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大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第47回~

12月です。各地ですっかり寒くなり大河ドラマも残り2回となりました。
皆様健康には充分お気を付けください。
さて、どうする家康47回。
今週も『武将ジャパン』大河ドラマコラムについて書かせていただきます。
太字が何かを見たさんの言質です。
御手隙の方に読んでいただければと思います。それでは。


・初めに

>12月10日に放送された大河ドラマ『どうする家康』の第47回放送は、平均世帯視聴率が11.0%となり、前回放送の11.6%から0.6%減少しました。               番組平均世帯視聴率の推移ですが、前回46回(12/03(日)放送)は11.6%、今回47回(12/10(日)放送)は11.0%です。
何見氏の言うように0.6%減少していますが、ビデオリサーチによるとドラマ(関東地区)での最新視聴率(11月27日(月)~12月3日(日))では『連続テレビ小説・ブギウギ』に次いで2位をキープしています。
BS録画視聴ランキング(2023年11月20日(月)~11月26日(日))もあったので参考に添付します。
BS総合(関東地区)では『どうする家康45回(NHK BSプレミアム放送)』が100.0ポイントで1位をキープしているそうです。

『どうする家康』の放送はBSP4K放送が毎週日曜日午後0時15分からの先行放送、BS総合・BSP4Kでの午後6時、総合での午後8時、土曜日は総合で午後1時10分から放送しています。
またNHKオンデマンドでの配信、録画視聴やDVD/ブルーレイでの視聴など現在は視聴形態が幅広いので一概に『視聴率が~』と叩く要素にはならないかと思います。
好きな人ならば繰り返し視聴しているのではないでしょうか。

>今週は大坂冬の陣、城へ大筒を撃ち込む回想シーンからスタート。
>本多正純のピカピカ兜に反映する“スタジオ天井の照明”が気になると同時に、結局、最初から最後まで戦場のVFXはすべて曇り空だったのでは?という不自然な描写にも目が奪われてしまいます。

この場合兜に照明らしき光が当たっていると言いたいのなら『反映』ではなく『反射』が妥当では。
反映の意味は『光や色が反射して光って見え、色などが移りあって美しさや輝きなどを増す事(出典 精選版 日本国語大辞典)』とあります。
兜に映った光が貴方にとって美しいのなら構いませんが。
46回でも書きましたが、正純さん着用の筋兜に点々と反射らしきものが見えますが隣にいる片桐且元公が着用した桃形兜には映っていないので兜の形状で変わるのではないかと思います。
撮影の際の照明に関してはここで読者相手に文句を言ってもどうにもならないので直接NHKにお問い合わせしたらいかがでしょうか。
貴方のレビュー読者は照明スタッフではないですし、スタジオ撮影で照明を消してしまえば暗がりとなり撮影ができないと思います。

『どうする家康』より

>最初から最後まで戦場のVFXはすべて曇り空だったのでは?
慶長19年(1614年)12月、大坂冬の陣が開戦し、真田信繁公率いる牢人衆は出丸である『真田丸』で徳川方を迎え撃ち、徳川方は30万の大軍で大坂城を包囲します。
徳川軍は竹束を装備した塹壕や築山など仕寄せを築き、各種大砲を設置します。
真田丸をめぐる激しい銃撃戦の後カルバリン砲などの大筒を実践投入し、備前島などからの砲撃が大坂城天守を襲い、ついに天守に直撃し被害が出ます。
さてこの真田丸の戦、どのような戦場だったかというと。
真田丸の前方に位置する徳川方に動きがあったのは、12月4日の夜明け前なので当然辺りは薄暗いかと思います。
真田丸に対峙していた徳川方の諸将らは手柄を焦り、夜明け前に城際まで迫ります。
やがて夜が明けて濃霧も晴れてくると、敵の接近を察知した豊臣方は、激しい弓と鉄砲による攻撃を開始しました。
『どうする家康』作中の真田丸攻撃の場面が薄暗いのは夜陰に乗じて塹壕を掘り進み、夜明けごろに総攻撃に遭ったからです。
さらに砲撃後には雪が舞い落ちてきています。
真田丸では塹壕を壁にして前田利常公の12,000の軍勢が突撃をかけていました。
前田勢は篠山からの妨害に悩まされていたため、篠山の奪取を考え夜陰に乗じて篠山に攻め上がります。
真田信繁公が築いた真田丸では前田勢が城壁に十分近づいた所に火縄銃で射撃を行い、前田勢の攻撃を知った井伊、松平勢もそれに釣られる形で攻め込み銃撃に遭い、徳川方の多くの兵が命を失いました。(参照:『大坂御陣覚書』『津山松平家譜』ほか)
正純さんが「前田勢ら合わせて数千の兵が討ち死にした」と伝え、「あの出丸で」と真田丸を見遣ります。
一方、豊臣方では長宗我部盛親公や毛利吉政公により「面白いように死んでおりまする」と秀頼公に真田丸での活躍が伝えられました。

冬の陣布陣図(慶長19年12月)
『どうする家康』より
『どうする家康』より

>かと思えば『鎌倉殿の13人』の父子描写を悪化させたかのような、秀忠と家康の衝突シーンが続く。
>冷酷な父と優しい子にしたいのかもしれませんが、そもそも親子に見えてこないのはどうしてだろう。
>いくら家康に老けメイクを施しても、せいぜい飛び込み営業をやらせる会社の先輩と後輩ぐらいに思えてきます。
どの様なところが飛び込み営業をやらせる会社の先輩と後輩なのか具体的に提示してください。
そこまで言うなら貴方がきちんと老けメイクを施して親子に見える演技指導をして差し上げればいいのではないですか。
大坂冬の陣開戦前、「戦になっても兵力の差は歴然じゃ。少し懲らしめてやれば向こうもこちらの求めを受け入れるじゃろう」と楽観的で、妻の江さまの方が「ならば大御所様にはお休みいただき、殿が総大将となられてはどうか」と提案するほど娘の千姫を案じていました。(「見捨てる覚悟はしている」と言葉では言っていましたが。)
秀忠さまは「父上は孫を殊の外可愛がってくださる。酷い仕打ちはしない」と安心させようとしますが、「戦となれば鬼となれるお方では」と江さまは言い、「姉・茶々も一歩も引かぬたちであって何が起きても不思議ではない。貴方がお指図なされませ」と厳しい口調で送り出しました。
江さまは舅に疑念を持ち娘の身を心配するほど茶々さまから家康さまの評判(過分に偏っているとは思いますが)を聞いていたのではないでしょうか。
秀忠さまの心にもそれが引っ掛かっていたのかもしれません。
真田丸で多くの犠牲が出たため、ついに家康さまは大筒での大坂城への砲撃指示をしました。
大筒100門と石火矢などから次々と大坂城本丸へ弾が撃ち込まれ、ついに天守に砲弾が撃ち込まれ多くの被害が出ます。
秀忠さまはついに「こんなのは戦ではない、父上!もうやめろ!」と涙ながらに訴え出ます。
つらそうに顔を歪めながら「これが戦じゃ。この世で最も愚かで醜い・・・人の所業じゃ・・・!」と家康さまは涙ながらに直訴する秀忠さまに答えます。

