最適化より標準化

おはようございます。中嶋です。今日は8月3日(火)。天気は晴れで、朝からは心地よい空気を吸いました。本日も朝活をスタートさせています。

昨夜は帰りが遅くなって、1時30分ぐらいに寝てしまったので... 朝活が出来るのか? 朝、起きれるのか? って、実は心配でこういうTweetをしてしまいした。(笑)

約、3時間ぐらいしか寝れてないわけですが... 今日もアラームなしで起きれるという。これ、ある意味恐ろしくなってきました。(笑)

当たり前になっている無意識的なこの起床出来る自分を創り出しているのが習慣の力としたら、悪い習慣もこうやって気づかないうちに自分はやっているということで、それを積みさ兼ねていってるとすると、違う方向性の自分を創り出しているんでしょうね。

その習慣は、自分のアイデンティティ(動機にも)にも繋がるので、人を習慣が創り出すと言っても過言ではありません。

なので、積み重ねていくものが何なのか? どういう習慣を創り出すのか? って、とても大事です。


今日の

最適化より標準化

ってタイトルなんですが、僕もなんですが、皆さんより良くしていくことが強くなり、その行為だったり考えだったりの標準化より先に最適化を目指していませんか? ってことです。

最適化とは、「制約条件がある中で複数の選択肢を組み合わせ何らかの成果を出すとき、その成果を最小または最大にすること」をいいます。一方、「最適」とは「最もよくあてはまっている」という意味です。
標準化とは、いつ・誰が行っても、同じ手順で無駄なく作業を行えるかを示します。業務を標準化にすることで、作業手順にばらつきがなくなり、属人化になることなく、業務を行えることで、企業の生産性を高める事ができます。

と、違いを引用から書き出してみました。

習慣の話から持ち出すと、人はついつい最適なものを生産したいとやはり思うじゃないですか? 例えば、筋トレしたいと思うと最適な形でいち早く結果を出したいと.... 勿論、そういう思考でやることはとても大事だし、自分自身いち早く結果を出していきたいのも分かる。ただ、その習慣形成が当たり前の標準化されてないのに、最適化ばかりを目指していたら? って話です。

結果も出ないものに時間を使い、そんな無駄な習慣を生み出したくないって思うんじゃないでしょうか?

そうなると、良い習慣になろうとする前にその標準化された習慣を生み出せなくなっていくし、その習慣を否定しがちになります。

最適な成果こそ、自分の楽や欲になってしまい、その過程や日常に目が向かなくなるのです。

これでは、良い習慣が自分を創り出すことは難しいかもしれないですね。


筋トレも、例えばこのような記事も、別にいっぱいしなくても良いし、最適ではなくても良いのです。先ずは、1回で良いから、1分で良いから、続けるという習慣を自分に持つこと。最適な成果よりも、最低でも良いから標準化された習慣で生きてみると言うことですね。

そして、一回ぐらい習慣が続かなくても、自分を責めずに、また良い習慣に戻れるように易しく出来る習慣の標準化の方に自分のアイデンティティを向けることが大事ですね。

その繰り返しの先に、最適化は見えてくるはずです。

僕も、この記事を25分のポモドーロからスタートし、今では20分のポモドーロで書き上げれるようになりました。

1400文字を、ダラダラと書くことからスタートさせ、書き続ける事を定着させ、25分という時間で括って、今は20分で書けるようになりました。


これを最初から20分で書くと決めたとしても、中々難しいし最初から最適な形を求めていたら、書くこと自体が好きにはならないと思います。

先ずは、自分がやっていることを標準化させていくこと。

これこそが、習慣の第一歩だし、自分のアイデンティティの構築の第一歩になるのではないでしょうか?


良い習慣が自分を創り出します。

さぁ、今日も何かを標準化させれる1日を楽しんでいきましょう!!! 


では、良い1日を♪

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