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奥多摩ガールズキャンプ。


奥多摩ガールズキャンプは二泊三日のコースで開催された。
小学四年生、五年生、六年生と歳の近い4人が集まり古民家の屋根の下で共同生活をおくる。
女子だからといって特にスケジュールの変更は無く、5時の起床から学習、川遊び、焚き火を通じて、夜には解読会をおこなったりもする。
考えてみれば、今年の私は男子のみの合宿だけで無く、男女合同の合宿、女子合宿と様々な合宿を運営することができ、いろいろな状況の子供を観察することができた夏であった。
更に言えば、勉強合宿を始め、水上教室、焚き火合宿など、合宿の目的もそれぞれ別々であり、実に多様な状況を観察する機会にを作り出せたと言えるだろう。

ここに男女間の学習に対する観察の同一性と対称性を見出すのは面白い。
まず私達は現代教育という新しい価値観に翻弄されて、この教育社会という大きな川を流れていた事に気付いて、冷静に岸まで泳いでみたいと思う。

はじめに子ども達は男の子も女の子も皆それぞれに違いはあるが、個人の学習においては発達に大きな差はないだろう。
子ども達は言葉遣いや仕草は勿論、表情や癖など、大人を含む周囲の環境に大きく影響を受け、その性格や基本的な能力が決定していく。
極端な言い方をすれば、子どもが変化するための最短ルートは、親の意識の変化である。
総じて、私達自らが直面する子どもの姿とは、何らかの形で我々大人の姿の一部を表している鏡の様な存在とも言えるだろう。
学習する際には男や女という問題は、あまり重要ではない。
男女に関する課題は、共同生活や社会性などの、集団的な解決の模索が必要な状況で発生する問題の様だ。

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