『どうする家康』より
『どうする家康』より

大筒の用意の指示をした際家康さまは「戦が長引けばより多くの者が死ぬ、これがわずかな犠牲で終わらせる術じゃ」と言っています。
『徳川が汚名を着る戦』『恨みや憎しみは自分が背負って地獄へ行く』と家康さまは覚悟を決めており、犠牲を最小限に抑え愚かで醜い戦を早く終わらせるには高い火力の武器も動員し身内の犠牲や人の恨みを買う事も仕方ない事と思っていたのかもしれません。
直訴する秀忠さまの姿は、長篠・設楽原の戦で鉄砲隊による殲滅を目撃し「これが・・・戦にございますか。これは嬲り殺しじゃ。」と戸惑い、心を壊していった長男・信康さまに重なるものでした。
今は亡き信康さまに答えられなかった答えを秀忠さま相手ではありますが、ようやく導き出せたのではないでしょうか。

>「ご無事でありますように」と執拗に呟く幼い茶々は、他のセリフも用意できなかったのでしょうか。
>宗教考証はどうなっているのでしょう。
大坂冬の陣の最中、カルバリン砲の砲弾が直撃した大坂城天守は屋根に大穴を開け、怯えて動けない千姫を目掛け天井が崩落します。
茶々さまは千姫を庇おうとして落ちて来た天井の下敷きになり、負傷します。
そして茶々さまがまだ12歳の頃の回想が挟まれます。
「ご無事でありますように」とお百度参りをし神に無事を祈っている様でした。
そして末妹の江さまから「ご無事でした、姉上の憧れの君はご無事でした!」とうれしい知らせが伝えられます。(茶々さまは母が喜ぶからと引き合いに出して照れ隠ししていますが)
願いを叶えるために神社や寺院で100回参拝を繰り返すことをお百度参りと言います。
境内の一定距離を移動して神仏へのお参りを繰り返します。
『お百度石』という石が境内に設置されていて、この石と本殿を往復する場合もあります。
これは平安時代から続く風習とされ、「お百度を踏む」「百度詣で」とも言われています。

茶々さま12歳といえば天正10年(1582年)本能寺の変頃になります。
本能寺の変で信長公が倒れた後、家康さまは伊賀越えの苦難があり、清須会議の後、柴田勝家公が羽柴秀吉公と対立。
北ノ庄城にてお市さまは勝家公と共に自害しますが、茶々さまたち三姉妹は逃がされて秀吉公の庇護下に入りました。
お百度参りの最中は、雑念を取り払ってお参りに集中できるように声を出さないのが基本です。
『憧れのあの方』の武運と無事を神前に祈っているのにそれ以外に何を話すのでしょうか。

『どうする家康』より
『どうする家康』より
『どうする家康』より

・なぜ千姫に駆け寄るのか??

>茶々が千姫を庇ったことを美談にしたいのはわかりました。
>しかし、茶々にも、千姫にも、そばには侍女がいるのでは?
>実際のところ冬の陣の砲撃で亡くなったのは茶々の侍女でしょう。
>貴人をむざむざ死なせてしまったら、それは仕える者としては恥ずかしいこと。
>しかし本作はそんな武士のメンタリティがありません。
46回でも書きましたが、徳川方からの砲撃で大坂城内は激しく混乱し、秀頼公は「女たちを天守へ逃がせ」と命じます。」茶々さまと千姫、そして侍女たちは本丸へ急ぎますが、逃げる女性たちの背後に砲弾が着弾し粉塵が上がります。
天守に入った茶々さま一行も狙われており、備前島では徳川軍に引き入れられた片桐且元公が「恐らく天守へ向かって逃げるでしょう」と予想しており、天守にも砲弾が撃ち込まれます。
この時点で暗がりの中の砲撃。
茶々さまと千姫の侍女、どちらとも区別なく城内は上へ下への大騒ぎになっていた事でしょう。
武家の奥方とはいえ茶々さまはじめ奥向きの方々は非戦闘民であり、戦などの非常時で混乱している状態では誰の侍女などとは言っていられなくなり、彼女たちに『武士のメンタリティ』を求めるのは難しいと思います。
二度の落城を経験している茶々さまは銃声や鬨の声などの脅しが恐怖を与える事を知っており非戦闘民である奥向きの皆を鼓舞しようとしますが、千姫は恐怖に苛まれうずくまって動けないでいます。
茶々さまは侍女たちを上に逃がそうとしますが崩落する天井の下に千姫がいる事に気づきます。
茶々さまは必死の形相で千姫に駆け寄り身を挺して千姫を守りました。
気がついた千姫が見たものは瓦礫の直撃で下敷きになった侍女たちと倒れた茶々さまの姿でした。
実際では徳川方による本丸への砲撃では茶々さまの侍女8人に砲弾が命中して8人全員が死亡する悲劇も起きています。
この逸話に合わせると天井の下敷きになったのは茶々さまの侍女であり、千姫は茶々さまについて避難していたとも考えられます。
千姫は「義母上、義母上」と茶々さまを呼びます。 
茶々さまは額を負傷していますが無事で呼びかける千姫を引き寄せ安心させるかのように背中をさすります。
茶々さまが恨んでいるのは『徳川家そのものではなくて家康』であり、幼い時分から輿入れしてきた千姫を『豊臣家の御台所』として見ていて母のような思いもあったのかもしれません。

『どうする家康』より
『どうする家康』より
『どうする家康』より

・どうした筆跡?

>先週の「お千」という文字と、あまりにレベルが違う家康の筆跡。
>なぜこうも場面ごとに筆跡が変わるのか……って、考えるまでもないですよね。
>まともな筆跡は書道家が書いている。
>先週はどういうわけかそれをしなかった末の、ある意味、放送事故に近いのではありませんか。
貴方は硬筆(鉛筆)と毛筆で全く同じフォントとタッチで文字が書けるのですね。
家康さまは大坂での戦に備え三浦按針から貰った鉛筆(ぺんすう)で布陣図を書いていました。
久能山東照宮には家康公所用の品として硯箱に入っていた日本最古の鉛筆が所蔵されています。
使われている黒鉛はメキシコ製で重要文化財に指定されています。

『どうする家康』より

鉛筆は黒鉛を木材で挟んで筆記具にしたものであり、墨を筆に含ませて書く毛筆とは文字のタッチが変わって当たり前だと思いますが。
46回でも書きましたが、家康さまは布陣図の隅に『お千』と書いていますが、漢字の『於』を草書体で書くと『お』になるそうです。
なので『お』も『変体仮名』の可能性があります。

変体仮名を調べる 歴史的仮名書体を探す
http://www.book-seishindo.jp/kana/
『どうする家康』より

中世から江戸時代初期の日本で作られていた日本地図などの絵図を『行基図』と言いますが、家康さまが書いていた布陣図は地図ですので文字情報を伝えるために楷書体に近い字体なのだと思います。
下記画像は慶長年間(1596年〜1615年)に出版された『拾芥抄』という書物の中の行基図です。

『拾芥抄』
『どうする家康』より

家康さまが崩し字で書き続けていた写経は『日課念仏』と言います。 晩年の家康公は、日課として自筆の日課念仏を残しています。 いずれも縦26cm×横35cmの紙を用いて『南無阿弥陀仏』の名号六文字を六段に記しびっしり書いていますが所どころ『南無阿弥家康』と書かれています。

『どうする家康』より

・小道具班は今週も力尽きていた……?

