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言葉の復権を

 今週も『#昨日なに見た?』を聞きました。軽快なおしゃべりに心も和みます。今回の配信は、『ダイヤモンドの功罪』の振り返りから始まり、MOROHAって言うバンドの新曲『命の不始末』に触れ、MOROHAの対極にあるのがYOASOBIという音楽ユニットである、という話になりました。正直、還暦の私にはどちらも縁遠く、今回始めて知った次第です。検索して、MOROHAの過去の曲『Tomorrow』や今回の新曲『命の不始末』を聞いたけど、どうもしっくり来ません。基本的にラップなのでしょうが、リズム感に欠け、字余りだし叫んでる様に感じます。このバンドと同じ系譜は、我武者羅應援團だよね。これはこれで好きだけれども、今回はあまり興味を引きませんでした。そこでYOASOBI (=夜遊び)という魅力的なネーミングに惹かれ、もう一方のグループを調べてみました。

 YOASOBI、結構ハマりました。コンポーサーのAyaseさんの美しいメロディーラインや、ボーカルのikuraさんの透き通るような無色透明で、かつ親しみのある歌声は大好きです。Ayaseさんは先行するバンドの作品を良く勉強されている様で、例えば、『たぶん』はMr Childrenの『しるし』の、『郡青』はいきものがかりの『YELL』の、『あの夢をなぞって』はVocaloid初音ミクの『メルト』の、それぞれの世界・視点を継承してますよね。
 反面、中島みゆきのファンでもある私は、物足りなさも感じます。もともとYOASOBIは、バンド活動と言うよりは、コンテンツ製作プロジェクトです。母体となったのは、ソニー・ミュージックエンタテイメント(SME)の、2017年から運営している誰でも気軽に利用できる小説投稿サイト「monogatary.com」です。プロデュースを担当するSMEデジタルコンテンツグループの屋代陽平さんは、「投稿頂いた小説を〝思いがけないカタチ〟に作品化するというコンセプトのサービス」を打ち出し、そのために組織されたのが、YOASOBIなのです。そしてYOASOBI活動の中心メンバーとして白羽の矢が立ったのが、音声合成ソフトウェアを使って楽曲を作るボーカロイドプロデュサーとして活躍しているAyaseさんでした。Ayaseさんが、YOASOBI活動のボーカリストとして選んだのが、透明な声を持つikuraさんという訳です。
 ベテランのシンガー・ソングライターは、曲の制作はともかく歌詞作りでとても苦しむと聞いているので、小説投稿サイト「monogatary.com」はそのための材料・パーツを提供しようという試みだと私は思っています。実際Ayaseさんはインタビューに答えて次のように語っています。

 (原作小説の)コンセプトとか、今作品で一番伝えたいメッセージとか、そういうものをどんなバランスで歌詞に入れるかは正直、足し算と引き算をずっと続けていく感覚で、感情的というよりは、しっかり考えて産み立てていく作業なんです。それはパーツが与えられているから、そこまで難しいものではありません。ただ、その色んなパーツを自分なりに解釈した上で更に、聴いた人にどう思ってほしいか、曲として最後にみんなに残るものは何かを考えていくわけです。そのために、小説の中で自分の生活が当てはまるところとか、多くの人が思っていることをリンクさせられるような言葉とか、そういうものを日常の中でずーっと考え続けるフェーズにに入っていく。そこが一番深い層に入っていく瞬間ですよね。

 つまりAyaseさんは、「monogatary.com」に集まった若者の悩み・苦しみの言葉をマーケッティングし、編集して楽曲の差異を創り、以ってソニー・ミュージックエンタテイメントのビジネスに資する活動をしているわけです。Ayaseさんは、「僕たちは音楽を仕事にして生きていますし、音楽に生かされているとも言えます」とも述べておられます。なるほど私達は何らかのビジネス(=仕事)をして、お金を稼がなくてはいけません。でも、音楽は、言葉は、ビジネスに寄与するだけのものとして貶められてよいのでしょうか?。私はそうは思いません。私は、音楽や言葉に力があると信じています。

 戦後に限っても、NHKの朝の連ドラ『ブギウギ』のモデルになった、太陽のような温かさで国民を励まし続けた笠置シヅ子御嬢と呼ばれ戦後の芸能界を代表する美空ひばり、戦後の非戦思想を体現したさだまさし、80年代のバブルの時代を憂いた浜田省吾山の手の暮らしを描いた松任谷由実、オールナイトニッポンに届いた中卒の女の子のはがきから着想した中島みゆきなど、たくさんの音楽・言葉に私達は励まされてきたのです。
 『夜に駆ける』のように、心中という思いテーマを美しい旋律で表現してしまうと、現実の痛みが遠のいてしまうのではないでしょうか?。生きていくというのは、鈍臭いことではありませんか?。ikuraさんが「シンガー・ソングライターとして活動していた私が世界観も楽曲づくりも他人に任せていいのか」戸惑っている様に、本当に世の中に届く言葉は、血反吐を吐いて掴んだ自分の言葉ではありませんか?。

 今の若い皆さんが、自分の言葉を持てず多勢に流されてしまうのは、見本となる〝大人〟が見当たらないからでしょう。自民党の国会議員は論外ですが、歴史に目を転じれば公民権運動キング牧師、共に世界を作っていこうと呼びかけたジョン・F・ケネディ大統領といった先輩達がいます。私もその一員でありたいと思っています。若い皆さん、私と話をしませんか?。

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