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【大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉】 第101回 『大人の流儀4 許す力』から


訃報

2023年11月24日夜に伊集院静氏が亡くなりました。73歳でした。
ご冥福をお祈りいたします。
非常に残念です。「大人の流儀」をもっと長い間拝読したかった……。





大人の流儀

 伊集院 静氏の『大人の流儀』から心に響く言葉をご紹介します。私は現在『大人の流儀』1~10巻を持っています。このうちの第1巻から心に響く言葉を毎回3件ずつご紹介していこうと考えています。全巻を同様に扱います。

 時には、厳しい言葉で私たちを叱咤激励することがあります。反発する気持ちをぐっと堪え、なぜ伊集院氏はこのように言ったのだろうか、と考えてみてください。しばらく考えたあとで、腑に落ちることが多いと感じるはずです。

『大人の流儀4 許す力』をご紹介します。

 ご存知のように、伊集院氏は小説家(直木賞作家)で、さらに作詞家でもありますが、『大人の流儀』のような辛口エッセーも書いています。


大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉 第101回 『大人の流儀4 許す力』から


第1章 許せないならそれでいい

「消せない口惜しさ」から

伊集院 静の言葉 1 (300)

 二十歳の少し前まで、野球ばかりしていた。朝から晩まで、いや就寝前もバットスイングをしていた。
 どうしてあんなに夢中になれたのだろうか、と時折、その頃のことを思って首をかしげてしまうが、やはり野球の素晴らしい魅力にとりつかれていたのだろう。
 野球をしていたお陰で、就職もできたし、小説で文学賞をいただいたのも "社会人野球、街の野球" が題材だった。
 野球というスポーツには不思議な力がいくつもある。草野球にだって奇跡のようなプレーが起きる。

大人の流儀 4 許す力 伊集院 静 


「消せない口惜しさ」から

伊集院 静の言葉 2 (301)

 スポーツ新聞で興味あるインタビュー記事を読んだ。
 読後、感心し、私が想像していたとおりの選手だったと安堵と嬉しさが湧いた。
 清原和博のインタビューである。
 私は二十七年前の春、彼が西武ライオンズに入団し、初ホームランを打ったシーンを見て、この選手は日本球界を支えるスラッガーになるだろうと週刊誌の連載エッセイに書いた。
 それは選手としての能力もあるが、それ以上にドラフトで起きた桑田真澄との事件を黙って耐え、迎えてくれる球団があるなら、そこへ行くと決めた潔さだった。
 そのインタビューの内容は、二点あって、ひとつはあの年のドラフトの前後に何があったかが語られている。もう一点は日本のドラフト制度の問題点とウェーバー制度の導入の必要を語っている。

大人の流儀 4 許す力 伊集院 静 


「消せない口惜しさ」から

伊集院 静の言葉 3 (302)

 私は銀座でクラブ活動をしている折、時々、彼と逢い話をするようになった。礼儀正しさは驚くほどだ。義理、人情に厚いことが会話の中の言葉でよく伝わってきた。
 会話をしていて、この人は相当に繊細な人物だとわかったし、世間が抱いている "清原番長" のイメージとは当人の真の気質は違う所にあるのかもしれないと思った。
 聡明なのではないか(何を驚かれるや)。たぶん、私の目は間違っていない気がする。
 だから私は清原に野球の監督をやらせてみたい。世間が抱いてきた彼の心象とはまったく違う野球を作り出すのではと思っている。
 インタビューの中で桑田君のことが語られているが、その言葉に恨みや批難めいたことが感じられないのにも驚いた。
 大人になったのである。許したのである。