>黒い土(砂?)の上に、その辺で拾ってきたかのような木片が並んだ――大坂城の布陣図があまりにも稚拙でため息すら出てきません。
>もはや手抜きというレベルではなく、単に間に合わせただけに見える。
>作画崩壊したアニメレベルのやらかしが毎週続き、悲しくなるほど。
>一体どうしてこうなるのか?
>ニコライ・バーグマン押し花で小道具班の気力も尽きたんですかね。
フラワーアーティストであるニコライ・バーグマン氏のフラワーアレンジメントはれっきとした商品であり、ストーリーに全く関係ない気に入らないドラマ作品を馬鹿にするための叩き棒に使うのは失礼であり、言い様によっては中傷や業務妨害になると思います。
作中では石川数正・鍋夫妻が築山屋敷の花を押し花にして一向宗(浄土真宗)のお勤めで読む正信念仏偈と共に保管し、瀬名さまや信康さまの供養をしていたというものです。

『どうする家康』より
『どうする家康』より

大坂城天守への砲撃後、茶々さまはじめ大坂方は徳川との和睦に応じます。
本多正純さんが家康さまに、千姫の無事と茶々さまが和議に応じる事を知らせます。
家康さまは阿茶さんに和議の全権を任せ、「二度と大坂を戦えなくする事が肝要である」と指示し、正信さんは大坂城の模型に目を凝らしています。
そして大坂城の堀に見立てた木切れを外しながら、「まあ堀をどっちが埋めるかなんざどうにでもなりましょう。城さえ丸裸にすればもう戦えませぬ」と説明します。
「おのずと豊臣は無力となり、あとは我らに従うのみ、再び抗うほど愚かではありますまい」と正純さんが付け加えます。
模型のぐるりと囲った木切れは大坂城の外堀・内堀、各砦、曲輪ですね。
屋外の陣中での堀埋め立て指示であり、戦場にある土と木材による即席の模型なのだと思います。
戦場にいるのにわざわざ凝った作りの模型を作って持ち運べというのでしょうか。

夏の陣布陣図(元和元年5月)
『どうする家康』より
『どうする家康』より

・何が「知られざる」だ!?

◆知られざる「どうする家康」戦闘シーンの舞台裏 高コストなロケから「バーチャル・プロダクション」でスタジオ収録へ(→link

zakdesk

>合戦シーンの収録については、こんな言い訳記事が出ていました。
>「知られざる」も何も、テカテカ兜に映り込むピカピカ照明で、スタジオ撮影だったのはあからさまだったじゃないですか。
>ドラマ作品の出来は、完成品の中身だけが問われるのであり、コストだのなんだのは子供じみた言い訳にすぎません。
(中略)
>問題は技術ではなく、やる気です。
問題は技術ではなく、やる気』まるで戦前の『足らぬ足らぬは工夫が足らぬ』という精神論のようです。
現場の苦労やできない事をすべて無視し理想論だけで語り、制作に携わらない赤の他人なのに自分の思い通りにならないという理由で無理難題や理不尽を通そうとする。
少しは現場がどういった状況かも考えてはいかがですか。
記事を引用しますが、元NHK解説委員でメディアアナリストの鈴木祐司氏の解説によると、

・「関ケ原の戦い」は、実は現在の関ケ原ではロケできない。地方では開発が進み、大軍と大軍がぶつかる空間を確保できない→今回は初めからロケを想定しなかった
・異常気象による酷暑や巨大台風
夏は暑くて大勢がよろいを着られない。秋はロケ日程がずたずたになる。
過去の大河では、屋外セットが突風に飛ばされたことでロケコストが跳ね上がった(『鎌倉殿?』)
・高齢化で大規模ロケを支えるベテランが減った
・数十頭の馬でもそろえるのは難しい
・働き方改革で長時間労働が許されず、大規模ロケが物理的に成立しない

zakdesk

これらの点を解消するために使用されたのがVP(バーチャルプロダクション)やLEDウォールの映像の使用だったそうです。
なお大規模ロケを避けたために、全48回の放送でかなりの金額が浮き、全額をVPに費やせたそうです。
来年以降の技術の進化が楽しみですね。

>露骨に手抜きをして汚らしい絵ばかり見せられ、そのしょうもなさが批判されているのに、論点をずらす。
>この“論点ずらし”こそ『どうする家康』の本質に思えます。
露骨に手抜きをして汚らしい絵』とはどこのどういった場面のどのような絵でしょうか。
貴方の頭の中にあっても具体的な説明がなければ人には伝わりません。
『しょうもなさが批判されている』論拠も併せてお示しください。
因みに何見氏が紫禁城と言われ許せないと憤慨していた信長公時代の清須城に関して私の見解はこちらです。

45回コラムより
信長公時代の清須城
『どうする家康』より

・春日局がナレーターだと明かされたのだが?

>「神の君!」と素っ頓狂な声でナレーションをしているのは春日局だと明かされました。
>そのナレーターが、茶々の妹・初を呼び捨てにしている。
>大河のナレーションは別にそこまで細かくなくてもよいとは思いますが、春日局となればそうはいかないでしょう。
>この語り口調は、あまりにも無礼では?
>主君である徳川家光の叔母である初を、なぜ小娘扱いするのか。
>倫理観が欠落している。
春日局は徳川家に仕える女性で三代将軍・徳川家光公の乳母です。
例え家光公の叔母といえど、常高院(初)さまは若狭国小浜藩初代藩主・京極高次公の正室です。
主家である家光公の生母・江さまに敬意を示す事はあっても常高院さまの夫・京極高次公(故人)は外様大名であり、徳川将軍家と大名家の線引きがなされているのではないでしょうか。
豊臣家も然り。

・あまりにしつこい『鎌倉殿の13人』オマージュ?

>大竹しのぶさんを一瞬だけ出しておいて、セリフもないってどういうことですか。
大竹しのぶさんは大蔵卿局として大坂冬の陣の和睦交渉シーンに登場しました。
『鎌倉殿の13人』では歩き巫女を演じていらっしゃいますが、歩き巫女と茶々さまの乳母・大蔵卿局ではキャラクター性が全く違うのにオマージュとは。
冬の陣の和睦交渉に当たり、豊臣方の全権代表は若狭小浜藩初代藩主・京極高次公の正室で茶々さまの妹・常高院(初)さまです。
豊臣方としては『豊臣家の所領安堵、秀頼公・茶々さまを人質として江戸に出さない事、牢人たちに所領を与える事』を条件としており、大蔵卿局は立会人の立場だったのだと思います。
秀頼公は「難儀な役目だが、よろしくお頼み申す」と常高院さまを送り出し、茶々さまは「阿茶局は狡猾で菓子だのを持参しいい様に丸め込もうとするやも知れぬ、一切その手には乗るな」と常高院さまに釘を刺します。
しかし、交渉の場では阿茶さんに出された菓子を常高院さまは美味しそうに味わい、同行した大蔵卿局にも菓子が振舞われたのでした。
茶々さまに忠告されたにもかかわらず、甘いものに目がなく機嫌取りの菓子を賞味してしまう常高院さまを不安そうなどこか失望したようなまなざしで見つめる大蔵卿局はまさに『目は口程に物を言う』を体現していると思います。

『どうする家康』より
『どうする家康』より

大竹さんは「台詞がないお芝居というのは、すごく面白いですね。台詞がないからこそあまりやりすぎず、臭くならない様やりたいなというのもありますし、私が出ている前のシーンからの流れとその次のシーンへの流れも考えてお芝居を作れればいいなと。監督から、それほど細かいリクエストはなかったのですが、『最後の方、ガッカリ・・・みたいな表情を出してください』と言われたので、そこは意識しました」と話していらっしゃいます。

