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【読み切り】『(たぶんきっとおそらく)(でも責任はとれないから)』漫画ならではの凄い表現
日本人ならたぶんきっとおそらく一度は思ったことがあるはずの話。
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自分自身も当てはまるし、他の人もそうかもしれないんですけど、できるだけ曖昧に言うことで責任を回避したくなるような気がする。
…というような「表現」についての話。
「責任逃れの枕言葉」を使うことが誠実さの現れ。そんな風に自分も思っていた節がある。確信もないのに言い切るのは良くない。断言することで他者を支配することは恐ろしい、と。
しかし「根拠に基づく正しい情報」と「個人の考える意見」は別物だ。前者は正解があり、後者は正解がない。
後者の意見、つまり確定的ではない物事に対しては、余計なエクスキューズを付ける必要はない。
それなのにわざわざ「責任逃れの枕詞」を使うのは、他人との摩擦を回避したい自分の弱さの現れといえる。
あるいは断定的な口調で話す不快な他者の記憶があるから、そこに近づきたくないとう欲求もある。
…というのが自分語り。漫画の話に戻ります。
この漫画の中では、社会におけるコミュニケーションの前提ってこうだよね、と指摘している点が面白い。
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人々が言語に出さない、前提を「カッコ」で表現する。漫画でしかできない表現で凄い。
上記コマの徐々に近づいていくのも、現実の解像度が徐々に上がるような感じ。背筋が凍る恐ろしさもある。
世の中はそういうもんだよね、というどことなく冷めた視点が、魅力だ。
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枕詞を使わない強い言葉には、常に切り捨てられた思いが存在する。
断言することでコミュニケーションは簡略化するし、加速する。踏みとどまることなく、会話は進む。
特にビジネスという「機能」を求められる場では、その方がスムーズである。
あるいはプレゼンテーションでも「(自分の成功例が必ずしも正しいわけじゃないと思うし、偶然という可能性もある、なんなら万人に通じるわけがないと思うけど)成功の秘訣は○○です(と言うことで得られる社会的承認と、金銭の見返りのために、断言することを選んで私はこの場にいる」
という感じで、全てが成立している。
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主人公は、この世界で求められているプロトコルに気づき、枕詞を使わないコミュニケーションを始める。
それ自体が祝福のように描かれて、漫画は終わっている。
主人公にとってこの変化は良かったのか?ここから先は個人の解釈による。
私は「枕詞を省いたコミュニケーションによって失うものもある」と思った。というか、自分にとっての友人関係において求める方向性ではないな、と。
一方で、社会においては「そんな回りくどいコミュニケーションはいいから、断定と賛同を是としたやり取りが好ましい」と考える人も多いはずだと、漫画を読んで再発見した。
マンガ表現自体が面白いし、内容についても一言触れたくなる良作だった。
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