にんげんになりたい

最近人間が好きになり始めました。小劇場に出会ってからです。みんなそれぞれ自分を大事にして、それぞれで生きている。愛という言葉が正しいかはわかりませんが、すごく愛を色んな方からいただいて生きています。

同時に思ったんです。実は僕は人間ではないのかなとか。

普通人のことをにんげんって言わないと思うんですよ。でも最近僕が感じるのは”にんげんが好き”。猫が可愛いとかいうのと同じ感覚で、”にんげんが好き”って言ってるんですよ。なんか俯瞰してるみたいですごい嫌いです。

だから実はにんげんじゃないのかなあって。
我ながらすごい嫌なんですよ。他の人と接するときにどこか一歩引いてしまうのとか、思ってることがあっても素直に言えないのとか。

なんだろう。自己肯定感が低いからなのか。
自分に向けられる愛情を懐疑的にみてしまう。そんな疑うことなんて何もないのに。

これだけ悩めるなら僕はにんげんなのかもしれませんが、このnoteを書いている時点で僕はにんげんではないんじゃないか。

少々純粋に小難しく生きすぎたようで、だいぶ歪んだ生き物に育っている気がします。欲望を抑え続けていると言ったらいいのでしょうか。なんだか綺麗なにんげんでいないといけない気がして、自分の汚い部分を隠して隠して隠して、どうにか綺麗に見せようと。でもそれってにんげんじゃないんですよね、きっと。
失敗をするからにんげんなのに。
最近気づきました。どんなに可愛い人でもかっこいい人でも、下衆な話は好きだし大体体験談がある。それがいい悪いとかじゃなくて、ただただ羨ましい。

恋愛経験って本当に大事だと思うんですけど、怖くてできないんですよね。本当に。遊びの恋愛の感覚があまりないもんで、いいことなのかもしれないけど、とりあえず付き合ってみるってことができない。

最近若いうちに遊んどけって何度か言われました。若いうちに遊んどけ、年取ってから遊ぶとめんどくさいって。したいけどできないんですがどうしたらいいですか。

なんだろう。一度か二度醜態を晒した方がにんげんっぽいと思うんですよね。無理に晒す必要はないにしても。

クズになりたいなあ一回。信頼を取り戻すのが大変だなあとか考えてる時点で絶対になれないんですけど。

ひとを愛したい。相手も自分を許してくれてると安心した状態で愛したい。一過性でいいから。その場が幸せだったらいいから。
誰かを抱きしめられるのは幸福なことだと思う。

あーーくそ。誰かお酒飲みながらでも相談に乗ってください。シラフじゃこんな話はしません。つまり今は酔っています。

なんだこれ。

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