◆どうする家康:大竹しのぶ、“せりふなし”の芝居満喫「すごく面白い」 松本潤から「自由にやっちゃって」 最後は「ガッカリ顔」意識(→link

MANTANWEB編集部

>なんでも松本潤さんに頼まれたとか。
>コネで大女優を出しておいて、さすがにこの扱いは酷すぎるでしょうよ。
>こうした強引とも思えるキャスティングは、文春砲の信憑性を増すばかり。
>主演俳優がここまでキャスティング権を行使するというのは、禁じ手ではありませんか。
>ジャニーズ事務所に任せきりにした結果、局内で性犯罪が起きていたのに、またもこうも責任感を投げるようなことを繰り返しているのですか?
松本さん個人がいつ性犯罪に関わりましたか。
故人の罪まで連帯責任と言わんばかりですが、どうやって松本さんが罪を償えというのでしょうか。
故人の代わりにサンドバッグにされろとでも。
事件を起こした事務所に所属している事や『文春砲は信憑性があるから!』という理由で特に落ち度のない個人を殊更に強敵にして中傷するのは属性による差別だと思います。
大竹さんは彼女のラジオ番組に松本さんが出演された時、一足先にドラマのDVDをいただいて第1回を見たそうです。
大河ドラマの主役を演じるにあたって、相当な覚悟を持ってチャレンジしているのが分かり、「ぜひ応援したいな、私にできることはあるかな」と考えていたそうで「お声がけいただいて、潤君が一生懸命取り組んでいる作品に出られることを、友人としてとてもうれしく思いました」とお話しされています。
コネで大女優を出した』ではなく大竹さん自身作品を応援したいという気持ちがあって出演を受けられたと分かるのに『キャスティング権を行使』『文春砲の信憑性を増すばかり』とは。

◆喜多川氏が高校生にNHK局内で 性加害の証言を番組で報道(→link

共同通信

・最低最悪のミソジニードラマ?

>このドラマは「ポリコレでフェミに媚びたw」だのなんだの言わないで欲しい。
>大蔵卿局ほどの女性重要人物でもセリフは一切なく、置物扱いだった。
『どうする家康』公式がいつ「ポリコレでフェミに媚びたw」と言ったでしょうか。
論拠を示してください。
冬の陣の和睦交渉の豊臣方の全権はあくまで常高院さまで大蔵卿局は立会人の立場です。
交渉は徳川方の京極忠高公(京極忠次公長男)の陣に於いて、本多正純公・阿茶局と豊臣方の常高院さまの間で執り行われ講和条件が合意、誓書が交換され和平が成立しています。
和平交渉の場では大蔵卿局に口を挟む権限がないため状況を見届けるのが役目だったのではないでしょうか。

>差別云々の話はこの際置いといて、どういうセンスをしているのか?と問いたくなります。
>今はもう2023年です。
>「タランティーノまじやべえw」と思ったあたりでセンスが止まっていませんか?
>『パルプ・フィクション』は1994年ですよ。
>彼らは多様性のない、男だけのボーイズクラブで生きてきた。
>そのルールしか念頭に置いていません。
>多様性のない集団は弱い。いわば船同士を繋いで宴会をしているようなもの。
>東南の風を呼びよせれば、一気に炎上しますよ。
タランティーノの映画の話がしたいのか赤壁の戦の話がしたいのか、何が言いたいのか分かりません。
とにかく大坂冬の陣とは関係ない話題ですので別記事を立ていくらでもそこで話してください。
『作品内で女はどんな存在なのか』を論じているのになぜ『多様性のない、男だけのボーイズクラブのルール』が出てくるのでしょうか。
大坂の陣の和平交渉がどのような状況で行われたかに関係あるでしょうか。

・どうしたカメラワーク?

>このドラマのカメラワークは、撮り直しがなかなかできないと文春砲で暴露されました。
>それも納得できます。
>阿茶局と初の和議は、わざとかと思うほど酷い。
>真正面からアップを切り取るだけで、なんなんでしょうか。
ここでも『文春砲の信憑性が増した!』ですか。
『単調なカメラワークに、ぺろぺろと悪目立ちする劇伴。とても歴史作品とは思えません』とありますが、肝心の和議の内容に一切触れられず和議の場面ではそれが一番重要だと思います。
『真正面からアップを切り取るだけ』と言いますが、阿茶さんと常高院さまそして大蔵卿局の対面の場は部屋に高坏に乗せられた様々な菓子が用意された場面があります。

『どうする家康』より

常高院さまは阿茶さんに『豊臣家の所領安堵、秀頼公・茶々さまを人質として江戸に出さない事、牢人たちに所領を与える事』の3条件を提示し、阿茶さんは所領安堵と秀頼公を人質として江戸に出さない事を承諾しますが、牢人に所領を与えることは不可能であり「せめて罪に問わず召し放ちが精いっぱいである」と伝えます。
そのうえ阿茶さんからは「ただしお堀をすべて埋め立て本丸以外は破却するという事ならば。お堀を埋めるのは徳川がお手伝いしましょう。」と大坂城の堀をすべて埋める条件が提示され、常高院さまは「豊臣の事は豊臣にお任せくださいませ」と言い、堀の埋め立てと本丸以外の破却を『豊臣の事』として任せる様返答します。
こうして講和条件が合意され和議が成ったのでした。

【講和内容】
豊臣家側
・本丸を残して二の丸、三の丸を破壊し、惣構の南堀、西堀、東堀を埋める。
・淀殿を人質としない替わりに大野治長、織田有楽斎より人質を出す。
徳川家側
・秀頼公の身の安全と本領の安堵。
・城中諸士についての不問。
・秀頼公・淀殿の関東下向を行わなくてよい。

阿茶さんは常高院さまの事を、「のんびりしてそうに見えて、なかなか賢いお方でございました」と評します。
これまで『徳川方は「惣」の文字を「すべて」の意味に曲解し、強硬的に内堀まで埋め立てる卑劣な手段を使った』とされてきましたが、一次史料の中には確認できず『惣構の周囲外堀のみならず、二の丸と三の丸を埋め立てる大坂方も納得しており、幕府と大坂方との当初からの合意に基づくものであった』と現在ではなっているそうです。

『どうする家康』より
『どうする家康』より
『どうする家康』より

・本多正信はとんだ無能?

