競馬のきっかけ-1993オールカマー
今更だか、少しこれまでの競馬歴を綴っておきたいと思う。
競馬歴
競馬との出会いはハッキリと憶えているわけではない。オグリキャップのラストランを憶えてはいるが、トウカイテイオーの有馬記念ほど「競馬ファンらしく」リアルに感動した印象はない。私自身、芦毛はオグリよりも、メジロマックイーンやホワイトストーンが好きだったし、そもそも、おそらく、この時期は競馬を観てはいるが、まだ魅了されてはいない。
オグリより前、イナリワン、スーパークリークも何となく憶えている。タマモクロスあたりになると、おそらく完全なリアルタイムではない。他、ミホシンザンは競馬の友人が好きな馬だった気がするが、これより前、シンボリルドルフなどリアルタイムで知らない世代である。
競馬のきっかけ-1993オールカマー
宇宙がビックバンで生まれ、未だその勢いで広がり続けているのと同様、私自身が競馬にのめりこむ「きっかけ」、今こうして2014年も競馬ファンで居続ける「最初の原動力」となったレースがある。それが有名なツインターボが大逃げで勝ち切った1993年のオールカマーだ。
大逃げで勝ち切ったツインターボでもなく、
東の横綱ライスシャワーでもなく
2着にきたハシルショウグンの走りに魅了された
ハシルショウグン。改めて思う、何とキャッチーなネーミング。実は、この馬との出会いは少し時間を遡ることになる。
前年のG1ジャパンカップで父子制覇を果たしたトウカイテイオーの遥か後方に、このハシルショウグンはいた。中央競馬を代表する前年の二冠馬テイオーや、並み居る強豪外国馬のなかにいて地方の雄である彼は、最下位でのゴール。それが、ハシルショウグンとの初めての出会いである。
このJC、確か個人的な馬券は外国馬ナチュラリズムが軸だった気がする。この頃ちょうど、今の「馬体の見方」を確立し始めていた時期。「馬券の買い方」については、ギャンブルが何かもわかっていない、いわゆる競馬予想家ド素人のそれだった。
時を戻しオールカマー当日。中山でなく東京競馬場に足を運んでいた自分にとって、ハシルショウグンとは、ただ「トウカイテイオーが勝ったJCで最下位だった地方馬」「あくまで地方の将軍レベル」…程度のイメージしかなかった。
私はその日が初めての東京競馬場だった。そのとてつもないスケールの大きさ、美しい緑の芝生の絨毯、疾走するサラブレッドなど、一瞬で生の競馬に魅了というより圧倒されていた。
そして、手にした競馬新聞のオールカマー出走表をながめハシルショウグンの名前を見つけた瞬間、この馬しか見えなくなっていた。華やかな中央競馬の舞台に、再度地方から参戦してきたハシルショウグンに、大都会東京に夢を抱き、地方の片田舎から上京してきた自分自身を重ね合わせてしまったのだ。
G1帝王賞勝ち馬と、その名の通り、地方では「将軍」という名にふさわしい彼も、こと中央の舞台では、トウカイテイオーの影すら踏めなかった。その屈辱にまみれた敗戦から、再度中央の舞台にチャレンジしている彼の姿は、その「馬体」をみるまでもなく、「自分にとってのヒーロー」となっていた。自分の人生と照らし合わせた意味でも、心から「この馬に走ってほしい」そう願った気がする。
結果は、あのライスシャワーを抑えての2着激走。「一頭の馬の歴史、己の人生、初めて体験する生の東京競馬場、ツインターボの大逃げレース、博打の恩恵(馬券の的中)」など、これらすべてがハシルショウグンという一頭の馬を通じてもたらされた。この「競馬」がもたらした感動と興奮とお金は、片田舎の兄ちゃんが競馬にのめり込むには十分過ぎるものだった。まさに、このレースを境に、私自身、生粋の「競馬ファン」となったと言える。