代書筆4 私の結婚~ハタチで「晩婚」
大正10年、私は公学校を卒業。善化には高等科がないので、私は同級生たちと台南に行って進学準備をした。そうして、台南商業の補習校に入って英語を学んだ後、台北工業学校を受けることにした。
受験の前日、私と同級生たちは善化駅から汽車に乗った。台北までは昼間だと10数時間かかるが、夜行急行は7時間だった。この年は、受験者1800人に対して合格者はたった30人という激烈なものだったが、私は合格した。ところが悪いことに、この年は父が目を悪くして仕事に支障が出てきたので、進学自体が無理