>京都で放火があったのに「あ〜あ」と口にする本多正信は一体なんなのでしょう。
>未然に防げなかった己を恥じることはありませんか?
>愚かなだけでなく、性格も最低だと思います。
>無責任で他人をおちょくることしか考えていない。
>今週の放送だけで「あ~あ」を二~三度放っていて、その度に辛い気分にさせられました。
勝手に辛い気分になっていればいいのではないですか。
それほど辛いなら一切大河ドラマを見ず、何も勉強にならないレビューをやめたほうがよろしいかと思います。
正信さん曰く、10万の牢人は減る事なく増え続け、兵糧を集めており、大坂は鎮まるどころか一層危うくなっています。
慶長20年(1615年)3月、常高院さまが駿府を訪れます。
丹波の小豆で作った牡丹餅を阿茶さんが殊の外気に入っています。
その時江さまも姿を見せます。家康さまが二人を合わせるため駿府に呼んでいたのでした。
正純さんが、大坂方が相変わらず兵糧を集めており10万の牢人は減るどころか増えている事を伝え、「戦を飯の種にしおって」と忌々しげに言います。
家康さまは「飯を食うために戦をする奴はまだいい、米を与えてやればよい、まことに厄介なのは、ただひたすら戦うことそのものを求める輩じゃ」と食い扶持のためではなくただ戦を求める者に厄介さを語り「100年にわたる乱世が生み出した、恐るべき生き物」と評します。
そして「今やわしも、その一人なんじゃろう、それが滅ばぬ限り戦はなくならぬ」と言います。
歓談しているところに書状が届きました。
正純さんはそれに目を通し「牢人どもが京に火を放って、死人が大分出たらしい」と報告します。
「やはり起きましたな」と正信さんは予測した事が当たったと言う様に言います。
家康さまは、「これは和議を反故にしたとみなすほかない、我が軍勢をもって豊臣を攻め滅ぼす」と言い、常高院さまは「牢人どもが勝手にやっていることと存じます」と釈明しますが、家康さまは「牢人を召し放ち、大坂を出て大和伊勢辺りの大名となり我が配下となることを受け入れて貰わねばならぬ」と伝えます。
3月、大坂に浪人の乱暴・狼藉、堀や塀の復旧、京や伏見への放火の風聞といった不穏な動きがあると京都所司代・板倉勝重公より駿府へ届き、徳川方は浪人の解雇か豊臣家の移封を要求します。
『未然に防げなかった己を恥じる』という状況ではすでになく、牢人を召し放つ様和睦条件で提示しても応じず牢人たちの狼藉を止められないのでは豊臣を攻め滅ぼすしかなく、仕方ないという感じなのだと思います。

・和睦だのなんだのいうけど?

>この家康は女の前でカッコつけることしか考えていないと思います。
>浅井三姉妹をどうしてこんな使い方にするのか。
>家康のファンクラブ、喜び組要員のように見えます。
常高院さまは大坂の様子を危惧し妹の江さまに会いがてら家康さまに呼ばれただけです。
喜び組要員』ではなく茶々さまは母お市さまからかつて懇意だった家康さまの事を聞き及んでおり、『憧れの君』として自分の中で理想の推しが出来上がっていただけですね。
和議が成り、堀や二の丸・三の丸が埋め立てられますが、徳川と豊臣の睨み合いはなおも続いており、状況の打開と妹・江さまへの対面のために常高院さまが手土産の丹波産小豆の牡丹餅を持って駿府を訪れます。
家康さまが常高院さまを江さまに合わせるため呼び寄せており、「そのような理由で」と阿茶さんは言いますが、牡丹餅を非常に喜んでいます。

・結局、他の役者頼りだった?

>そこまで存在感がなかった北政所が長々と語るのは時間稼ぎでしょうか。
>演者の風格からして、彼女が画面にいると大河らしくは見えます。
>そういうアリバイ作りのため、長々と時間をかけているとしか思えません。
現在は『北政所』ではなく、慶長8年(1603年)に落飾し、朝廷から院号を賜り『高台院』を名乗っています。また京都東山に高台寺を建立しそちらに移っています。
和議が成り、堀の埋め立て中の大坂城を、高台院さまが訪れます。
高台院さまは和議が成った以上、「もう抗う意志はないと徳川に示すべきである。牢人たちは召し放った方がいい。あの者たちは己の食い扶持のために集まっているに過ぎない」と茶々さまに伝えた後、「秀頼を立派な将に育ててくれたことを感謝する」と言います。
続いて「今の豊臣家が徳川に代わって、天下を治められると思うか?」と尋ねた後、また乱世に戻ってしまうと訴えます。
茶々さまは「豊臣の正室であらせられるお方の物言いとは思えぬ」と反発しますが、高台院さまは「そなたは豊臣のためにやっとるのか、そなたの野心のためではないのか、その野心を捨てれば豊臣は生き残れる」と言い、「秀頼を、豊臣を守ってくりゃーせ」と頭を下げて懇願しました。
茶々さまは「自分は世のため、この国の行く末のためにやっている」とかたくなです。
高台院さまは中立の立場であり、亡き秀吉公と二人で無から作り上げた豊臣家を野心のために滅ぼしてほしくないという思いがあり、説得に来たのだと思います。
『アリバイ作りのため、長々と時間をかけている』とは。

『どうする家康』より
『どうする家康』より
『どうする家康』より

・どうしようもない! 気持ち悪すぎるおっさんの妄想?

>12歳の茶々が、ろくに顔を見たこともない、面識もないアラフォー家康の無事を祈っていたという超展開はなんなんだ!  
いろいろ事実誤認が多すぎてこちらが言葉を失いますが。
『面識もないアラフォー家康』『面識もないおっさん』ですが、第13回で初めて上洛した際、夫の浅井長政公に従って上洛していたお市さまに伴われていたまだ赤子の茶々さまを家康さまは抱っこさせてもらっています。
この時家康さまはまだ20代です。
茶々さまの母・お市さまは家康さまとは人質時代からの知古であり、お市さまが淡い恋心を抱く存在でした。
浅井長政公の死後、尾張守山城に預けられたのち岐阜城に移った親子。
おそらく事あるごとにお市さまが若い時分の初恋の話を昔語りの様にしていたのでしょう。
父・浅井長政公の面影を良く知る長女の茶々さまは妹たちの「もしかしたら私たちの父上は、徳川様だったのかもしれないのですね」という無邪気な言葉を否定していましたが、いつしか母の思いと自分の思いが混同していき、茶々さまの中で理想の『憧れの君』として推すべき偶像のような存在になっていったのだと思います。
茶々さまから見れば20歳以上も歳上の殿方、死別した実父・浅井長政公と同じくらいに慕う父親の様な存在でもあったのかもしれません。

『どうする家康』より
『どうする家康』より
『どうする家康』より

>最大の庇護者である伯父の織田信長が討たれ、彼女自身が生きるか死ぬか恐ろしい状況と思っても仕方のないところで、面識もないおっさんに妄想を募らせるか?             
>そんなことがありえると、このドラマの制作者は本気で思っているのですか?                       

『面識もないおっさんに妄想を募らせるか?』とありますが、例えば現代でもアイドルなど推しの存在がいて、勝手に人となりを想像し憧れ応援するというのに近いでしょうか。
慶長20年(1515年)、「ずっとお話ししてよいものかわからずにおりましたが」と話を切り出した江さまの口から茶々さまに『憧れの君』がいたと家康さまは告げられます。
本能寺の変後『憧れの君』も命を狙われて逃げていると知り、12歳だった茶々さまは祠で1人お百度参りをし祈っていました。
そこへ妹たちがやって来て、その人物の無事を知らせます。
安堵した茶々さまは「母上がお喜びになるだろうと思うただけじゃ、いずれ我らを助けに来てくださるお方だと、思うておいでなのでな」と言い聞かせています。そして「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も顧みずに人を助け、世に尽くす。そのようなお方であれば、それこそ、まことの天下人にふさわしきお方だと思わぬか」と言います。
家康さまを自分たちを苦境から救い出してくれるヒーローの様に思っていたのでしょう。
常高院さまは当時を回想し、「それは姉の中で勝手に膨れ上がっていた幻のようなものだったのでしょう、しかし賤ケ岳の戦いで母が死んだ時、憧れが深い憎しみになりました」と言います。

『どうする家康』より
『どうする家康』より

>憧れの方が助けてくれなかったから恨んだって?      
>いや、もう、あまりの妄想の激しさに言葉を失います。 
憧れの方が助けてくれなかったから恨んだ』ではなく、『自分たちに目をかけて助けてくれるかもしれないと思ったのに結局手を差し伸べてくれなかった。そして母は自害を選んだ。私たちは裏切られた』の思いが強くて家康さまに憎悪を募らせたという事でしょう。(家康さまも築山殿事件では妻子を処すことになった自責よりも『好きにしろ』と傍観した信長公に恨みをぶつけていましたが、そうでもしないとやっていけなかったと酒井さんが心理分析していました)

