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2021古民家合宿 10日目 鹿の話

本日6時半。自宅前の山に三台の軽トラックが駆けつける。
トラックから降りてきたおじさん達はオレンジ色のベストを着ており、そのうち1人は鉄砲を持っていた。
「大きいから、鉄砲使うから。」
「あの、ここから見学させてください。」
「ここからなら大丈夫だよ。」
おじさん達は山に入っていき、罠にかかった鹿に近づいていく。私はみんなを呼びに一旦家に戻る。
「鹿がいるぞ。」
家の中からぞろぞろとみんなが出てきた。
おじさん達の向かっていく先にある杉の木の近くで大きな鹿がもがき回っている。
私たちの距離から目視することはできないが、罠にかかっているのが分かった。
「大きな角があるから、オスの鹿だと思います。」
誰かが呟いた。
確かに、大きくて立派な二本の角が確認できた。

山の中を、何度か鹿の叫び声が通り抜けていった。
これから死ぬ生き物の叫び声を聞くというのは、夏休みに奥多摩で勉強合宿をしていた都会育ちの私たちにとっては珍しいことだった。
 今、山の中で鹿が殺されている。
結局、大きな鉄砲の音は鳴らず、棒のようなもので殺したらしい。何度か断末魔が聞こえた。この場所からでは鹿が地面に横たわっていて、その周りで3人の大人が何かしていることしか分からなかった。
 「僕たちが普段食べている肉も、どこかで誰かが殺しているんですよね。」
誰かがつぶやく。
 可哀想とはまた違うような、言語では捉えきれない体の表面が痺れる感覚が周りを包んでいた。
 黒いソリのような布に積まれた鹿が、斜面を引きずられてトラックの前まできた。首の下、心臓のあたりに血が付いている。
大人3人が息を合わせてトラックの荷台に鹿を積む。
「せーのっ!!」
鹿はトラックの荷台に収まり、布などがかけられることは無かった。
 気がつくと先ほどまで真剣な顔つきで鹿に向き合っていた3人の表情が、優しいおじさんの顔になっていた。
「おーい。ジュースあげるからおいで!」
子ども達がジュースを貰って帰ってくる。

 あっという間の30分間が通り過ぎ、また夏の静かな古民家のなかに戻る。が、皆の心はどことなく高揚していた。興奮ともいえるかもしれな。とにかく、「今の気持ちを皆んなと共有したい。」「この出来事について語りたい。」という気持ちで溢れていた。
 そして、合宿生活内で自在に活動することのできる私たちは、すかさず学習時間を用いて今の気持ちを文章化する。作文用紙、ノートパソコン、様々な方法でアウトプットしていく。書き終わってみると、気持ちが整理されたような感覚がある。
 見直し添削を終了した生徒は文章をスマホに打ち込み、作文投稿のページにそれを投稿していた。

 里山古民家のようなところで生活している人たちにとっての当たり前の日常も、都会生活の我々にとっては一つ一つが新しい発見であることが多い。今回のように都会で生活しているところからでは到底覗くことのできないような現実が自然を通して目前に迫ってくることも多々ある。
 自然を目の当たりにする感覚を少年のうちから経験し、自分の中で整理しながら体験として積み上げていくことは、心の発達における重要なプロセスであり、大人は、これから出現してくる次の世代のために、生の経験ができるような環境を整えるべきである。
 受験勉強だけでなく、命に対して、死に対して、性に対して、心に対して、言葉で捉えきれない様々な感情や意識に対しても、この静かな古民家生活の中で、自分なりにゆっくり考えてもらえればこれ幸いである。

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