夜を使いはたして――Mくんに聞いた話
noteに何かを書くのは4年以上ぶりになってしまった。2019年3月に書きかけた原稿を見つけたので、完成させてみる。水野くんのいちばん晩年まで近くにいた、Mくんに聞いた話だ。自分はMくんともだいぶご無沙汰していて、当時3月19日の晩に会ったのがほぼ8年ぶりくらいだったと思う。
Mくんは水野くんや自分と同じ、大学のサークルの後輩で、Widescreenにもよく来てくれていた。ソフトロックが好きでベースが弾けるMくんは、水野くんとよく話が合った。
THE TEETHとしてはついぞ自分たちの曲をライブでやる機会が訪れなかった水野くんだけど、じつはまったく別のかたちで、人前でギターを弾く生活を続けていた。亡くなる直前まで毎週末、池袋の某沖縄居酒屋に通っていて、ステージと生演奏のあるその店で、水野くんはギターの伴奏で出演していたのだ。Mくんはそこでよく一緒に飲んでいたのだという。
彼らがたまたまその店に通い始めたのは、まだWidescreenをやっていた2000年代前半のことだったか。自分も何度か一緒に行ったことがある。特に沖縄や沖縄音楽が好きなわけでもないはずの水野くんと、どういう波長が合ったのか。とにかくたまたま飛び入りでギターを弾いたのがウケたとかで、気づけば10年以上も、毎週末に演奏を続けていたらしい。
こう言うと言い訳めいてしまうけれども、自分が亡くなる前の何年も水野くんと会っていなかったのも、週末にその店に行けば必ず会えると思っていたからだというところはある。
Mくんによれば、晩年の水野くんはやはりその店のお客さんと遊ぶことが多かったようだ。お客さんの音楽の趣味も、べつに沖縄に限られるわけではなく、黒人音楽に詳しかったりととにかくバラバラだ。節操なくいろいろな音楽を聴いてきた自分たちではあったから、どんな客が相手でも音楽話を合わせられるところが気に入られたのだろうなと想像する。
晩年の水野くんがどんな音楽を好きで聴いていたか、自分はぜんぜん知らなかった。佐藤清喜さんなど共通の知り合いから聞く話では、どちらかといえばレコード趣味からは撤退してしまったと思わされることが多かった。かつてワンルームの床一面を埋めていたアナログ盤のコレクションも、10年ほど前を境にほとんど売り払ってしまったらしい。新しくレコードを買うこともやめてしまって、佐藤さんがパールフィッシャーズの新譜について話題に出したら、出ていることすら知らなかったとか。あんなに好きなバンドだったのに。
しかしMくんから聞いた話は少々意外なものだった。なんと晩年は日本のラップにはまっていたというのだ。90年代にはデ・ラ・ソウルすら聴いていなかった水野くんが、ラップだなんて! 一方でその感覚はわかる気もした。自分も2010年代にはロックの新譜なんてほとんど聴いていなかったし、どちらかというとKOHHみたいな人の音楽を好きになっていたから。
沖縄居酒屋で出番が終わって、朝まで店の客と飲むようなとき、スマホを卓につないでYouTubeでお気に入りを聴かせあうこともあったらしい。レコード買うのをやめて音楽から離れるどころか、やってることは若返っていたとは。
そうしてお店のお客さんの影響もあるのか、BUDDHA BRANDを「発見」したりして、「『人間発電所』はやっぱりすごいよな!」とか言ってたそうだ。お店にNIPPSが現れたときは興奮して、Mくんに速報メールをよこしたりもしたんだと。
くりかえすけど、あの水野くんが、日本語ラップを。
Mくんが最後に会ったころは、特にSTUTSの「夜を使いはたして」というトラックがお気に入りだったそうだ。STUTS参加の星野源の曲とかどんな感想を持ったんだろう。絶賛するのか、はたまた自分たち世代のおじさんらしく、謂われなき星野批判が繰り出されるところだったのか。話してみたかった。
STUTS - 夜を使いはたして feat. PUNPEE
https://youtu.be/CUxIykX4hfw
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