>「あのJC(女子中学生)が、オレをチラチラ見るんだよなーッ!」って、おじさんがニヤニヤ言い出したら、普通はドン引きですよね。
>そんな薄気味悪い描写を受信料で流すなんて……絶句しました。
母の淡い思い出を自己のものと思い込み、家康さま本人があずかり知らぬところで茶々さまによって『憧れの君』像が出来上がっていきます。
いつしか落城の憂き目にあって傷ついた心を救う英雄のような人物像になっており、それが賤ケ岳の戦で事情があったにせよお市さまの救援要請に応える事はなく、お市さまは三姉妹を逃がし自害。
『母を見殺しにした大嘘つき』と憧れは憎悪に代わりました。
そして大坂の女主になった今、我が子秀頼公を『憧れの君』に仕立てます。
常高院さまは「そのような存在を己の手で作り上げたのだと姉は信じている、ゆえに偽物の天下人を秀頼が倒すことこそが世のためと信じている」と語り、江さまも「姉・茶々を止められるのは自分たちではないと存じます」と家康さまに訴えます。

『どうする家康』より
『どうする家康』より
『どうする家康』より

『「あのJC(女子中学生)が、オレをチラチラ見るんだよなーッ!」って、おじさんがニヤニヤ言い出したら』
女性の淡い恋心や推しを応援したい気持ちがふとした事で憎悪に変り果てる心情を理解せず、性的な視点でしか見られない貴方の薄気味悪い妄想にドン引きしています。

・これは何のドラマなのだろう??

>一応、今回は大坂の陣から夏の陣への流れを描いているんですよね?
>それなのに家康モテモテファンタジーだの、江と千姫のしょうもない対話だの、公共放送でいったい何を見せつけてくれるのでしょう。
母の死によって『無事を祈るほど推し続けた憧れの君』に失望し、家康さまへの好意はいつしか膨れ上がる憎悪に変わり『母を助けてくれなかった大噓つきの狸』となり、『偽物の天下人・徳川家康を秀頼公が倒すことこそが世のためと信じている』がために、我が子秀頼公を『理想の憧れの君』に己の手で作り上げた茶々さまの人生をえがいているのですが。
そしてその憧れの君『豊臣秀頼』に嫁いだ千姫は自分も含め戦を知らぬ奥向きにまで砲撃した事で、『何かあれば駆けつける』と言った祖父に裏切られたように思えたのでしょう。
江さまは娘のために、櫛と家康さまからの『ぺんすう(鉛筆)』を持参して千姫の前に置きさらに「徳川家の姫として両家の間を取り持ってほしい」と願いますが、千姫は「自分は豊臣の妻である」と言い母と祖父の贈り物を受け取らず「お達者で」と言い放ち上座に戻ります。
江さまは娘の事で駿府に戻った後泣き崩れ、秀忠さまが慰めていました。
茶々さまの数十年にわたる愛憎が『理想の大将・豊臣秀頼公』を作り上げ、戦いの中で今度は孫娘の心を傷つけたという因果の物語だと思います。

・どうする散る花びらとろうそく?

>泣きじゃくる江を秀忠がなだめ、家康が思いに耽る。
>その背後で唐突に散り始める花びらのマヌケさよ。
>歴史トンデモ作品の『47 RONIN』を連想させ、思わずにっこりと微笑んでしまいました。
大坂での牢人衆の乱暴・狼藉や京や伏見への放火の風聞の一報が京都所司代から入ったのは慶長20年(1615年)3月15日(旧暦なので西暦では4月)です。
春の盛りであり、城内の桜が満開になり花が散っていてもおかしくないと思いますが。
ソメイヨシノが広まったのは明治時代以降なのでこの場合の桜はヤマザクラでしょう。
ヤマザクラ開花期は4月頃です。
いつの時代でも花を愛でる心はあると思いますし、儚く散る花を見て物を思う事のどこが間抜けでしょうか。

『どうする家康』より

>蝋燭の火力も凄まじいですね。
>バーナーか。
>散る花びらにバーナーろうそくがロマンチックだと思っているって、いつの時代のセンスなのでしょう。
安土桃山時代に使われた蝋燭は櫨(はぜ)の実の外殻から抽出した油脂から作られた木蝋が使用されています。
和蝋燭は西洋のものに比べ芯が太く、中空で空気が絶えず芯の中に供給されるので炎が消えにくくオレンジ色の炎が風が無くても揺らめき、炎の大きさは本体の長さの半分程度まで火が伸びる場合があるそうです。

『どうする家康』より

・どうする筆の持ち方?

>一応、筆を立てて持つようになったものの、見ていてなんだか危なっかしいというか、落ち着かないというか。
>習字を始めたばかりの教え子を見て、心配そうに眺めている担当教員の気分です。
>主演の方は、親友だという歌舞伎役者の方から教わったらよかったのでは?
>まぁ、全ては本人のやる気次第ですよね。もう来週は最終回です。
筆の持ち方にくどくどと因縁をつけるのはこれで何度目でしょうか。(数えたところ6度目です)
間違った使い方をしているわけでもないのに事あるごとにネチネチと筆の持ち方にイチャモンを付ける貴方のような教師がいたら教えられる子供はすぐやる気をなくす事でしょう。
筆の持ち方には『人差し指と中指を筆にかける双鉤法』と『人差し指を筆にかける単鉤法』があります。
『どうする家康』では書状などを書く場合、人差し指を筆にかける『単鉤法』を使っているようです。
かな文字や細かい字を書くのに適しているそうです。
基本的な筆の持ち方が2種類ある事は調べれば出てくるのですが。
また、筆を立てて書いているのなら書道の授業などで習う通りであり、特におかしくないと思います。

参照:https://web-japan.org/kidsweb/ja/virtual/shodo/shodo02.html
『どうする家康』より

・もうどうしようもない家康の偽善!?

>「秀頼くんを生かしてこそ母だよ」と、したり顔で淀殿に手紙を送った家康。
>本丸にカルバリン砲をバンバン撃ち込んでおいて、よくこんな書状を書けますね。
>BGMはニコライ・バーグマンのフラワーボックスが似合いそうな、ぺろぺろしたお涙頂戴ストリングス。
>脳が割れそうです。
もう脳でも何でもいいので割れてしまえばいいのではないですか。
何度も書いていますが、フラワーアーティストであるニコライ・バーグマン氏のフラワーアレンジメントはれっきとした商品であり、ストーリーに全く関係ない気に入らないドラマ作品を馬鹿にするための叩き棒に使うのは失礼であり、言い様によっては中傷や業務妨害になると思います。
いい加減無関係の物や人を気に入らないから侮辱して喜ぶのを止めましょう。
自分の言動に責任が持てますか。
家康さまが茶々様宛に書状を認めるきっかけになったのは、常高院さまと江さまの茶々さまがなぜ『天下を豊臣から簒奪した(と思っている)徳川を憎み、かたくなに秀頼公を盟主として戦いに臨もうとしているか』を聞いたからだと思います。

「茶々殿。赤子のあなたを抱いた時のぬくもりを、今も鮮やかに覚えております。そのあなたを乱世へ引きずり込んだのは、私なのでしょう。
今更私を信じてくれとは申しませぬ。ただ、乱世を生きるは我らの代で十分。子供らに、それを受け継がせてはなりませぬ。私とあなたで、すべてを終わらせましょう。私の命は、もう尽きまする。乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて、滅ぶ覚悟にございます。
されど秀頼殿は、これからの世に残すべきお人。いかなる形であろうとも、生き延びさせることこそが、母の役目であるはず。かつてあなたの母君がそうなさったように」

『どうする家康』より

茶々さまの中で勝手に『徳川家康の虚像』が膨れ上がり、お市さまの死をきっかけに憎しみに変わり、理想を我が子に求めなお滅びを選ぼうとしているのなら妹の常高院さまや江さまでは止めることは難しく、憎しみの原因を作ってしまった家康さまが責任を取り次世代に憎しみを及ぼさないよう書状による説得を試みたのだと思います。
貴方は仮に戦争が起きた時、攻撃した側がそれ以上無益な戦いを続けないために和平交渉を持ち掛けるのは『偽善』だとして戦えない非戦闘民すら玉砕に巻き込んでもいいと思っているのでしょうか。

・戦場で命を燃やし尽くすとか言い出しおった?

