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夏の陣・Gの入院

かかりつけ内科医の紹介状を持って、精神病院へ行ったのは午後のことで、外来の患者 さんはひとりもおらず、待合室には私とGちゃんだけである。

「すぐに医師が来ますので少しお待ちください」
ということで待っていると、3分ほどで先生が見えられた。

診察室ではGちゃんは初めは無言だった。
無理もない、自分が何故この病院で受診するのか、Gちゃんは理解していないのだ。
診察室で医師とGちゃんと私とで座り、
「どうされましたか」
と訊かれても、Gちゃんには答えようがなかったのだろう。

Gちゃんの幻覚を、本人の目の前で医師に、
「これこれこういう幻覚があります」
と、あからさまに説明したらGちゃんは、
「俺が幻覚だと? ふざけるな」
と思うはずだ。
なので、いかにも「あったこと」のようにさりげなく持っていくのがいいんじゃないか
……と、私は考えた。

「最近、ノムラカントクが家に来て……ねえGちゃん?」
私が水を向けると、
「そうなんですよ。勝手に家に入り込んできて、もうほとほと参っちまってね」
Gちゃんも話しはじめた。

先生は世間話でも聞くように頷き、
「それは参りますよね」
「いやそれがね。大勢なんで、もううるさくて」
「うるさいんですか~、大勢なんですね」
「ヒマなんでしょうかね、あの人達も。ノムラなんかガス台に、こんな感じで座ってて、 そのまんま寝てますよ。いやー、器用な人だと思ってね」
「器用ですねえ」
ああ、先生は、Gちゃんの話の、ラストの言葉を受け取って繰り返して、聞いてくださ ってるんだなあと、ちょっと感動した。

「他に困ってることありますか?」
「寝られないんですよ」
「寝られないんですね。いつごろからですか?」
「いつ頃って……いつ頃からだ?」と、私を見るGちゃん。
「半年くらいかな?」と、私。

「半年前に、何かありましたか」
「バーサンがねえ……」と、私を見るGちゃん。
「施設に入りました」と、私。
「施設ですか。じゃ、Gさんは今、独りなんですね」
「まあ、気楽っちゃ気楽ですけど、私、目があんましよく見えないもんでねえ」
「見えないんですか、そうか、それは大変だ」
「大変なんだよ、いやあホントに大変」

「視力はどんな感じでしょうか」
「視力って、オメエ……」とGちゃんは私を見る。
「検眼ではコンマゼロ1、2ですが、実際には光の有無がわかる程度です」と私。
「そうですか……ご飯はどうしてます?」
「配達で……そうだよな?」と、Gちゃんは私を見る。
「配食サービス一日2回、昼夜です。糖尿病対応食ですが、米飯は自前です」

「Gさん、ご自分でご飯炊いてるんですか?」
「炊飯器がおかしくてほとんど炊けねえんでね。困っちまう……カントクに飯、出してやんな きゃいけねえし」
「それはお困りでしょう……」
先生はGちゃんをいたわった。

丁寧に話を聞いてくれた精神科の先生は、GちゃんをX線撮影へ回し、そのあいだに私 の話をさらに聞いて、
「入院して、様子をみましょう」
睡眠不足とせん妄がおさまるまで入院、ただし、病棟に空きがないので少し待機。

「入院して経過を見て……自立は無理と思われますので、その後、施設入所という形で進 めてよろしいですか」
「ぜひ、お願いします」
光明の見える運びとなった。

入院まで最大で3週間待ちという話であったが、幸いにも1週間後。
『入院できます』
電話がかかってきた。
ありがたや~~〜〜〜!
ちょっと踊ったりして。
Gちゃんに「入院だよ」なんて言うと「ダメだ・高い・必要ねえ」の三拍子になること はわかっていたので、ただの診察みたいな体を装って病院へ連れて行った。

先週と同じように先生はGちゃんの話を聞き、
「最近はどうですか、ノムラカントクさんはまだいますか」
「いますよ、もういい加減に出てってもらいたい」
「じゃあね、Gさん、少しここで泊まってみませんか。Gさんがここにいるあいだに、私たちと娘さんとでおうちへ行って、ノムラカントクさんに出て行ってもらうよう、話をしてみましょう。それでどうですか?」
「わかりました」

うおお~すごい~!
少しの無理もなく、そのまま入院へと話がすすんだ。
ノムラカントクさん、あり がとうございます。(もとい。先生、ありがとうございます……)

