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礼央

むずむずもやもやする。春のせいだ。イライラする。体の奥で渦巻いている醜悪な欲望を誰かにぶちまけてしまいたい。相手は誰でもいい。大学にもバイト先にも僕のことを憎からず思っている女の子は複数いる。僕は何とも思っていないし下手すりゃフルネームすら知らない女の子たち。彼女たちの中から誰かひとりを選んで家に連れてきて享楽の限りを尽くしたところで虚しいだけだし、あとあと面倒なことになるから実行はしない。僕がいつもこんなことを考えていると知ったら、彼女たちは潮が引くように僕から離れていくだろう。

「礼央は猫みたいにかわいいけど、猫みたいに憎たらしい。」
いっそ猫になってしまえればよかった。
「もう疲れたよ。わたしは礼央のことばかり考えているのに、あなたはいつも上の空なんだもの。」
そう言って去ってしまった彼女の名前は弥生。だから春は僕をイラつかせる。

こんな僕なんて春の風で宇宙の果てまで飛んでいってしまえばいい。そして木っ端みじんになってしまえ。

チャイムが鳴る。
重い体を引きずってドアを開けると、雄一郎が眩しいほどの笑顔で立っていた。
「腹へってない?いっしょに飯食おうぜ。」

雄一郎は風呂敷を解いて重箱をテーブルに並べた。
おにぎり、ウインナー、玉子焼き、ブロッコリー、ミニトマト。遠足かよ。

「いただきます。」
手を合わせておにぎりにかぶりつく。
海苔の香り、塩気をまとったご飯のつぶつぶ、割れ目から顔を出す鮭。
「おいしい…」
口いっぱいに噛みしめながら、涙があふれてくる。
「おいひい、おいひいよ、ゆういちろう…ありがと、ありがとう…ううう…うう、うわああああん!」
だめだ。まだ消えてなくなるわけにはいかない。春が来るのに。

「礼央、明日海行こうぜ。弁当持って。嫌なもの全部洗い流そう。気持ちいいぞー!絶対。」

そうだ。絵を描こう。ハガキサイズのスケッチブックと水彩色鉛筆持って。
描けたら弥生に送ろう。僕は君のことずっと思ってる。

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