>あまりにも突然、好戦的な性格に豹変した豊臣秀頼。
>家康と淀殿の恋バナを無理やりねじこんだせいで、秀頼が戦バカだという設定にされてしまいました。
>乱世の夢を見た秀頼のせいだったんだね!
>これが乱世の亡霊か!……って、なんじゃそりゃ!
>それで茶々は納得しているし、大野治長も止めるどころかおかしい。
>千姫まで洗脳されているかのよう。
>具体的な描写は何ひとつなく、やる気だけでどうにかなると思っているように見える。
>第47話にして、秀頼教が始まってしまった。
『~しおった』は『~しやがった』という意味ですが、個人的なブログならともかく、ドラマ作中の警護に厳しくクレームを付けている割に自分の言動は改めないのですね。
商業アフィリエイトブログでお金をいただいて記事を書くライターが暴言のような言葉を使い続けているのはどうかと思います。
編集は一切校閲することもできなくなったのでしょうか。
茶々さまは家康さまからの書状を読み、廊下に出て背丈を図った柱に手を触れます。
秀頼公は茶々さまの身長をとうに追い越し、17歳の時にすら茶々さまは及ばず、我が子の成長を実感しているようです。
茶々さまは秀頼公に「母はもう・・・戦えとは言わぬ。徳川に下るもまたよし、そなたが決めよ。そなたの本当の心で決めるがよい」と今後の戦の成り行きを委ねます。
治長公も、「我ら殿がお決めになった事に従いまする」と言い、千姫も「殿の本当のお心に従う」と言います。
秀頼公は「お千。前にそなたは、私の本当の心が知りたいと申したな?私はあれからずっと考えていた。ずっと母の言うとおりに生きて来たこの私に本当の心はあるのだろうか」と問い、小姓から刀を受け取った後自問します。
「我が心に問い続け、今ようやくわかった気がする」と部屋を出て、牢人衆の前に姿を見せ、「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も顧みずに人を助け、世に尽くす。それが真の秀頼である。」と宣言します。
これはかつてまだ12歳の茶々さまが『憧れの君』だった家康さまを評して言った言葉です。
彼はこの言葉を宣言することで母の思いを引き継ぎ、自分を信じ担ぐ者たちの偶像として準じる事を決意したのではないでしょうか。
和睦後も残った牢人衆は食い扶持だけでなく戦がしたい一心で大坂に噛り付く『乱世の亡霊』です。
秀頼公は母の思いの詰まった偶像『豊臣秀頼』から結局降りられず、下手をすれば乱暴狼藉や放火を繰り返す牢人の無法地帯になりかねない大坂を捨て『己を信じてついてくるものを見殺しにする嘘つき』にはなれなかったのだと思います。(場の空気的に豊臣家が『戦いから手を引く』と言えばいきり立った牢人衆の暴動を抑えられず、内乱へと発展する場合も考えられます。)
『秀頼教』ではなく、『降りられない担がれた御輿』なのだと思います。
秀頼公は「生まれて初めてこの胸の内で、熱い炎が燃え滾るのを感じておる」と拳を握り締め、「余は戦場でこの命を燃やし尽くしたい!」と言います。
茶々さまは何か言いたいことがある様ですが、秀頼公は牢人衆の前で「天下人は断じて家康ではなくこの秀頼である事こそが世のため、この国の行く末のためである。信長と秀吉の血を引く自分が、正々堂々皆々と共に戦い、徳川を倒してみせる」と語ります。(織田の血は引いていますが母・茶々さまの伯父が信長公ですね)

『どうする家康』より
『どうする家康』より

「余は決して皆を見捨てぬ。共に乱世の夢を見ようぞ!」と声高らかに宣言すると牢人衆は喚声を上げました。
大野治長公は秀頼公の家臣であり、ほか家臣団も含め主命に従う覚悟でいたと思います。
「異論ござらんな」と言う秀頼公に、茶々さまは「よくぞ申した」と言い、夫の本心を知った千姫が「徳川を倒しましょう」と言い、見届けた常高院さまは複雑な表情で勝鬨を聞いています。

>籠城してどうやって徳川を倒すのでしょう?
>このドラマってつくづく兵法が嫌いですよね。
>物資の確保は? 堀のない城での戦術は? 武器はありますか? 兵糧は?
>具体的な描写は何ひとつなく、やる気だけでどうにかなると思っているように見える。
>現実感が何もない。
具体的な描写は何ひとつなく、やる気だけでどうにかなる』
47回ではまだ大坂冬の陣後の和睦交渉と大坂城の堀・曲輪の埋め立て、大坂方の決起による夏の陣勃発までしか描かれておらず具体的な大坂夏の陣の様子は48回で描かれるのだと思いますが。
『籠城してどうやって徳川を倒すのでしょう?このドラマってつくづく兵法が嫌いですよね。』
作中ではまだ『開戦前夜』であり、徳川軍と本格的にぶつかっていません。
戦の描写や現実感が何も無いのではなく、何もしていないからですが何を見ているのでしょうか。
慶長20年(1615年)1月。
真田丸が破却され、徳川側は突貫工事で外堀を全て埋めた後、二の丸・三の丸も埋め立て始めます。
1月23日には堀の埋め立てが完了し、門や櫓も破壊され大坂城は防衛ラインが全て無くなった裸城になりました。
4月、交渉が決裂し再びの開戦は避けられないと悟った豊臣方は金銀を牢人衆に配り武具の用意に着手し、主戦派の牢人衆たちが堀の掘り返しをします。
和議による一部牢人の召し放ちや、もはや勝ち目無しと見て大坂城を去る者が出たため、豊臣家の戦力は7万8000に減少しますが、籠城戦では勝つ見込みが無いと判断し、総大将の首を討つ機会のある野戦にて徳川軍との決戦を挑む事が決定されます。
戦う術を持たぬ茶々さまなど奥向きや最後の切り札である秀頼公など豊臣家中の主だった方々は大坂城本丸に残り、牢人衆たちが最期の大戦に臨むのでした。

夏の陣布陣図(元和元年5月)

>このドラマが嫌われる理由は、史実に反するからではありません。
>幼稚で陳腐、センスが古い。
>エイエイオーと叫ぶとピアノがピロピロ響くとか、意味不明です。
まだ本格的に徳川方と豊臣方(牢人衆)が大坂城の外でぶつかってもいないのに『史実に反する』とは?
鬨(とき)は中世の戦などの勝負事で勝ちを収めたときの勝ち鬨や、士気を高める目的で多数の人が一緒に叫ぶ声で武家作法の一つです。
勝鬨は流派によって多少の差異がありますが、作中では大将が三度弓杖(ゆんづえ)で地面を叩き、「えい、えい、えい」と三声の鬨をあげ、家来が声を合わせ、「応(おー)」と応えるものです。

・映画『ナポレオン』は一途なのに……?

