見出し画像

勇者に名前を付けてゲームが始まる理由

Transcription

Be careful of the name trap.

Imagine if somebody calls you by a name that's not yours. You will feel angry and insulted. 

Now imagine if you are an entire country. When the British came to Kenya, they couldn’t pronounce Kirinyaga so they named it Kenya. When Marco Polo found Madagascar, he thought it was Mogadishu, Somalia and misspelled it to Madagascar. When Columbus reached the United States, he thought he was in India so he named the natives Indians.

But now people and countries are taking a stand. Places like Bombay and Ceylon are going back to their native names and now I also asked my friends to call me by my real name Nuseir instead of Nas.

This is a big deal because nothing is more powerful than being able to control your name.

That's one minute, see you tomorrow!

訳例

名前の罠に気をつけて!

もしあなたが自分のものとは違う名前で呼ばれたら、と想像してみてください。あなたは怒りと侮辱を感じることでしょう。

今度は、あなたがとある国だとしたら、と想像してみてください。イギリス人がケニアに来たとき、キリニャガの発音ができなかったので、ケニアと名付けました。マルコ・ポーロがマダガスカル(現地語でマラガシュ)を見つけたとき、ソマリアのモガディシュだと聞き誤った上に、スペルを間違えてマダガスカルとしてしまいました。コロンブスがアメリカに到達したとき、インドにいると思ったので、原住民にインディアンと名付けました。

しかし、今では人々や国が自分たちの意見をはっきりさせています。ボンベイやセイロンなどの地名も本来の名前に戻りつつありますし、私も友人に「Nas」ではなく本名の「Nuseir」で呼んでくれるようお願いしました。

自分の名前を変えることほど大変なことはありませんから、これはすごいことなんです。

以上、1分バージョンでした。また明日、お会いしましょう!

勝手に探究

そのものの存在を認める。そこには必然的に名前が要る。そう考えれば今回の話も納得できそうです。正体不明のものに恐怖を感じるのはどんなものか分からないからで、それが何か特定できれば、仮にそれが敵軍の戦闘機であろうがトラだろうが対応できるわけです。逆に言えば、正体を隠せば、自分の力を相手に測らせることはなく、有利な立場でいられるでしょう。

名前を奪われた、といえば「千と千尋の神隠し」がすぐに思い浮かびますが、今回はフィクションではなく史実を例に挙げます。

古代エジプトの太陽神ラーのお話です。是非こちらのページをご覧ください。「いや、それは史実といえるのか」というツッコミはなしの方向で。そこから話はツタンカーメンまで続きます。もちろん、いかに名前が大切か、という話です。

ちょっと脱線しますが、ゲームの功罪がしばしば議論になります。よく聞く「罪」のひとつに「子供の好奇心が無駄に刺激されて本来すべきことがおろそかになる」というのがありますが、「刺激される好奇心」の向かう先は無駄なものばかりではありません。信長の野望で国名や武将を知り歴史好きになったり、桃太郎電鉄で日本各地の物産を知ったり、テトリスで空間認識能力を鍛えたり・・・。

先ほどの古代エジプトの話。「女神イシスが謀略で太陽神ラーの真の名前を聞き出し、それを息子のホルスに伝え、ホルスはラーの名を知る強力な神として人間界に君臨することになった」と聞いて興味を持てたでしょうか。

おそらく、面白いと思った方は「名前の力ってすごいなぁ」よりも「イシスってホルスのお母さんなの?」「ラーの方がえらいのか」「アヌビスはどこ?」「バステトがでたら起こして(?)」くらいの反応かと思うのです。

さっぱり分からない方、すみません。パズドラの話です。名前に親しみがあると、知らなくても全く不自由しない古代エジプトの話ですら興味をもって読めると言いたいわけです。これはゲームの「功」の部分でしょう。

ここで、改めて名前の強大さに気づきました。例に挙げたゲームの「功」は、土地や人物などの名前を知ることだったのです。あるいは空間や立体を把握する=つまり知ることもそうでしょう。

人間が好奇心を持つのは、未知を既知に変えるための本能かもしれません。自分の生きる世界を理解しなければ自分の立場や能力が分からないのですから、持つべくして持った能力といえるでしょう。

では、反対に名前を失うということは・・・(フルバージョンはこちら↓)

普段何の気なしに呼ぶ名前。年とともに失念することも増えました。正しく呼名することの大切さ、一人ひとりを正しく認識することの必要性を改めて感じた動画でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?