6.告知・報告
2015年8月24日、今日も相変わらずA病院呼吸器内科の外来待合室には大勢の患者さんと付き添われている家族の方などで座る場所もない程の混みようです。まだまだ他の患者さん達を観察するような余裕もなく医師からの呼び出しを聞き漏らさないように順番を待っていました。一時間程待ったでしょうか。名前を呼ばれ妻と診察室へ入っていきます。
医師からは検査の結果「原発性非小細胞肺癌で脳、骨、リンパ節へも転移。ステージⅣ」であるとの告知を受けて、この場面は何度も頭の中ではシミュレーションをしていたものの、「やっぱりか」と思う反面、「否、このように進んだステージは私ではない。世の中に対して何も悪い事はやっていないのに」などいくつかの事柄が頭の中を駆け巡りました。
癌の告知を受けると、よく「頭が真っ白になった」などと耳にしますが、号泣する訳もなく医師からの癌の説明時に私の頭の中では家族のこと、孫の成長のことなどを考えている自分がいたような気がします。
それはまだ今後の治療、生き方など事の重大さを十分に理解していなかったのかも知れません。特に質問をすることもなく医師の一方的、事務的ともとれる説明、次回の予定日等を聞いてその場から退室します。仕事とは言え、その人の生死に関わることを伝えなければならない医師の気持ちはいかばかりのものでしょう。
私達は順番を待たれている患者さんの間を通り抜け下の階へ降りる二人だけのエレベーターの中では、私は妻に「ごめん」と一言を発することがやっとのこと。それは家族を残して先立つことへの申し訳なさ、淋しさからなのか。また涙も一筋。
漠然とまだまだ長生きするものだと思っていたようです。私は同居家族の中での年長者なので順番から言っても私が先に旅立つのが順当なのですが、これまで自分の死を一度も考えたことがなかったのです。
妻は「義母は(妻の母)も癌だったけど3年以上頑張れた。医師も言われたように新しい薬も出てきているので大丈夫」との励ましの言葉に「そうだね」と妙な納得をしたものです。とにかく今は気持ちの切り替えが必要。病院をあとにして、この世界から一刻も早く抜け出すことが肝要。(懸命に忘れようとしているのは癌のことを大変意識している証拠なのでしょう。)
行きつけのお店でウナギを購入しその足で次男夫婦、孫が暮らす街まで往復150キロの道のりをドライブしました。世の中の景色は当たり前のことですが、何も変わってなく私はがんに捕まり不運のどん底なのに周りの人達はいつものように活動している。その姿がまぶしく感じました。
病院内の冊子には告知について医師が言っていることが耳に入らなく、また十分な理解ができなくなるので家族等信頼のできる人に同席してもらうこと。また事前に医師への質問をリスト化しておくべきと書かれていましたが、前者については同感ですが質問リストの用意等は初めてのこと、知識もない者には無理ではないでしょうか。できたら良いのでしょうが。私は癌でも治るのか、それともあと何年生きられるのか、どのようなプロセスをたどるのか、死への、痛みへの恐怖など自分の身にこれから起こるであろうことを想像することさえできない状況でした。全く予備知識もなく告知の場に臨んでいました。またそれぞれの生活、仕事も考慮して治療方法を選択すべきで自分の希望を医師にしっかりと伝え、最善の治療法の選択を行っていくべきものと思います。その為にはセカンドオピニオンとなって頂く医師の存在も必要かと思います。何しろ初めての事、また医学の知識も全くない者ですから。私には徹底した当事者目線で気持ちを奮い立たせて治療に臨む気力、また精神的から経済的な面まで「癌」は単なる病気ではなく、自分を取り巻く生活状況の全ての問題であると思います。その為には少しばかりでも癌についての勉強も必要かと思います。相手のことを知る為にも少しずつでも学ぶことができれば幸いです。
これからの人生の航海が(後悔)とならないように。
さて告知(通りゃんせで鬼に捕まった)を受けた私が今度は告知報告を周囲の方達に伝える番です。今後の比較的に長い治療期間(長いかどうかは不明です。)入院、体調不良等で休まざる得ないことも多々あり周囲の方々に迷惑をかけてしまうことは明らかです。今は体調に何事の変化もなく過ごせていても、いつ、なんどき深刻な状況へと陥るかもしれないことは十分に考えられます。おそらく今までの生活が一変し、家庭や職場などでの立ち位置も大きく変化することでしょう。また告知を受け、気力の低下によるものか、体調及び環境的なものかで仕事を辞めてしまう方が4割にも上るという調査結果もあります。しかし最近では癌治療中における会社の理解も進み、そして様々な薬剤等の開発も相まって入院日数も短くなり仕事の継続ができうる状況も増えてきていることも聞きます。私はできうるなら経済的に並びに精神衛生上も引き続き仕事に従事されることを望みます。
治療の影響や薬剤等の副作用の程度は一人ひとりで異なり、また第三者の方には分かりづらいものと思われます。自分自身も今日のつらさは分かっても明日のつらさについては分かりません。その様な状況下で病気のことを「誰に」「どこまで」告げるかは大変悩むところでした。
まず考えたのは会社のトップである社長に報告、相談すること。そして一緒に仕事をしている同じ部署の人達には隠せるものではなく、また一番に業務の代行等もお願いしなければならないでしょう。同時にごく少数の周囲の方々、そして心許せて悩み事、泣き言もある程度聞いてくれる親しい友人達が存在することは大変ありがたく、これらの方には全てを告白しようと思いました。一方、告げることをできる限り避けたい方達として、仕事を通してのお付き合いの方々には勝手ながらお伝えすることを避けさせて頂きました。それは従来の社会関係性が崩れてしまうのではないかという恐怖。「可哀そうな人」「先が長くない人」と思われ対等な人間関係が壊れてしますのではないかという不安が大きく私の心を覆うようになっていました。また病気、不安を感じさせるものとして外見の変化、脱毛なども癌患者にとってシンボル的症状と考え、脱毛の少ない抗がん剤を優先、それ以外を拒否するという我儘な患者で通しました。おそらくこの後、これらの方達にも周囲から耳に入ってきたかと思いますが私の気持ちを察してか敢えてお尋ねになることもなく過ごさせてもらいました。
この告知を受けた翌年には会社において専務取締役という重責を任せて頂くこととなり益々仕事関係においてはできる限り気づかれないように、また何事もないような振る舞いで臨んでいくことにしました。ただ残念なことは体調などにより満足できる十分な職責が全うできなかったことと、ある時内部の人からある企業の方々へ私の病状等がより深刻に伝えられご迷惑をおかけしたこともあり,今更ながら申し訳ないと思っています。
さて会社の社長にはまず報告、相談をし「仕事も無理をせず、身体第一に養生してください。」と心温まるお気持ちを頂き、私も「状況に応じ報告し仕事面に大きな支障をきたすと感じる折は速やかに出処進退を含めてご相談させてもらいます。」とお伝えしたことを覚えています。その後の長い治療期間中の対応には私の我儘等も聞いて頂き、会社の方々、また友人の方達には本当に感謝申し上げます。
しかし一方ではこの8年間に出会った何人かの医師との接触、対話の中で一番心に響き辛かった事はそれぞれの医師から伝えられた
最初の「癌の告知」の時、
辛い治療が終わってからの「再発、転移の告知」の時、
そして「もう標準治療ではすべきことはないので、ホスピスを探すように」などという厳しい言葉でした。
この3つの「告知」は患者として、いかに堪えがたいものだったでしょう。3つの告知が次々に私を襲ってくることになります。
「通りゃんせ、通りゃんせ、ちっと通してくれない」ようです。
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