「正欲」という本を読んで

 けいこさんという方が推していたので「正欲」という本を読んでみた。結果、むちゃくちゃに面白かった。いや、楽しいとか面白いとかそういう一次的な物じゃなくて、今まで自分が思った事や感じてた事を見直すいい機会になったというか、自分の思考は他者から見たらどうなるのかみたいな、視野が広がった、というか。「これを読んで人生観が変わりました」なんて事は1ミリも無いんだけど、より深く自分を考えるきっかけになったというか、うまく言葉にはまとめられないんだけれども、まぁ6時間も掛けて一冊の本を読んだ感想を簡単に言葉にまとめられた方が不自然ですわな(笑)。誰にでもオススメ!!っていう内容ではないけれど、わたしの事を一目置いてくれている人には多分刺さる内容だとは思う。興味がありましたら、是非。


 実は、わたし瀧澤克成、高いところが苦手です。高所恐怖症とでも言えばわかりやすいのかも知れないけれど、意味としてはそうじゃないんです。

 高所恐怖症ってのは多分、「高い場所=危険な場所=いてはいけない場所」っていう思考で、「こんな場所にいちゃダメだ!!」という危機感や恐怖感からくる感情だと思うんですよ。でも自分の場合はそうじゃなくて、高いところに行くと「落ちたらどうなるんだろう」っていう興味がすごく強く出ちゃうんです。ここから落ちたらやっぱり死ぬのかな、怪我で済むのかな、落ちる時ってどんな感じなんだろう、よく死に直面する時は景色が止まって見えるとか言うけど本当にあるのかな、やってみないとわかんないな、落ちてみたいな。こないだ京都の清水寺に行った時も全く同じ事を思いましたが、「ここから落ちても屋根とかあるし、なんかアチコチぶつかって少なくとも大怪我して、なんかあんまり楽しそうではないな。」とか思って景色を楽しんでました。

 実際に本当に飛び降りたら色々ととんでもない事になるので、基本的には我慢できる、というか理性がちゃんと興味を抑えつけてくれる。けれども、わたしの理性が調子悪い時とかに、何かの拍子で興味が大きく上回っちゃって「死んだらその時に考えればいいか!!」ってなっちゃいそう。自分の場合はそういうのマジでやりかねないなってちゃんと理解できるから、高いところが苦手。デパートのエスカレーター、螺旋階段。駅ビルのテラス、マンションの屋上。わー、高いなーって感じた瞬間の次に思うのは。「落ちてみたい」っていう興味。これ、危ないなーって自分でも思うから、高いところは苦手。

 多分この文章を読んでいて99%の人は「瀧澤さん、、、、大丈夫???」ってなってると思うけど、これが真実であって現実だったりするんだ。でもちょっと考えてみてほしいのは、こういう99%の人からは理解されないであろう興味の方向性、嗜好ってのは絶対に誰でも持っている。絶対に、絶対に誰でも持ってる。しかもいっぱい。わたしもいっぱい持ってる。99%の人には理解されない様な嗜好が。今は「高いところが苦手」っていう割と人に言える嗜好があったから書けたけれど、人には絶対に言えない嗜好も当たり前の様にわたしの中には沢山ある。

 世間は、というか人っていうのは基本的にレッテルを貼るのが好きなんだろうなって思ったりする。この人はA型だからなんたら、この人は蟹座だからなんたら、この人はゆとり世代だからなんたら、この人はモテるからなんたら、この人は病気だからなんたら。レッテルを貼るのが好き、というよりも、一人ひとりの個人に向き合ってしまうと情報量が膨大過ぎてどう捌いてよいのかわからなくて混乱してしまうから、他人に対してレッテルを貼ることで情報を整理して、安心を掴んでいる、っていうイメージの方がしっくりくる。その度合は人それぞれで、「この人はこういう人」っていう型に嵌めようとする気持ちが強い人もいれば、それなりの人、あんまりない人もいる。

