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文化庁メディア芸術祭の思い出語り(長くなりすぎた)

明日からの三連休で本気を出すために、飲みに出ずに家に帰ってきた。

ので、日記を書こうと思うのだけど、こうやってたまの日記だと、近況報告みたいな感じになり、そうすると自慢話みたいなのばかりになる。
こんなの他人が読んで楽しいのかな。僕だったら読まないな。
(と思いつつ書きますね)
で、最近の自慢で言うと、

文化庁メディア芸術祭に、監督作品の「あはれ!名作くん」と「Bラッパーズストリート」が両方とも入選した。

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というのがある。
入選と言っても「審査委員会推薦作品」というやつで、賞でもなくまさに「入選」って感じのなのだけど、僕はこれがとても嬉しかった。

なぜか。
それは、僕が今の仕事をしている大きな理由の2つがこの文化庁メディア芸術祭(「メ芸」とも言う)というコンペだからだ。


理由ひとつめ

時は遡り、20年くらい前(調べたら2003年のはじめだった)。
愛知県の芸大生だった僕は、あまりやる気のある学生ではなかった。
元々マンガが好きで、マンガ家になればいいか(何様)と思って入学した芸大で、遊ぶ方が楽しくてマンガを全然描いていなかった。

「自分はつくる側の人じゃなくて消費する側の人なのかも」

そう思い始めていたくらいの時期。
完全にマンガは描くものじゃなくて読むものだった。
その中でも、当時一番好きだった作家さんが「黒田硫黄」さん。
サブカル界では有名な方だけど、当時やはりそこまで売れていなかったように思う。

ある日、その黒田硫黄さんの「セクシーボイス アンド ロボ」が、国が主催する「文化庁メディア芸術祭」なるコンペで、マンガ部門の大賞をとったというニュースを見かけた。
「黒田さんが大賞なんてなんて気概のあるコンペだ!」
と思った僕(何様)は、東京までその受賞展を見に行くことにした(やる気があるわけでなく、そういうのを見るのが好きだから)。

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恵比寿ガーデンプレイスで行われていた受賞展は華やか。
でもその中で、一番興味を惹かれたのは、マンガ部門でなくアニメ部門だった。
アニメ部門の大賞はクレヨンしんちゃんの映画(戦国アッパレ)。
優秀賞にアヌシーグランプリで、アカデミー短編にノミネートされた「頭山」(山村浩二さん)。
エンタメ作品とアート作品がこんなバチバチに戦うコンペある?すごくない?と思った。

その中でも一番衝撃を受けたのが、奨励賞をとった近藤聡乃さんの「電車かもしれない」という作品だった。
たまの楽曲にのせて、独特のタッチの女の子が踊る白黒のアニメなんだけどとにかく格好良くて、しかもそれが学生の作品だということで衝撃を受けた。上映会場で何回も見た。

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「自分もこうなりたい」「なれる気がしないでもない」
そんなことを思った記憶がある。
2003年のメ芸を見たのは、確実に僕の転機だった。


理由ふたつめ

2003年のメ芸を見て、やる気のスイッチがちょっと入った。
自分の当時面白いと思ってた映画やCMのエッセンスを交えて、動物が部屋で会話するアニメを作った(これは2002年だったかも)。

「電車かもしれない」みたいなアートで動くアニメは作れないけど、自分ができるもので面白いものを作ろう、という気持ちだった。
(今思い返してもこれはナイス判断。動くアニメを作ってたら100パー挫折してた)

メ芸に入賞するのが目標なので、アニメを作ってはミニDVテープに落としてコンペに出した。
「デジスタ」という番組を知って、積極的に応募した。割と気に入っていただけて、何度もテレビに出させてもらえた。

でも「良い賞」は獲れなかった。実力不足だった。

4年生になり、アニメでトップを獲るのを諦めた僕は、広告系に就職することにした(元々アニメを見るのが好きではないというのもある)。
そこそこ頑張った結果、一番狙ってた電通は落ちたけど、パナソニックに内定をもらった。

4年生も終盤、卒制どうするかなくらいのタイミングで連絡がきた。

文化庁メディア芸術祭の奨励賞を、僕の作品「夢」が受賞。


「電車かもしれない」と同じ奨励賞を、わずか2年後に獲得した。
(ちなみに大賞は湯浅政明さんの「マインド・ゲーム」。湯浅監督!「映像研には手を出すな」毎週見てます!)

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夢が叶った〜、と思った。(作品名「夢」だけに)
この受賞歴あったら電通いけたな〜、とも思った。
ていうかアニメを仕事にもできたんじゃ?とも思った。

結局アニメではなくパナソニックに入社したが、趣味・副業でアニメを続けることにした。そして、数年して独立。
2005年のメ芸がなかったら、間違いなくこの道には進んでいない。


で、今はと言うと

思い出語りが長すぎて自分でも引いていますが、上述したように、文化庁メディア芸術祭には並々ならぬ思い入れがある。

ちなみに卒業後もほぼ毎年出していたのに、審査員が毎年変わったりもあり(かよチューも、名作くんも)何もひっかからず。
実に16年ぶりに(賞ではないけど)入選し、再びメ芸の敷居をまたげて、僕はとても嬉しいです。

…コロナで授賞式なかったけどね。

ほんとコロナむかつくよな〜、という世界がひとつになる言葉で、今日の日記を終わります。

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◾️今回の推しラーメン
東久留米「入鹿TOKYO」。柚子塩らぁ麺とポルチーニ醤油らぁ麺の二枚看板が甲乙つけがたし。並ぶけど店員さんが気持ち良くて行列の疲れふっとびました。

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