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美咲

「恋に落ちるのは簡単だけど、愛を持続させるのは難しいね」
ママがワイングラス片手に深刻そうに言うもんだから、あたしは盛大にむせた。塾から帰ってきて夜食のわかめうどんをすすっていたところだったから。
「なになになに?どうしたのママ」
お箸を置いてキッチンでワインをあおっているママの方を見る。パパがママの誕生日にプレゼントしたワイン、3分の1ぐらい空いている。
今日は塾で模試の結果が返ってくる日だったのにそのことを何も訊いてこないからどうしたのかなって思ってた。ママは勉強のことそんなにうるさく言ったりはしないけど、今回は中2最後の模試だったから気にかけていたのに。
ママはグラスをワインで満たしてあたしの向かいの席に腰を下ろした。
「ケンちゃんね、沢田さんとデキてるわ」
ええっ?
ケンちゃんというのはパパのこと。美容師で、自分のお店を持っている。沢田さんというのはネイリストで、パパのお店を間借りしてネイルをやってたんだけど、お客様がどんどん増えてこの春パパのお店の支店というかたちでお店を出すことになった。開店準備がいよいよ大詰めで、あたしは今週まともにパパと顔を合わせていない。
「ママが断言するってことは、確信があるんだね」
声ふるえちゃったよ。
「ある。しかも本気だよあれは」
ママ、目が据わってるよ。こわいよ。

ママはお店に出てはいないけど、顧客管理や従業員の勤怠管理、資機材の発注など裏方の仕事をやっている。たまにパパの手が空いているであろう時間にお店に差し入れを持って行って、1時間ぐらいデートしたりしている。
「絶対空いてるはずの時間に行ってもいないことが3回続いたのよ」
最古参スタッフの中山さんによると、パパはここ3か月の間自分が昔から担当しているお客様以外の新規のお客様は他のスタッフに任せて、新店準備のために外出して直帰という日がほとんどだという。
「それにね、見ちゃったのよ。沢田さんの匂わせストーリーズ。匂わせどころかグラスに映り込んでたのよ。堂々と。一昨日お誕生日だったみたい!」
ママはワインを飲み干してグラスを乱暴に置いた。
「ケンちゃん、最近帰ってこないことが多いし、帰ってきてもリビングのソファで寝て、朝早く出て行く。洗濯物も出さないし、着替えと靴が少しずつなくなって行ってる」
あたしはキッチンからお盆を持ってきて食べかけのうどんとワイングラスを下げた。
「何それ。バレるの待ち?ママが別れましょうって言うの待ち?その割には避けたりして感じ悪っ!」
「ほんと!感じ悪っ!だよね」
ママは勢いよく立ち上がった。
「みーちゃん、とりあえずしばらく知らんふりしてて。ママ、今日のところは寝る」
「うん、わかった。おやすみ」
ああ、金曜日でよかった。

目が覚めたらお昼前だった。家には誰もいない。キッチンもリビングもきれいに片づいていて、ベランダには洗濯物がはためいていた。
LINEの通知。パパからだ。

「そろそろカットしませんか?
今日の14時からなら空いてるよ」

あたしは生まれてからずっとパパに髪を切ってもらっている。中学生になってからは、お店に行って切ってもらうことが多くなった。
もう1か月たつのか。1か月前はカットしてもらいながら5月に来日するK-POPアイドルのライブに一緒に行く約束をしたんだった。
百歩譲ってライブは一緒に行くとして、髪を切ってもらうのはもう嫌だ。

「ごめん今日はまいちゃんと映画!おこづかいだけもらいに行っていい?ママいないし」

「はいはい。待ってるよー」

「いらっしゃいませ…あらみーちゃん」
中山さんがカット中のパパに合図する。
パパはお客様に一言声をかけてあたしのところまで来た。
「なんか久しぶり」
「ほんと、久しぶりだね。変なの」
ちゃんと笑えてるかな?あたし。
パパはいつも通りに見える。
「はいこれ。無駄遣いしたらいかんよ」
ミッキーマウスの封筒に「おこづかい」と鉛筆で書いてある。いつものパパの字。
「はーい。ありがとうございます」
両手で受け取る。
パパがじっとあたしの目を見たのであたしもじっと見返した。ママには知らんふりしててって言われたけど、あたしは知ってるよ。よくあたしの髪切ろうかとか言えるね。最低。
「じゃあね、パパ。バイバイ」

涙が出そうだから振り向かない。知らんふり知らんふり。頭の中でお店で流れていたNewJeansの『OMG』がリピートしてる。
かっこいいパパが好きだった。パパのお店も好きだった。パパが切ってくれる自分の髪も好きだった。

「みーちゃん、ごはんよ」
ノックとママの声。ベッドから起き上がる。
「はーい」
ミートソーススパゲッティだ。ママの手作りミートソース。お肉より玉ねぎとにんじんの方が多い。粉チーズいっぱいかける。
「いただきます」
黙々と食べる。おいしい。ママも黙って食べている。必死に押し込んで噛み砕いて飲み込んだ。口のまわりについたソースをぬぐう。
「ごちそうさま」
姿勢を正してママの目を見る。
「ママあのね、今日パパに会いにお店行ってきた。そろそろカットどう?って言われたけど、もうあたしはパパに髪さわられたくないからおこづかいだけもらってきた。今度の金曜日、修了式終わったら、あたしテルミばあちゃんのところ行くね。新学期始まるまでにパパと話つけといて」

恋に落ちるのは簡単だけど冷めるのも簡単かもしれない。男女の愛は持続できなくても家族としての愛は別かもしれない。
ママがどんな決断を下すとしてもあたしはそれに従うよ。


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