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381系華やかりし頃・1990年代後半の山陰の鉄道風景から

はじめに
先日惜しまれつつ勇退したJR西日本の381系特急「やくも」ですが、1990年代半ばから2000年代にかけて数回乗車した時の思い出について上記リンク先でお話したところです。
今日は、1990年代に381系「やくも」とともに山陰路で活躍した懐かしの列車の話題をいくつかお届けします。


1.キハ181系全盛期

上の記事でもお話しましたが、私が初めて山陰を訪れたのは1996年夏のこと。
この当時の鳥取・島根県内の山陰本線の特急列車といえば、寝台特急「出雲」、智頭急行線直通の特急「スーパーはくと」、伯備線直通の特急「やくも」を除けば、全てキハ181系特急型ディーゼルカーによる運行でした。

写真は米子駅で発車を待つキハ181系の小郡行き特急「おき」
小郡駅は、現在の新山口駅です。

キハ181系特急「おき」(1996年 米子駅)

1996年8月当時の鳥取・島根県内の山陰本線では、「はまかぜ」(大阪~鳥取間)・「はくと」(京都~倉吉間)・「おき」(鳥取~小郡・下関間)・「くにびき」(米子~益田間)・「いそかぜ」(米子~小倉間)・「いなば」(鳥取~米子間)といった特急列車にキハ181系が充当されていました。
このうちの特急「いなば」は、1996年3月16日ダイヤ改正で京都~米子間の特急「あさしお」が廃止された代替として鳥取~米子間に設定されました。
この列車は登場1年半後の1997年11月29日ダイヤ改正で特急「くにびき」に統合される形で姿を消しましたが、「いなば」の列車愛称それ自体は同日のダイヤ改正で登場した岡山~鳥取間の特急列車に引き継がれ今日に至っています。

鳥取~米子間運転時代の特急「いなば」のトレインマーク(1996年 米子駅)

2.客車寝台特急「出雲」

現在、東京~出雲市間で運転され好評を博している電車寝台特急「サンライズ出雲」ですが、この列車の前身にあたるのが東京~出雲市・浜田間の客車寝台特急「出雲」です。
客車寝台特急「出雲」は1996年当時、東京~浜田間の1往復(1・4号)と東京~出雲市間の1往復(2・3号)が設定されており、前者はJR東日本所属の24系25形客車で、後者はJR西日本所属の14系客車で運行されていました。
「出雲1・4号」に使用されていたJR東日本所属の24系25形客車は国鉄末期にグレードアップ化改造が施されており、その際車体の帯色が金色に変更されています。
写真は米子駅に停車中の寝台特急「出雲1号」浜田行き
牽引機関車は東京~京都間がEF65形電気機関車の1100番台で、京都~浜田間がDD51形ディーゼル機関車です。
この2年後、1998年7月10日に「出雲2・3号」が「サンライズ出雲」に置き換えられ消滅、「出雲1・4号」も出雲市~浜田間の運行が無くなり、列車名も号数表記のない「出雲」と変わりました。
しばらくは「サンライズ出雲」(電車)と「出雲」(客車)の二本立て体制が続きましたが、最終的に使用車輌の老朽化などの事情により「出雲」は2006年3月18日ダイヤ改正で姿を消しました。

寝台特急「出雲1号」浜田行き(1996年 米子駅)

3.山陰本線のエースキハ28・58系と木次線キハ120系

この頃の山陰本線非電化区間では、国鉄時代の1960年代に大量生産された急行型ディーゼルカーのキハ28系・キハ58系が主力車両として運用されていました。
1990年代後半となるとさすがに急行列車の特急格上げが一段落していたので、本職の急行列車としての運用こそほぼなくなっていました。
それでも快速列車・普通列車としてまだまだ活躍の場が残されており、とりわけ快速列車の運用に就いた際は往年の急行列車時代を彷彿とさせる力強い走りを見せてくれました。
下の写真は1996年夏、米子駅で並んだ山陰本線のキハ28系・キハ58系快速列車と、木次線直通のキハ120系普通列車
この当時は、木次線の普通列車の一部も米子駅まで乗り入れていました。

木次線用のキハ120系と山陰本線快速列車のキハ28・58系(1996年 米子駅)

こちらは1999年、米子駅からの快速「とっとりライナー」として鳥取駅に着いたキハ28系・キハ58系
長年親しまれた山陰本線のキハ28系・キハ58系も、高速化工事の完成とそれに伴う新型車輌キハ121系・キハ126系の登場により、2003年10月1日のダイヤ改正で引退しました。

快速「とっとりライナー」(1999年 鳥取駅)

4.名門長距離気動車急行「さんべ」

1996年当時の山陰本線では、山陰と九州を結ぶ優等列車がわずかながら命脈を保っていました。
特急「いそかぜ」急行「さんべ」、いずれも米子~小倉間の列車で、全区間を通しで利用する方がどれほどおられたのかは分かりませんが、山陰本線が山陰と九州を結ぶ大動脈として歩んできた歴史の生き証人でした。
写真は1996年8月、朝の松江駅で木次線の列車を待つ間に撮影した、旧広島急行色キハ58系の小倉行き急行「さんべ」
中学1年生・12歳の私は、図鑑でしか目にしたことのなかったこの列車を前に、山陰と九州が直通列車で結ばれているという事実を改めて認識し、新鮮な感動を覚えたものです。
この急行「さんべ」は翌年1997年3月22日のダイヤ改正で廃止。
その後のダイヤ改正で、特急「いそかぜ」や山陰本線幡生口から小倉に乗り入れる普通列車も姿を消し、2024年現在山陰と九州を乗り換えなしで結ぶ列車は全滅しています。

小倉行き急行「さんべ」(1996年 松江駅)

5.一畑電気鉄道の古豪たち

松江しんじ湖温泉~電鉄出雲市間を結ぶ北松江線と、途中の川跡から分岐して出雲大社前に向かう大社線からなるローカル私鉄・一畑電車
1996年当時は一畑電気鉄道という社名で、松江側のターミナル駅である松江しんじ湖温泉駅も松江温泉駅を名乗っていました。

社名や駅名だけではなく、使用されている車輌の顔ぶれも現在とは大きく異なっていました。
元京王帝都電鉄(現京王電鉄)5000系を譲り受けた2100系の導入による車輌更新の動きこそありましたが、それ以外の車輌は全て昭和初期に自社で発注したオリジナル車輌や、西武鉄道から譲り受けた戦前製の制御車、戦前製の足回りに昭和30年代製造の車体を組み合わせた機器流用車となっており、その多くが製造後70年近くに達していました。

平田車庫(平田市(現雲州平田)駅)で撮影させていただいたデハ20形23号
1927年の電化時に導入された自社発注車デハ1形1号を、1950年代初頭にクロスシート化のうえ改番した車輌です。
現在はカットボディが出雲大社近くの島根県立古代出雲歴史博物館に保存されています。

デハ20形23号(1996年)

こちらは2011年、同じ平田車庫で電車内から撮影したデハニ50形53号
1928年に製造された自社発注の客室・荷物室合造車
ほかの車両とは異なり、最後までドアが手動扉のままだった車両で、1996年当時はラッシュ時の増結用に使用されていたといいます。
この53号と52号は、営業運転から撤退こそしたものの現在も車籍を残しており、それぞれ平田車庫と出雲大社前駅に留置されています。
また、2010年公開の映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」(錦織良成監督・中井貴一さん主演)に登場したことでも話題になりました。

デハニ50形53号(2011年)

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