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書くラジオ「僕は学校に来るヤンキーになる!」

僕はよく落ち込む、そうなるからこそ、そうらないためにあれやこれやとラジオで話している所もある。ではなんで落ち込むのかというと、こうするべきとか、そうしなければならないなどの規範性に捉われているからである。

僕たちはすでに存在している規範性によって生じる評価軸の中で生きていて、日々それによって他者からの評価を下されている。その規範からなる評価軸が自らでは変え難い場合にどうすることも出来なくて落ち込んでいくのである。基本的に多くの人はそこを割り切り、切り替えて、自分のできることを考えてやっていくんだと思う。けれど僕はこのどうすることも出来ない規範性に何故か正面から向かおうする。そして粉砕して落ち込んでいる。落ち込む人はどうしようもない部分に突撃しているんだと思う。僕はその突撃しようとしたエネルギー自体は大事だと思っているが、突撃ではなく、別の方法に変えることを考えている。

その方法の1つとして今回ラジオで話したのは学校に来るヤンキーになるということである。

規範性そのものが簡単になくなるわけではなく、よって自分を取り巻く評価軸も変わらない、だからと言ってその環境を他者と比べて不平等だと嘆くのではなく、少し評価軸をズラしてみようという訳である。それは第二ボタンを外すことであり、先生にメンチを切ることなのである。

評価軸を少しずつ変えることはアーティスト活動みたいである。その点で学校に来るヤンキーは社会の中で表現を続けるアーティストなのかも知れない。

ヤンキーはアーティストである。

こう言ってしまった時にヤンキーを取り巻くヤンキーへの評価軸が少しズレている、この行為そのものがヤンキー的なのである。僕は今、ヤンキーがアーティストであると言うことで所謂ヤンキーではないヤンキーになったのである。

つまり評価軸を自分で作るということである。みんなが悪いことしているから悪いことしているヤンキーもみんながヤンキーがダサいって言うからダサいって言うヤンキーじゃない奴もどっちも変わらないのである。

だから、規範性によって落ち込むくらいなら、ヤンキー的振る舞いをしようと考えている。

あ?である。

ここはこういう規範性ですに対してあ?なのである。

あ?と言ったからには自らで評価軸を拵えていく必要がある、僕はその過程を楽しみつつやっていこうと思っている。

下記のラジオでこの話をしてますので是非、聴いて下さい!

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