苦手な父と私を受け容れる
見たくなかった私と、苦手な父との写真を見たい。そう思い実家にある昔の写真を母に出してもらった。(経緯はまたいずれ)
静かなお正月の3日間。戸とカーテンを閉めきり、誰も入れず、取り調べのごとく貪った。
そうして写真を辿る中で、母・父・私・妹のいろんな写真を見ることになる。
微妙な顔やシーンの写真は少ないけど端々には見てとれて、不満・戸惑いも含んで一緒にいた。そして父の写真が出てきた。
父がどう感じて生きて来てるかは、切って生きて来てるから知らないんだけど、様子や表情を見てなんか安心した。というか、だんだん、何も言えなくなってきた。
思い出せない方が都合がいいことも、これだけ出てくると清々しい。モデルやギャップではない私自身を見ていてほしかったし、私自身を聴いていてほしかったし、もっと触れていてほしかった。(これらは母にも、というか母にだなぁ)
どこで誰と何をしていても牢屋(自分の部屋・両親)に軟禁されていて、そこから出られない、だから脱走しなきゃ、逃げ続ける・息継ぎするだけで精一杯だ、でも帰宅は毎日することになっちゃうし、淀むけど、承認される何かも日々をやり過ごすには必要で、色んな所で色んな事をしては中途半端で人間関係も上手くいかず環境ごとリセットしてまた次へ、という迷子を繰り返してきた人生なんだけど、こうして籠の中で満足そうにしてる姿も見て振り返ると、ひとつひとつをクッキリとは思い出せなくても育ちによって守られてきた部分があるのは事実で、記憶ってアテにならないと思った。決めつけれることがほんとはない。
そして、私はめちゃめちゃ美しかった。
生まれつき外れだったんだから自分ではどうしようもない、父の血が入ってる肉体と存在だなんて、それを身体から排除できないなんて呪いだ、なんで生まれつき優れてないハンデのある肉体と才能で生んだんだ、なんで父の目的のために搾取・使用されるために製造されてるんだ、それをしていい・要求していいと思ってるんだ、そもそもこの地域に生んで置いてること自体呪いだ不利すぎるじゃないか足を引っ張るな
と責める自分が子供の頃からあったんだけど、それは、身についた自己否定癖や、結果何もしない様に留めることで自分を守っていた無自覚な知恵で、もともとは、自分にとっての清濁以前のものを圧倒的に受け取っていた。
もう充分大人なのに、こうして親や家のせいにして変化しない部分を残してることが幼稚でイヤだったけど、でもどうしたらいいかも分からなくて長い間困っていた。こうして向き合ってみたら、まだ気持ち悪さもあるけど、優しい気持ちや癒しの中にいる。受け容れてるんやなって。ゆっくり沁みて、日々の中でも見つけて感じて、現れる変化に乗ってけたら嬉しい。
続く?かも。付き合ってくれてありがとう^^
メンタルモデルはもちろん、この3日間はNVCに支えられた。能見たか子ちゃん、子どもニーズカードつくってくれてありがとう!