いつまで経っても、わからない
今日友人と呑んでいて「人に興味がありますよね」と言われた。
確かに、ある。
その抽象的なことばは、何を意味しているのか。振り返って思ったのは、「どこまでいっても、人は分からん」「でも、分からんけど、掘っていくのは面白い」と言う2つのやや矛盾する認識を持ち続けることだと思う。
誰かの話を聞いて、その人を理解することは面白い。聞くほど、「仮説」として「こう言う人なのか」というイメージは深まっていく。真理に辿り着いたと思う瞬間すらある。
でも、経験的に分かっているのは、その理解は必ず良い意味で裏切られると言うことだ。
知らない側面は常に出てくる。それどころか、何度も話を聞いて、「確実にこう言う要素が強い」と思えたことすら、間違っていたり、意味合いが変わったりする。
でも、その分からなさや、常にその仮説を更新していくプロセス自体がたまらなく面白い。社会や、人生や、人全般に対しての関心すら、その過程を通じてアップデートされたりする。貴重な機会だ。
今日もいろいろ話して、いろいろ考えて、やっぱり分かるようで分からんなぁ、と言う思いでいる。
つまり、楽しかった。
そう、こういうのが、楽しいのだ。自分は。
でも、前提であるのは「その人たちが好きだ」という好奇心だ。それがなければ、そもそも深掘りしようと言う気持ちすら生まれなかったりする。
そう思わせてくれる友人たちに出会えたことは幸せだと思う。
ありがたや。
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