幸福になるためのルール


幸福のための3つのルール

幸福になる方法は、さまざまな諸先輩が書かれている。
これは個人的な見解であることに留意してほしい。
私が考えるに、『人間の幸福感とは充足感である』
つまり、「足るを知ること」で幸福感は得られる。

(1)心身の健康
(2)コミュニティへの貢献
(3)自然の恵みへの感謝

ざっくり言うとこの3点になる。

日本の見えないルールを顕在化する。

見えない日本のルール

(1)週40時間以内の労働

これは法律で決まっている。これを改訂するには法律を変える必要がある。
いわゆる 1日8時間×週5日 勤務。労働者は、これ以上、働いてはいけないという決まりがなぜか、最低これだけは働かなくてはいけない、という決まりに捉えている人もいる。これ以上働きたい人は労働者枠でなく、事業者枠で働くようにということだ。
※私は事業者であるが、再起のために労働もしている。最大40時間までである。効率を考えていくと単価をあげていく方法やお客をつかんでいく方法を自然と考える。脳が勝手に働くのである。

(2)常に新しい知識と経験を積む

事業主から労働者を経験すると、一種の安息を覚える。事業者は常に覚醒状態であり、飯のタネを探しているし、うまくいかないときはどうしたらいいか、常に考えている。だから気分を変えるために遊びも思い切りやる。
今、僕はあえて3つ以上の職種を継続的にいれようとしている。これは雇用保険の週20時間ルールを意識していることと、数をこなしていくといろいろな現場でヒントを掴めるのである。本業のイベント業やエンタメ業で復活できるように練磨していくためにも生活の中にあるニーズをつかむことにも繋がっている。

(3)先人や他人に学ぶ

どうやって顧客をつけるのか、丁寧にファンを増やしていくことや関係人工を増やしていくことが大切で、お客が300人程度いれば、小規模事業者なら十分にやっていける。最初のひとりから、どのように広げてもらうか、それがポイントになる。

(4)強みと弱み

強みと弱み。僕は、「とにかく頑張る」という性格で、それは強みになる。弱みは、他人に合わせるスイッチが入りにくい。正義感や信念がガチガチに文脈をとってしまうと、身動きがとれなくなる。そして、別のペルソナを演じて、営業をすることになると、疲れてしまうのだ。
この改善は、信念をシンプルにすること。
『他の誰かの役に立つ』ということであれば、
仕事は給与の高い安いはあれど、詐欺以外の仕事は誰かの役に立つ。
『〇〇がしたい!』を追求していくとビジネスにならない。
まったく興味がないものをやっても続かないし、おもしろくない。
これが二番目に好きなものを仕事にするとよい理由で、
一番好きなものは、好きだから、一生懸命できるが、
よいパートナーに出会うまで作品は描けても稼ぐことができない。
作品を自分のためではなく、誰かのために書く。
だから売れる作品、他人がわかる作品になる。
その誰かと出会うためには、労働も必要だし、
経営も必要だし、人間として生きることが大切になる。
その誰かをイメージできない作品は、読み手のいない作品になる。

(5)フレームワークの落とし穴

ロジカルシンキングには型があり、フレームワークと言われるものがある。学術的な思考方法を経済に利用している。僕はそれがそもそもの誤差を産んでいる気がしている。
経済を体現するものはひとりひとりの人間の身体と欲望であるから、ロジカルに動くものではない。新しい欲望の承認欲求や自己実現欲求を満たすためのスキルを売るビジネスが流行り、現在の流行は『オリジナル』なるである。

(6)オリジナル信仰

3つの分野のスペシャリストになると、新しい分野を創出できる。そこでオリジナルになることができる。これが基本的なオリジナル信仰である。
他人のコピーからまず始まる。模写をする。OJTも同じしくみだ。
それを掛け合わせて応用していく。それがオリジナルのやり方になる。

(7)たくさんの無駄をやる

効率よく動くために事前に下調べをする。検証をして、シミュレーションをして、本番を迎える。この下調べも検証・リハーサルも実は無駄な動きである。考えなしに動いて、効率よくやったほうがいいと言い出す人がいるが、僕は原因と結果の法則を大切にしている。
たくさんの無駄は、たくさんの有益な情報を残していく。
無駄なことをするから、新しいことが生まれる。

(8)練磨をするから磨かれる

動き回ることで、接触人口は増える。スポーツや趣味でうまくなりたい人、かっこよくなりたい人は、勝手に練習する。それと同じで経済に入って、うまくやりたい人は、その中で勝手に練習して、勝手にうまくなる。これはスペシャルな型をどこかからもらってインストールしてもらうから、高スペックになる、とかいうことではない。
「社会は人間のための虚像であり、自然や人間は実存である」
この概念を軸に考えると、経済も宗教も芸術もすべてが繋がる。
山奥で極力社会とかかわらないで暮らしたいと思うことが多々ある。
それは実存部分だけで生活したいと願っているからである。
これは肝に銘じていることで、
人間は実存だから、人間の心身も魂も傷つけてはいけない。
他者を傷つけるものでない限り、社会をいかように変えても構わない。
権力者と被支配者層の対立は人間の尊厳や自然の存続が共通の概念で保たれている限り、大きな課題にはならない。ここが壊れていくと戦争になる。


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