 また面白いのがその「レッテル」というものは、自分が知っている範疇の物でしか貼る事が出来ないということ。さっき書いたわたしの「落ちてみたい」っていう話を理解できない人は、わたしにどういうレッテルを貼ればいいのかわからないから「頭のおかしい人」とか「どうにかしている人」っていうカテゴリーに分類したりする。これがもっとわかりやすく、わたしが「高いところは怖くて心臓がきゅっとしちゃうんですよ~。」とか言ってれば、「高所恐怖症」っていうわかりやすいレッテルを貼って、安心する事が出来てると思うんだけれども、相手の言っている意味が全然理解できない時は「変な人」っていうカテゴリーに分類するんだろうなと。でもハッキリ言うと、誰だって誰かにとっての「変な人」だ。

 結構前に全盲のサックス奏者と一緒に演奏をする仕事があったんですけど、その時に言われた言葉がすごく印象的で。

「多くの人は全盲とか聞くとよそよそしい雰囲気になったり、大変だねとか苦労するねとか言ってくれるんですけれども、なんか疲れるんですよ、そういうの。別に全盲だから何々じゃなくて、普通に接して欲しいんですけどね。」

 わたし、その人と初めて会った時に全盲だって事を聞いて「へー、そうなんすか。それよりもこの曲のこのセクションなんですけど。」みたいに話を続けた事が、その人にとってとても好印象だったって後から付き添いの人から話を聞いた。

 とある精神障害を持っている人がいて、ある時、その人がこういってくれたのがめちゃくちゃ印象的だった。

 「瀧澤さん、ずっと前あそこのコンビニで僕と偶然会ったじゃないですか。その時に「あら!!こんにちはー!!元気してます??」って普通に話しかけてくれたのが凄く嬉しかったんです。」


 わたしは基本的に「生きてる限り誰もが大変な思いをしているのが当たり前」と思っていて、どんな話を聞いても「大変だね~。」とか「苦労したんだね~。」とかあんまり思わないし、言わないようにしてる。それぞれがそれぞれの境遇、性格、悩み、目標を持っているんだから、「この人はこういう人」と断定するのは意味がない。わかりやすい所で言うと、血液型占いとか星座占いみたいな類は心底嫌い。世の中に一人として同じ人間がいないのに、それを数種類、数十種類程度に纏め上げてしまおうというなんて横柄過ぎません??って。

 だからわたしにとって「レッテルを張りたがる人」ってのは「物凄く変な人」。他人を普通か普通じゃないかで判断しようとする人も、わたしにとっては「物凄く変な人」。星占いや血液型占いとか毎朝チェックする人も、わたしにとっては「物凄く変な人」。というか、わたし以外の全員が「物凄く変な人」。だからレッテルを貼るような事はしない、というか出来ない。全員が「変な人」っていうカテゴリだから。

 でもでも、「変な人だなー。」とは思うけど、絶対に否定はしないし、嫌いになるわけなんかないし、むしろなんでそれが好きなのか、なんで興味を惹かれるのか話を聞かせてほしいとさえ思う。自分の好きな事を喋る事って楽しいし、楽しんでる人の話を聞くのも好きだし、目を見るのも好きだ。でも、無理して話してほしいとは思わないし、話したければ話せばいい、話したくなければ話さなければいい。

 そうなんですよ、わたしたちは一人一人がここにいるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。正義や悪なんて価値観は場所が変われば一瞬でひっくり返るし、良いとか悪いとか結構どうでも良くて。単純に、本当に極めて単純に、思ったままでいれば良いのかと思います。

 ここまでブログを読んで頂けているのならば、あなたには胸を貼ってオススメできます。是非、読んでみてください。



 最後にちょっとだけ。この本を読みながら途中からずっと頭の中でリピートしているフレーズがありまして。


 思っているよりもずっと世界は単純な仕組みで
 気がつけば僕より見つけた物があるでしょ

 単純だと思い込む人ほど、その単純な事に気づけなくて、単純だとすら思わない人ほど、その単純な事を知っている。様な気がしました。


おわり

もしお気に召して頂けましたら投げ銭などはいかがでしょうか。1000円貯まると僕がサイゼリアでベルデッキオを注文出来る様になります。飲ませて下さい、ベルデッキオ。