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番外・日治台湾の病気事情~日本人の神様をまつる台湾の漁村~

前回、「おまわりさん」が地域の公的仕事を一身に引き受けていた話を出しました。そこで今回は、病気がらみ+おまわりさんのお話をご紹介します。
◎表紙写真は、義愛公の神像を含む、富安宮の神様たち。

今なお信仰を集める日本人警察官出身の神様

 コロナ禍で一躍有名になった「アマビエ」。疫病退散にご利益があるという妖怪ですが、これだけ医療技術が進んだ現代でも、結局は「人ではない存在」に救いを求めるのが人情なのですね。
 台湾でもそれは同様。医学未発達の時代ならなおのことで、日治時代の記録にも「病魔に犯されることが多いので、迷信性の俗信が住民の精神生活を支配している」とあります。総督府は「怪しげな俗信・迷信」として時に禁止までしましたが、祈る方は病気を治したい一心ですから、台湾人たちは指示に従いませんでした。「王爺」と呼ばれる疫病を司る神様の信仰は今も盛んです。
 
 王爺とは異なりますが、病気を治して下さる神様として信仰を集めている日本人がいます。
 明治30~35年の嘉義県に赴任していた森川清治郎巡査、神様のおん名前は「義愛(ぎあい)公」と申されます。貧しい漁村に赴任した同巡査は、物心両面で村人のために尽くしました。しかしそれが高じて村の減税まで訴えるようになった結果、「台湾人に肩入れしすぎる、よからぬ目的があるのでは」と上司から疑われ、厳しい処分を受けます。巡査は身の潔白を証明するために、自ら命を絶ってしまいました。のちに病気流行に注意するよう村人の夢枕に立ち、伝染病も大きな被害を出さずに済んだことから、村人は義愛公の名をつけて神様としました。私が日治時代の歴史に足を踏み入れたのも、義愛公の史実を知ったことがきっかけでした。

こちらは警察官のお姿の神像。生前のお姿に、よく似ているそうです


  私が最も感じ入ったのは、給料まで割いて村に尽くしたことよりも、土匪昔ばなし2で触れた残虐な朴子脚事件が起きた近くの村に、まさに事件発生時に居ながら、その後も台湾人への慈愛が変わらなかった点です。やはり神様になるぐらいの方は、器の大きさが並みの人間とはちがったのでしょう。  
 なお森川巡査の自殺後、その妻は3年後に台南で死去、一人息子は台南地域で公学校の校長をされ、日本引揚げの後東京で死去されました。夫人との間に子供はなく、義愛公の血統は絶えています。

台湾海峡を望む副瀬村に立つお宮

 義愛公の神像は、嘉義県の海辺に位置する東石郷副瀬村の富安宮という廟(日本でいう神社)にお祀りされています。国民党の排日政策が吹き荒れた時代でも村総出で守ってくれたことに、日本人としても感謝をしたいものです。現地を訪ねた折は、できましたらお気持ちをお布施していただければ、と私からもお願いします。

このあたりが副瀬村の中心地。静かで小さな村です


それでも立派な海鮮料理店があるところは、さすが「食が命!」の台湾。卵やミソぎっしりのワタリガニなど、美味しい料理をたくさんいただきました。

 交通は嘉義駅から朴子市街でバスを乗り換え、副瀬村まで行けます。ただし日本人が台湾の路線バスを乗りこなすのは難しいし、台湾の交通費は安いので、朴子市からタクシーの方がいいかもしれません。

村に近い海岸は、夕暮れ時には台湾海峡の日没を見に来る人で賑わいます。

 副瀬村に富安宮以外の見どころや、特に(上記写真の海鮮料理店の現存は不明)お店はありません=なので飲食物の持参をおすすめします。朴子はやや大きな町ですが、見どころは特になし。このエリアに泊まるなら、嘉義市がおすすめ。飲食店やホテルは多いうえ、少し離れますが台湾新幹線へもアクセスできます。嘉義駅を拠点に、珍しい泥湯を楽しめる関仔嶺温泉、大きな門前町の北港や新港、山岳観光で人気の阿里山などに行くことができます。  

 神様にはなっていませんが、生き神様的存在だったもう一人の日本人警官をご紹介します。『台湾協会報』昭和38(1963)年9月号より抜粋しました。 
 中央山脈の中央部=台湾島のほぼ真ん中ですが、ブヌン族の村に赴任した新盛宗吾巡査は農作業や医学的なことを教えるほか、あらゆる相談役として信頼されていましたが、昭和16年に定年を迎え、惜しまれながら日本に帰国。昭和38年に同村へ来た日本の登山隊が「巡査の行方を捜している」と村人たちに頼まれ、帰国後に調べたところ、11月号に続報として「宮崎県で村長をしていたが、昭和29年に死去していた」と掲載されています。  
 
 なお私がお世話になった松本氏(義愛公研究の第一人者)が、義愛公について台湾で調査していた頃、台湾人から「そんな警察官の話は、台湾にはいくらでもありますよ」と言われたそうです。 
 この言葉が何を物語るか・・・日本人は考えてみた方がいいのではないでしょうか。 



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