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アジア初のオリンピック・東京大会

56年前の1964年、束京オリンピックが開催された。
「世界中の秋晴れを、全部東京に持って来てしまったような、素晴らしい秋日和でございます」
NHKの北出 清五郎アナウンサーの名文句に始まる開会式は、オリンピック史上初めて人工衛星を通じ、全米、カナダに同時中継された。
「東京オリンピックをテレビで」を合言葉に、テレビが爆発的に普及。NHKの受信料契約数は1960年の686万から、1965年には1822万件にまで跳ね上がっている。茶の間でスポーツを楽しむ時代はここから始まったのである。
 
アジア初のオリンピックである1964年の東京大会だが、実はさかのぼること24年前、1940年大会の開催地に東京が決定していた経緯がある。
この時は日中戦争の影響で、開催を返上した。その後終戦を経て、1960年大会の開催地に名乗りを上げるものの、ローマに完敗。翌1964年大会に再び立候補し、デトロイトやブリュッセルを抑えて招致が快定した。
 
オリンピック開催は、戦後の高度経済成長を勢いづけた大きな原動力と言える。首都高速道路や東海道新幹線などの整備を含め、1兆円が大会準備に注ぎ込まれた。この時期のオリンピック開催は、海外へ日本の復興を大きく印象付けたはずだ。

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大会には、93カ国と地域から5133人が参加した。
南アフリカ、インドネシア、北朝鮮、中華人民共和国などが参加していない。
また、当時ドイツは、東ドイツと西ドイツに分断されており、日本は東ドイツと国交がなかったため、両国は統一ドイツとして参加している。この統一ドイツ選手団は、1956年のコルティナダンペッツォ冬季五輪から1964年の東京五輪までの6回の五輪で組まれた。

1960年代にはドイツのほかにも分断された国家がいくつかあった。
当時中国は、日本と国交はないばかりか、IOCを脱退中で東京五輪に参加をしていない。
さらに中国は、東京五輪開催中の10月16日に核実験を行い、世界を驚かせた。
日韓は1965年になって基本条約を結んでおり、1964年の東京五輪開催時には正式国交はなかったが、東京には154人の大選手団を送ってきた。
南北に分かれていたベトナムは、西側にあった南ベトナム(ベトナム共和国)のみが参加している。

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では、1年の延期の決まった2021年の東京五輪はどうなるか。
夏季大会で従来、28を上限としていた競技数による規制を緩めるが、競技数は339種目、参加選手数は12000人を上限とすることが決まっている。
1964年の東京五輪に比べて選手数は2倍、種目数も2倍弱の大会となる。

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