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イヤホンがぶっ壊れて気づく「思考を暴れさせる余白」の存在

新たに「怪文書シリーズ」というマガジンを作りました。なんだこりゃ?という文章になったものたちを陳列してドヤ顔で見せつける場です。だいたいX(Twitter)で垂れ流した文章の転載なのであしからず。


少し前のことです。

壊れたんですよね、イヤホン。最近は移動時間が長い取り組みが増えたので移動中にPodcast聴いて楽しんでました。自宅にこもって作業してると音声配信番組もなかなか聴かなくなっちゃいますからね。

んで、そんなイヤホン君が壊れたんです。あー、せっかくダウンロードしてた音声配信聴けないなぁと思っていたのですが、移動中ちょっとした気づきがありました。

思考がね、暴れるんです。笑

あ〜♩、アタマが〜、アタマが〜、暴れ出す!♩、暴れ出す!♩
と、ウルフルズ味を醸し出しながらの表現と相成りました。

割とよく通る道なので、歩くことに対してかけている思考のリソースは少ないです。しかもこの日は土曜日、オフィス街は静かです。余計に周囲の景色は目に入らない。

この状態だと、思考が暴れるのです。しかも、すごく心地よい暴れ方です。

思うに、僕たちは普段から「誰かの思考」を受け取ることがほとんどです。音声配信を楽しもうとしていたのは、僕自身がその人の思考を受け取ろうとしていたから。自らの思考を暴れさせることは少ない。

しかも、「思考する」とは論理的な営みであるようなイメージがあります。だからこそロジカルに考えようとし、筋道を立てようとし、思考そのものすら僕らが外の世界を捉えるように「認識できるもの」として表現させようとします。

唐突に訪れた余白は、誰かの思考を受け取るわけでなく、また論理的な営みを生み出そうとするわけでなく、文字通り「取り留めない」思考の暴走を生み出してくれるモノでした。

この「取り留めなさ」がすごく大切な気がします。しかも、今回は取り留めなさが加速していき、「スーパー取り留めなさ星人」である状態に自然と持っていかれたような感じです。だからこそ「思考の暴走」と表現しました。なんとなく思考の枷や枠組みがそこになかった状態のような感覚です。

「余白」って言葉で語るとき、コレってすごくゆったりした時間・空間であるようなイメージで、すごくスローな世界観です。普段の社会を「忙しいモノ」と感じるからこそ、その逆をイメージする。くまのプー御大は言いましたよね、「何もしないをする」と。

でも、実は余白の世界のなかで思考は暴走している。むしろ、どんなときよりもアクティブになっている。コレまで暴れられなかった鬱憤を解き放つかのように思考は暴走して拡散しつながり好き放題に振る舞う。そんなコトを感じます。

むしろ普段の生活、つまり「思考の外の世界」がスピーディだからこそ「思考の世界」はスローになっているのかもしれません。暴走を抑えつけられた思考は動きを停滞させている。日常の生活は実はアクティブであるようで、思考にとってはスローな世界なのかもしれません。

対して余白の状態、つまり「思考の外の世界」がスローになれば「思考の世界」はアクティブになる。いつも存在する枷や枠組みがなくなるからこそ、思考は自由に暴走できる。

余白って、もしかしたらスローな時間ではなく、ましてや休憩の時間ではなく、思考にとっては暴走はっちゃけワッショイワッショイ🙌なのかもしれませんね。

と、そんなことを感じた移動時間でした。

常に存在させていたものが存在しなくなったから気づいたこと。存在するものが存在しないことを想像することは難しく、だからこそ人間には固定観念が生まれます。

しかも、存在するものが存在しなくなることを想像できたとして、それは存在するものが存在しなくなることを実感することとは、また大きな違いがある。

ただ単にイヤホンが壊れただけの出来事から、こんな方向に進むとは思っていませんでしたが、コレもまた面白いことですね。

なかなかの怪文書っぷりでした。あ、新しいイヤホンはポチりましたよ。笑
(余白はどこに🙄)

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