大人の流儀 4 許す力 伊集院 静 


⭐出典元

『大人の流儀 4 許す力』

2014年3月10日第1刷発行
講談社


表紙に書かれている言葉です。

あなたはその人を許すことができますか。


✒ 編集後記

『大人の流儀』は手元に1~10巻あります。今後も出版されることでしょう。出版されればまた入手します。

伊集院静氏は2020年1月にくも膜下出血で入院され大変心配されましたが、リハビリがうまくいき、その後退院し、執筆を再開しています。

伊集院氏は作家にして随筆家でもあるので、我々一般人とは異なり、物事を少し遠くから眺め、「物事の本質はここにあり」と見抜き、それに相応しい言葉を紡いでいます

冒頭の「訃報」で書きましたように、2023年11月24日に急逝されました。
非常に残念です。『大人の流儀』の続編を拝読したかった……。


私は二十七年前の春、彼が西武ライオンズに入団し、初ホームランを打ったシーンを見て、この選手は日本球界を支えるスラッガーになるだろうと週刊誌の連載エッセイに書いた。 それは選手としての能力もあるが、それ以上にドラフトで起きた桑田真澄との事件を黙って耐え、迎えてくれる球団があるなら、そこへ行くと決めた潔さだった。

清原和博氏と桑田真澄氏について簡単に触れ、伊集院さんが言及した内容についてもお伝えしようと思います。

清原氏と桑田氏はともにプロ野球に入団する前、当時の高校野球界に名を馳せたPL学園高校の選手であり、全国的に抜きん出た選手でした。

清原氏は痩せた体型をしていましたが、長打力が売り物の一塁手で、桑田氏は小柄でしたがコントロール良く、力のある球を投げるピッチャーでした。強打者でもありました。

ふたりともドラフト会議にかけられ、世間的には読売巨人軍(読売ジャイアンツ)が清原氏を1位指名することが暗黙の了解となっていました。ジャイアンツもそれを認めていたフシがありました。

ところが、いざ蓋を開けると、世間も清原氏も桑田氏も(?)あっと驚く結末が待っていました。

読売ジャイアンツは、1位指名を清原氏ではなく、桑田氏にしたのです。土壇場でジャイアンツは両選手も他球団をも巻き込んで、作戦変更をしたのでした。最初からこうした作戦を考えていたのかもしれません。

これも戦略といえば戦略ですが。敵を欺くにはまず味方から。

清原氏は最後の最後でジャイアンツに裏切られた思いが強くあったはずです。

ドラフト会議の結果、清原氏は西武ライオンズに1位指名され、桑田氏は読売ジャイアンツに1位指名されました。

二人がセ・リーグとパ・リーグの球団に別れ、ライオンズとジャイアンツの主力選手として日本シリーズで対戦し、ライオンズが優勝した際、清原氏がダイヤモンドで涙したときがありました。

「これでジャイアンツにあのときのお返しができた」という思いが胸いっぱいに広がったことでしょう。

とても印象的なシーンでした。

私は幼少時からジャイアンツファンです。半世紀以上になります。王、長嶋、柴田などが好きでした。

しかし、ここ10年ほどのジャイアンツの戦いぶりには落胆させられることばかりです。

後日談になりますが、清原氏もジャイアンツに移籍し、桑田氏と一緒にプレーしたことがありました。ドラフト会議でのドタバタは忘れることができない出来事であったと思いますが、野球人生においてそうしたわだかまりを捨て、再び二人が同チームでプレーすることになった時には、二人は大人になっていました。


清原和博氏 盟友・桑田真澄との思い出を語る「そこが彼の信念」


桑田真澄、清原和博との思い出語る - PL時代の葛藤と運命の分岐点


(3,459 文字)


🔶『大人の流儀3 別れる力』について『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』の中で言及しています。

伊集院静と城山三郎
『別れる力 大人の流儀3』
私が伊集院静さんに興味を持ったのは、彼の先妻が女優の夏目雅子さんであったこともありますが、『いねむり先生』という題名の小説を読み、不思議な感覚を味わい、また『大人の流儀』という辛口エッセーを読んだからです。 

由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い p. 212 


夏目雅子さんのプロフィール



🔶伊集院静氏の言葉は、軽妙にして本質を見抜いたものです。随筆家としても小説家としても一流であることを示していると私は考えています。



<著者略歴 『大人の流儀』から>

1950年山口県防府市生まれ。72年立教大学文学部卒業。
91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で第107回直木賞、94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。
作詞家として『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などを手がけている。




⭐ 原典のご紹介

許す力 大人の流儀4


別れる力 大人の流儀3


続・大人の流儀


大人の流儀



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