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21世紀の少女に訪れる「奇跡」――阿部和重『ミステリアスセッティング』(朝日新聞社、2006年)評

 実在する虚構の街「東根市神町」を舞台にした長編傑作『シンセミア』の続編が待たれる阿部だが、そのための準備作業の一環として書かれたのが本書だという。携帯電話配信の連載小説を一冊にまとめたものである。

 物語は、ある奇妙な公園を遊び場に集う子どもたちに正体不明の老人が語り聞かせる「かつて実際にあった出来事」という形式で開示される。その主な舞台は2011年(同時多発テロ事件の10年後!)の東京。主人公は東北地方出身の19歳の少女シオリ。故郷の街での出来事と、上京後の東京での出来事からなる彼女のライフヒストリーが語られる。

 唄うことが大好きで吟遊詩人になることを夢見る純真無垢な少女シオリ。しかし、彼女の歌声はさまざまな災厄を周囲にもたらすものであったため、彼女は唄うことを封印する。吟遊詩人に迫害はつきものだが、唄えない吟遊詩人となれば尚更である。少女はコミュニケーションそのものから疎外され続ける。上京後もさまざまな迫害を受け、東京の底辺で搾取され続けるシオリは、携帯電話の出会い系サイトで知り合った外国人にスーツケース型核爆弾「ミステリアスセッティング」を託されることになる。不測の事態により動き出す起爆装置。少女は命を賭して核爆発による大惨事を回避しようとする。そのためには、あらゆる人びとから遠く離れた場所へ爆弾を運ばなければならない。そして、少女がそれに成功したとき、静かに奇跡は起こる。

 あらゆる人びととのコミュニケーションから隔絶された孤独な暗闇の中、携帯電話のディスプレイの灯りが照らし出す少女の姿を、語り手は「マッチ売りの少女」と形容する。2011年の「少女」は、エコノミカルな貧しさではなく、コミュニカティヴな貧しさに苦しむ存在。だが、そんな21世紀の「少女」にも「奇跡」は訪れる。物語の最後の最後、重層的な語りの円環が閉じられようとするそのときにようやく、私たちはその「奇跡」が何であったのか、知ることになるだろう。(了)

※『山形新聞』2007年01月14日 掲載

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