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電話ボックス(ランダムワード小説)

私がそれを選んだのか、それに私が選ばれたのか。内実は不明だ。とにかく雨が降ったら地面が濡れるように、太陽が照りつけたらそれが乾くように、運命とか宿命とかそんな大それたものと無縁に、私は電話ボックスで暮らすことになったのだ。
ガラスはさすがにプライバシーもへったくれもないから、段ボールで塞いだ。立って寝ることも難しいので、横に倒した。電話はもうなかったから(空き電話ボックスだった)、電話の置いてあった台も工具を使って外した。
元々道端にあったが、それは私自身と同じく無用の長物であることに間違いはなかったので、引きずり回して、長屋と長屋の間に挟まれた小さな、それこそ無用な空き地の隅っこに転がした。
ドアを横にして置く。ぐいっとドアを開けて、身体を転がして中に入ると、膝を押し当ててドアを閉めた。閉めれば、ほぼカプセルのように、私を包み込む。宇宙と呼んでもいい。
なんでもないひなびた住宅地の狭間で、転がった電話ボックスの中で、夜を越えることについて、私はそれなりに頭を働かせてみる。
つまりは、こんな人間がこの世のどこかにまた一人といるだろうかと。
あるいは、こんな夜があるだろうかと。
そして、沈黙とも静寂とも区別つかない無音の世界が私自身の暮らしを包み込む。電話がかかってくることも、電話をかけることもない、電話ボックスの中で。
朝方、ぼんやりと段ボールの隙間から、陽の光がにじみ出てくるころに、物好きな猫が忍び寄ってきて、隙間からその可愛らしい前足でぴょいぴょい様子を伺ってきた。
私はそっくり目を覚ましていたけれど、なんだか面倒臭くなって(なんせ身体を起こすのにドアを蹴飛ばして開ける必要がある)、見え隠れするその前足の動きをぼーっと見ていた。まるで、Twitterの猫動画のようなキュートさだったが、それを撮影する術も、拡散する術も持ち合わせていなかった。
すぐに猫も飽きて立ち去っていった。やがて小学生たちの登校の群れで騒がしくなり、その後百歳体操なるものに通う老婆たちの群れで騒がしくなり、昼頃になってようやく私はボックスから這い出るのだった。
身体中をぼきぼき鳴らして、住処を見下ろしながら、屈伸やら背伸びやらして、生きる準備をする。棺桶のような電話ボックスが転がっている。そこに暮らしや息吹があるなんて、誰も想像だにしないだろう。
ポケットの中の小銭を、手のひらの中で数えて(簡単に数えられるくらいの数だ)、もう一度、そいつを見下ろした。
やけに親しみ深い形をしてやがる。

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