんて何もなかった。今は彼氏に尽くすように自分を大切にしているだけで、相手ができたらまた自分に向ける分の愛情を相手に注いでしまうかもしれない。

水無月の、相手と自分を同一化してしまうような中毒症状が、気味が悪いと思うのにどこか身近に感じてしまった。ゾッとするね。

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