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所詮は他人、所詮人の子。

2回目の投稿になります。3日坊主にならないよう気を付けないと笑


タイトルの言葉、教員が使うとなんともドライに聞こえて、今まではなかなか受け入れられませんでした。

僕はようやくこの考え方をもって(掴みきれてはいないが)子どもたちと接することができています。

この言葉はもともとSC(スクールカウンセラー)の方から教えていただき、自分の考え方として大切にしていることです。


前置きが長くなりましたが、自分が思うこの言葉の真意を書きます。「他人を自分の意思通り動かすことはできない。」ということです。目の前にいる30何人の子たちは自分とは違う人生を歩んでいます。
だからこそ、その子を自分の価値観に当てはめて
指導すること、あるいは価値観にそぐわないから
怒ることはご法度なのかと思っています。


例えば、僕はご飯の食べ方には人一倍気をつける
よう家で躾けられてきました。自分が完璧にできているなんぞ思いませんが、
友だちや職場の人から

「箸の持ち方きれいだね。」

なんて言われるのです。ありがたい。

ゆえに、子どもの食べ方に目がいきます。箸の持ち方が正しくない、食器を持たずに食べる、肘をつく、口を開けてくちゃくちゃさせる、、、

というのがものすごく気になって給食の時間がとても苦痛でした。笑 一時期僕は、しらみつぶしの如く、一人一人に声を掛けて回っていました。

ただ、彼らはその場では直すのですが、長続きせず、数日経つとまた同じことを子どもに指導するのです。反抗してるわけではありません。子どもは忘れてるのです。
(ひどい時は数分もすれば忘れてる、、、なんてことも、、、)

それもそのはず。忘れて当然。なぜなら、

子どもはそれを必要としていないから

です。
もっというと正しくない食べ方で困っていないからです。

今これは教育現場にいない方にも伝わるように、
食べ方についての例を出しましたが、学校らしい場面でもよくあります。


自分の意見を挙手して発言しなさい。

姿勢を正して授業を受けなさい。

合唱では大きな声でちゃんと歌いなさい。


挙げればキリがないんです。そして今までの僕は、

なんでできないんだ。

と思っていたのです。実に図々しい。ことのつまり彼らは、
意見を言わなくても時は流れるし、どんな姿勢でも授業は受けれるし、自分が歌わなくても合唱が成り立つと思っています。(実際そうなのでしょうが。)


しかし!この考え方は子どもに対して諦めているわけではないのです。

学級経営が素晴らしい先生方、指導が上手な先生はどのようにしているのか、今自分はどんな指導方法にシフトしようとしているのか。



それは次回の記事で書くことにします。

まとめるのが下手すぎて、無駄に長文になってしまいました。すみません。次も読んでもらえると嬉しいです😊

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