台湾原住民1~日本人も愛したこの魅惑の世界~
台湾というと「人種も文化もベースは中国よね」と思いがちです。それも正しいのですが、原住民の存在も無視できません。台湾各地には観光地化された原住民の村がいくつもあり、旅行者も気軽に彼らの文化に触れることができます。たいていは環境の良い山あいにあり、おいしい原住民料理を味わえるし、伝統工芸も良いおみやげになるので、想像以上に楽しめます。ひと味ちがう台湾旅行をしたいなら、原住民の村(私の紀行文は次回)をぜひプランに入れてみてください。
そういうわけで、しばらくは、台湾原住民についてのお話を連載します。
◎表紙写真は、台湾最南端の屏東県三地門のパイワン族の祭り風景より
私がなぜ原住民に興味を持ったか
日本時代の台湾では、原住民を「蕃人」、彼らが暮らす地域を「蕃地」と呼びました(蕃は「蛮」と同意語)。私が日治時代の蕃地事情に興味を持ったのは、以前ご紹介した『植民地台湾の日本女性生活史』日本統治時代の台湾に関連した書籍ならコレが個人的ベスト1|滝上湧子(たきがみ わきこ)|note、その中に描かれた蕃地勤務の日本人巡査の生活の過酷さに衝撃を受けたからです。
蕃地勤務は山奥のうえ、仕事は警察業務以外にも原住民の教育・生活改善など激務でした。そのため体力のある若い巡査が選ばれ、その妻や乳幼児も一緒のことが多かったのです。
それなのに水はろくになく(遠い谷底までくみに行ったり、米のとぎ汁で洗髪)、物資も不足がち、そのうえ首狩りの風習を持つ部族にいつ殺されるかわからない中で、若い奥さんたちは子供を産み育て、原住民と打ち解け、時に彼らの教師役までやってのけたのでした。
時代が下るにつれ、生活は次第に便利になりますが、大正初期までは信じられないひどさでした。なぜ当時の日本人はこんなに我慢強くて頑張り屋だったのか、理解できないほどです。「このすさまじい史実をもっと知りたい」と思ったことが、原住民について興味を持つきっかけとなりました。
台湾原住民とは
現在は16部族・約55万人を数えます。台湾の人口のわずか2%ながら、漢人よりはるかに長く台湾を支配していただけに、その存在感は今も小さくありません。そして台湾観光の大きな要素ともなっています。また一般的な台湾人の8割にも、原住民の血が流れているというデータもあります(=中世以降、台湾へ移住してきた漢人との混血が進んだためでしょう)。
彼らの民族的起源は、今も完全には解明されていません。風習や身体的特徴などからマレー・ポリネシア系に属すると考えられ、主に6~10世紀頃に東南アジア方面から海を渡ってきたといわれます。
日治台湾での原住民の立場
当時の台湾で日本人が抱いていた原住民の大まかな特徴は、
・命を惜しまない勇猛果敢さがある
・信義を必ず守る
・敵の首を取る
などがあります。このどこか武士道に通じる精神性のために、日本人は原住民に好感を抱いたようです。彼らと接した多くの日本人が「義理人情に厚く、勇敢で純真」と賞賛、「高潔で人を騙すことを知らず、顔立ちは美しくて高貴」「商売とカネ大好きな本島人(台湾人)より信用できる」と手放しでほめる人もいました。
日治時代、阿里山登山には警察の許可が必要でした。登山心得には「途中では再三蕃人に遭いますから、以下のように注意してください」として、
・相手があいさつしましたら、ニコヤカに答礼してください
・一切からかわぬようにしてください
・善いことを教えてください
どこにも「危険」という文言はなく、むしろ彼らの純真さを日本人が大切にしていたようですね。その1番の理由は、平和な蕃地統治のためでしょう。しかし日治初期は原住民に殺される者も珍しくなかったことを考えれば、「いつしか日本人が原住民に魅せられていった」事実もあったことを感じます。