このときの安堵感は、言葉ではちょっと言い表せない。
たとえば
急な発作、風呂での転倒、熱中症、薬の飲み忘れ、睡眠不足。
自己判断での買い薬の飲み過ぎ、電化製品を壊す、火事を出す。
ご近所への迷惑行動、不測の変な契約等々。
あらゆる難事から、一時的にではあ るけれども、Gちゃんを守れるのである。
安心のあまり私のほうが気が緩んでしまって、 油断すると倒れるんじゃないか(変だけど)ここで緩んじゃいけない、退院後が勝負。本戦はこれからなんだ。気を引き締めねば。と思ったほどだった。

看護師さんに案内されて入院病棟へ向かう。
静かな長い廊下を歩いていって、鍵のかかる大きな扉の中へ入る。
近隣の森の緑濃いつらなりが窓外に美しく、真夏の強烈な日差しさえむしろ爽やかに映った。  

Gちゃんはといえば、うち続く睡眠不足と、絶え間ない幻覚とで、疲れ果てていたのか、自分が保護されたことを理解できなかったのか、入院にはなんの抵抗も示さなかった。

「うちに居座ってるノムラさんもこれで諦めて出ていくと思うよ」
と私が言うと、
「そうだ。俺がいなけりゃメシは出ねえし風呂も入れねえだ」
……Gちゃん、お疲れ様でしたね。

「他にも何かある?」
「いや、いい。どうせ連絡先はわかんねえべ?」
「連絡先……誰の?」
「△△の」
「あー……。ちょっとわかんないかな」

やはりブル様かい。諦めてもらいます。
とまあ、そんなことは言わず、比較的静かに話をして、病棟を出た。


さて、急ぎの入院だったので、支度が調っていない。
とりあえず3日分の下着と身の回りの品々、入院保証金を用意してもう一度病院へ行く。
衣類と雑貨をGちゃんの病室のロッカーに収納したあと、ケースワーカーさんと面談した。

精神病院に入院するときは、私立病院と違って、さまざまな手続きが要る。
家裁に行って保護者手続きをすること。[娘である私が父の保護者になる]
高額医療費補助制度利用の申請や病院食費割引制度の申請のためには、市役所へ出向いて戸籍関係、所得証明などの多くの書類を得てくる必要がある。

翌日からGちゃんの入院中の着替えの追加、身の回りの雑品を揃えて病院へ運んだ。
Gちゃんは最初の3日ほどはおとなしくしていたが、しばらくすると
「メシが不味い、少ない」
「ハラ具合がおかしい」
「こんなとこにいつまでもいる必要はねえ」
「金が無駄になるだ」
まあ、予想はしていたが。苦情を言い出した。

「バーサンが来やがった、調子に乗りやがって」
「隣のオヤジのいびきがうるせえだ」(隣には誰もいない)
「患者が騒いでポリ公が来た」(まさか)
といった具合に、せん妄も激しい。

幻覚以外の態度や言動は、Bちゃんがショートステ イしたときの反応によく似ていた。
なので、私は見舞いに行くのをやめた。
相手をしてい る限りだめなんだということはBちゃんのときの経験から、なんとなくわかっていた。

するとGちゃんは公衆電話から、雨あられと電話をよこすようになった。
いわく、
『つまんねえよ。まわりは知らねえヤツばっかりだ』
『話し相手もいやしねえ』
『明日、ここ出るからな』
ふーん。てなもんである。
これもBちゃんのステイの折の反応とよく似ている。

「お医者様の許可がなければ退院はできないよ」
『オメエ、こっち来ていつ出れんのか医者に訊け』
「自分で訊けば」
『医者はここへは来ねえだ』
自分から医師に話しかけることができないから娘に説得させようというのだろう。
「待っていればそのうち先生から退院していいですよと言ってもらえるって」
『へッ』
気にいらなかったらしい。
突然、電話を切るGちゃんであった。

1時間後、また電話がかかってきて、
『オメエ、医者に言ったのか』
「何を?」
『何を、ってオメエ、ここから出るってことをだ』
「言わない」
『バカったれ! 俺はな、こんなと……』
話の途中ではあったが、聞いても無駄と、私のほうで電話を切った。 

言葉を尽くして あれこれ説明するより、ちょっと冷たいけれども放っておく。
結局それが一番の上策。
これはBちゃんのときで経験済みだ。
そののち、1時間おきに『公衆電話』の表示で電話が鳴って、それが朝8時から夜8時まで、一か月間、電話は鳴り続けた。

性格の差もあるのだろうが、Bちゃんはショートステイのとき4日で自分を取り戻して 立ち直ったし、施設入所のときは要介護5だったが、
「病院の続きのようなものなのね」
と 即座に立ち位置を理解した。

環境を理解しなじむ能力、柔軟性のいずれも、
要介護5のBちゃんより要介護2のGちゃ んのほうが不足しているようだった。

最後の攻城戦 へ続く

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