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38・生き残る種とは、変化に最もよく適応したもの

noteの福田尚弘さんの「きょうの一言」がなかなかいい。
いろんな文学者などの名言が、毎日短めに紹介されていて、ちょこっと読むのになかなかいいのだ。最近はとりあえず英文も1回は読むようにしてる。
ちょっと 自分が豊かになるような気がする。

そこの ♡今日のひと言♡チャールズ・ダーウィンで、なるほどと思った。


「生き残る種とは 最も強いものではなく 最も知的なものでもない。
それは 変化に最もよく適応したものである。」

これを読んで、母に当てはまるんじゃないかと思った。
母の美徳で最大のものは、この適応力(柔軟性)だと思うからだ。
90才近くになって、私たち夫婦の家に同居したら、ことさら感じるのだ。

まず、うちの家事のやり方を覚え 合わせてくれた。
そして、暮らし方も。
真面目な母は、健康に気を付け(私たちに迷惑のかからぬよう)、塩分の取り過ぎとか食生活にも気を付けていたのだが、うちの夫は、母に
「お義母さん、塩分なんて好きなだけとっていいんですよ。塩は大事なんだから」と言い
「何でも好きなものを食べたらいいよ。好きに暮らすのがいいんだから」と母の枠を取っ払ってくれた。
母は「ここのうちは、こういう自由な雰囲気なんだ」とわかるや、サッサと自分も趣旨替えして、”こうあらねばならない”という枠をはずした。
それに夫には「健康のため、野菜を食べたら?」とか「お酒飲みすぎじゃない?」などという注意は一切通用しないと分かったら、余計なことを言わなくなった。

長年、こうあらねばならぬと真面目な価値観に支配されていたのに、90才でこの変わり身の速さには恐れ入った。
夫は、自分もあれこれ口出されるのはキライで好きにやりたいのだが、
「人も好きにやってくれ」のヒトなので、家族はラクなのだ。
子供の思春期には、自由にしてくれる父親ということで絶大な(?)人気をほこっていた。

また 母は、田舎の広い家では物を取っておけるが、この狭い娘の家では、収納場所などないとわかり、潔く物を処分するようになった。(戦争時代を生きてきた母が物を捨てるのはなかなかできないと思ってたのだが)
衣替えの季節になると「この洋服はもう着ないから」とさっさと資源回収に回す。私の方が、これは長年着ていたものだから処分すると寂しいかもと思って こっそり取って置く始末。
着ない和服もあっさりバックなどに作り替え、欲しい人にあげた。
物が捨てられない叔母(母の妹)にも、「今はそんなに物を取って置けないんだよ」と説教までしてる。

また、冗談好きな夫がしょっちゅう母をからかうので、何でもかんでも真面目にとっていた母も「これはからかってるのだろうか?それとも本当のことなんだろうか?」と考えるようになり、冗談の切り返しまで覚えた。
夫が風呂上りにパンツ一丁で
「お義母さん、ブラジャーもつけてなくてすみませんねえ」などとからかうと 母も「ブラジャーも買ってあげなくてすみませんねえ」などと切り返すようになった。(これには笑った!)

その他にも、近所の高齢者のお茶のみ会に誘われると、身だしなみに気を使い、友達までできた。

「変化に最もよく適応したものが生き残る」というダーウィンの言葉どおり
母は、97才の現在、多少物忘れが多くなったり判断力が鈍ったりしてるが
「この家はオアシス」「この家は最高」と言って日々の生活を送ってる。
草むしりと料理と みんなにお小遣いをあげる(私達夫婦、孫夫婦、ひ孫たちみんなにくれる)のが何より好きな97才である。


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