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2021年3月6日 -不安産業になってないか?-

こんにちは、中嶋です。

3月に入り、暖かい時間と肌寒い時間が交差している日が続きますね。体調を崩す人も多いみたいなのでどうか皆さん気をつけてください。

さて、近況ですが、来年度の準備を色々している毎日です。コロナ禍もあり仕事のあり方や考え方も変化させていかないといけないと思っていますし、色んな形で自分のやりたいことをやっていけるようにしていきたいと思っています。

最近、書きたいことを運転中とか移動中とかに思うのですが、忘れてしまうことも多々あり、そんな日のために昨日は書き残しました。

昨日は韓国エンターテイメントの走りを書いて終わったので、今日はちょっと別の視点で

不安産業について少し書いてみたいと思います。

不安産業

不安産業って言葉をご存知ですか? 意味は貼り付けてみましたが、人の不安を商売の元にしている産業の事です。

僕らの活動において、この不安産業になっていないか? ってのが今日の話です。

特に子育て中の親は、自分の子育てが不安です。と言うより自分の子供の事よりも自分自身が不安です。だから出来るだけ不安がない場所に居ることが子どものではなく親の安心なのです。クラブの活動も、学校も、もしかしたら仕事の選び方も不安じゃない場所で居ることが安心と言う生き方、選び方をしていることが多いのかもしれません。

昔は、こうなればこうなる的な安心ルートがあったのかもしれませんが、そもそも子育ての安心ってなんなんでしょうか?

親は自分自身が安心したいからこそ、もしかしたらその不安産業に動かされてないか? って話です。

それが、子供のためと思ってやっているだろうし、子供も決断、自己責任を追うことなく親の言う通りにやっていたほうがある意味楽です。だって、その先の責任は決めた親にあるはずだからです。

でも、その、一方でよく耳にしていたのが、自分の子供を否定する人がとても多いです。

"うちの子は全然だめ..."

"勉強も家では全然しません"

"自主トレとかもしないし.."

"足も遅いし、機敏じゃない"

その可能性を最初からいろんな視点で否定されます。でも、これも親が安心したい言葉の一つなじゃないかな?って思うのです。うちの子は優れていません。って言葉を使うことで自分の安心、責任、子育ての失敗になりそうな事を子供に押し付けたりするのです。


うちの子なんて全然.... でも、安心はしたい
子供を主体的に自律させたい....    でも、親が安心できる環境に置きたい。


なんだかなぁと思うのですが....

そんな風に思うのであれば、いっそのこと子供に全部任せればいいのに、親がそれでも安心したいからそこは親がコントロールしていきたい。なので、主体的で自律した子なんて育つことが無く、そもそもそんな自分で選ばせたり、困難な環境に居る意思も親が奪うのです。

子供が興味があるものとか、やりたいこととか、そんな気持ちなんてどうでもよく、親がある意味で安心出来る場に居ることの方が良い場所になるのです。

環境で人は育つ

少なくとも、僕の所はそういう狙いは全く無いので、親御さんにとってはとても不安な場所でしょう。負けたら何かの負い目を感じるのでしょうか? 上手く行ってないって感じるのでしょうか? 

子供がどれだけ笑顔溢れプレーしていても、子供が試行錯誤しながら成長している姿を見ることは無いのでしょうか??

でも、そもそもフットボール界の安心ってなんなんでしょうか??  

試合に勝つことでしょうか? 勝てそうなチームに居ることでしょうか? 

それとも、そこから得る何か?のためでしょうか?  進学の世話しますよとか? 親が安心出来る何かがあるからなのでしょうか? 

何とか大学まで行ければ??

そんな事が安心になっているのであれば、その先はどうするのでしょうか??

いつ、親は安心するのでしょうか??

と、よく思い感じます。


僕も親なので

僕も子供の親です。子供が不安とか感じたことありません。それは、子供は自分ではないからです。自分の軸に子供を置いていては、いつまでたったも親の感情、目線、考え方、思考で、子供を縛ります。

でも、子供は自分ではないし、同じようには生きることはありません。

主軸を子供は子供に、自分は自分に、持つことで親であったとしても他者として接することが大事だと思っているからです。

ときに、彼女に振られることもあるでしょうし、時に怪我して上手く行かないこともあるでしょうし、自分の決断が失敗することもあるし、時に上手くいくこともあるし、そんなすべての出来事の中で感じ学ぶのはあくまでも自分であって、何が安心するのか? 何が不安なのか? そんな事なんて子供の感じ方で変わるでしょう。

そういう体験をしながら、本当に大事なものを見つけていくはずなのです。

安心していた場所で、上手く行かないこともあるし

不安定な場所で、上手くいく方法を見つけ改善していく事もある

そもそも、安心なんてこの世のどこにあるのでしょうか??

いつ、死ぬか分からない日々の中で、自分の感じ方、感情、思考や想いをもっと大事にしていくべきだと思っています。

だから、親が子供に伝えれるのは、そういう想いを大事に自分の人生を生きて欲しいということだけです。

この世の多くは、誰かがその安心を捨て何かを創り出した先にあるもの。

たった一度の人生で、たった一度の時間を親の安心のために生きる事なんて、する必要はありません。

僕は子供にはそう伝えるでしょう。


だから、

僕は僕らしく

君は君らしく


親子であっても、他人です。お互いに影響はされるとは思うけど、お互いに自分の人生を生きればいいのです。


不安は僕にだってあります。


でも、だからといって自分らしく、自分の子供らしく生きれない人生ほど、つまらないもの無いじゃないですか? 

転んでも、上手く行かなくても、失敗しても、涙流しても、自分の人生を自分らしく生きてほしいと思います。

それが、心が望むのなら...

そんな姿をいつまでも暖かく受け入れるのが、親だと思うのです。

子育ての不安のために、大事なものを見失わないように

自戒を込めて書き残したいと思います。


ではでは!! 



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