>映画『ナポレオン』が話題です。
>迫力ある映像に対し、ストーリーはナポレオンとジョゼフィーヌの愛を中心としているため、賛否両論だとか。
>こうした世界的な映画でも、恋愛中心となると歴史劇はそういうトレンドなのかと思いますよね。
今度は映画『ナポレオン』を叩き棒に『どうする家康』批判ですか。
そこまで『ナポレオン』を評したいなら『Aに比べてBは』ではなく別記事を立てて論評してください。
18世紀フランス軍人、第一帝政の皇帝と16世紀末から17世紀前半日本の一大名家の奥向きを比較できるとは思えません。

>しかし、考えてみてください。この『ナポレオン』の場合、一途にジョゼフィーヌを愛しています
>元カノのデジレ。愛人のマリア・ヴァレフスカ。このあたりは出てこない。
>再婚相手のマリア・ルイーザは出てきますが、ジョゼフィーヌの不妊が重要ならばそうなるでしょう。
正室の位置づけが「家族の一員」であるのに対し、側室の位置づけは「使用人」です。(稲垣史生「側室」『日本大百科全書』 小学館)
妻を一途に愛し信頼しているのと、世継ぎを産み正室の差配の元取次や交渉などをする側室で構成されている奥向きは両立すると思いますが。

>マザーセナが生きている頃から「側室オーディション」。
>死んだら補給されてくるレーシックお愛。
>それも死んだらまた生えてくる自称男勝りの阿茶局。
>これだけではない。
>市とも愛し合っているかのような設定。
>しかもその娘の茶々も家康に惚れていた!
>もう純愛でも何でもないでしょうよ。
お市さまの子供時代の淡い恋心や、茶々さまの父を幼くして失い年上の殿方に父親のような憧れを持ち『自分の考えた最強の推し』を構築してしまいそれが崩れた時言いようのない深い憎悪を抱いてしまう心境はあくまで片思いです。
政略結婚や正室主導で選ばれ公的に認められた側室との関わりは別物だと思います。
『マザーセナ』『レーシック於愛』『自称男勝りの阿茶』と侮蔑のあだ名をつけ喜ぶあなたは本当に悪趣味な人です。
お葉さんは徳川家正室の瀬名さまが主導権を握り側室選びで選ばれます。
初夜こそ怖がられる事態でしたが細やかな気遣いのできるお葉さんは家康さまの子を産みます(督姫)。
しかし殿方に侍るのは本意ではなく奥向きをいったん下がり侍女のお美代さんと我が子を育てます。
於愛さんは前夫を戦で失い失意が大きかったのですが、お葉さんの勧めで侍女として浜松城で働いていました。
台所での家康さまのつまみ食いをきっかけにお葉さんの紹介もあり瀬名さまに目通りを許され側室になります。
なので側室になったのは瀬名さま存命時です。
阿茶さんは元武田家家臣の娘で初登場時には於愛さんが亡くなった後でしたが、ナレーションで「君のご側室のお一人、阿茶の局でございます」と言っており、於愛さん存命時からの側室と分かります。

『どうする家康』より
『どうする家康』より
『どうする家康』より

>晩年の家康は孫のような年齢の女性に子を産ませていました。
>彼なりの健康法かもしれません。
>そのことを踏まえると、本作のキモすぎるお手紙を送る家康が、心底嫌になります。
>ここまで気色悪いシナリオを作れるのは、ある意味鬼才ですよね……。
茶々さまの中で『徳川家康の虚像』が膨れ上がり、お市さまの死をきっかけに憎しみに変わり、大坂城で理想を我が子秀頼公に求め、なお滅びを選ぼうとしているのなら妹の常高院さまや江さまでは止めることは難しく、『茶々さまがなぜ天下を豊臣から簒奪した(と思っている)徳川を憎み、かたくなに秀頼公を盟主として戦いに臨もうとしているか』を聞いた家康さまが『私の命は、もう尽きまする。乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて、滅ぶ覚悟にございます。されど秀頼殿は、これからの世に残すべきお人。いかなる形であろうとも、生き延びさせることこそが、母の役目であるはず。かつてあなたの母君がそうなさったように』と書状で説得を試みたのですが、どこが『キモすぎるお手紙』でしょうか。

・母と娘同時に恋愛感情展開は気持ち悪いと気付かず、どうする!?

>秀次の悪虐ぶりは捏造や誇張も多いとみなされます。
>このとき、処刑される中に母娘がおりました。
>両者ともに秀次の愛妾だったのか?
>それとも片方が巻き込まれただけなのか?
>もしも両者ともに愛妾だとすれば、母と娘を同時に愛するとはあまりに酷い、そんな印象を抱かれるでしょう。
豊臣秀次公は天正19年(1591年)秀吉公から5ヶ条の訓戒状を受け取ります。(『本願寺文書』)
その中では『茶の湯、鷹野の鷹、女狂いに好き候事、秀吉まねあるまじき事』とあり、秀吉公がプライベートでは自分をまねるなと訓戒しています。『甫庵太閤記』によれば、『秀次は女房らを連れて女人禁制の比叡山に登山して一昼夜の遊宴を催した』などとあります。
秀次事件では、正室の一の台さまをはじめ幼い若君4名と姫君、側室・侍女・乳母ら39名が斬首されました。
太田牛一の『大かうさまくんきのうち』では非常に曖昧な謀反の風聞を粛清の口実としながらも、『秀次がこのような憂き目にあったのはその暴虐な行いに原因があった』としており、江戸時代の『絵本太閤記』になるとさらに話に尾鰭が付けられ、『殺生関白』と云われるほどの悪行を加筆されていきました。
『絵本太閤記』では秀次公は美貌の一の台さまを正室としていますが、その連れ子である13歳の於宮も美しかったためこれも妻とし、母娘共に寵愛していたとの事で、これを聞いた秀吉公が『子供まで犯すとは人にあるまじき畜生にも劣る所業である』と忌み嫌い一の台さまを最初に処刑し、その墓を『畜生塚』と名付けたという逸話があります。
小和田哲男先生は、於宮が側室であった事は疑問だとしています。(小和田哲男『豊臣秀次 : 「殺生関白」の悲劇』(Kindle)PHP研究所、2002年)

殺生関白の非道を説明するために多くの逸話は創作されて追加されたものである可能性があるのだそうです。
下記引用は『絵本太閤記14 畜生塚由来』の項です。

>時代を超えても気持ち悪い、母と娘の二代にわたり恋心を抱くという設定。
>こんなしょーもない妄想を、いかにもすごいことを思いついちゃったと出してくる、このドラマ制作者は一体何を考えているのでしょう。
来年の大河ドラマは『光る君へ』です。
登場人物の中に花山院(花山天皇)が出てきますが、この方は出家後も好色の趣味を止めることなく女性との関係を持ち、同時期に母(中務)娘(平平子)を妾とし双方男子を成しています。
2人の皇子を世の人は『母腹宮(おやばらのみや)=清仁親王』『女腹宮(むすめばらのみや)=昭登親王』と呼んだそうです。
寛弘元年(1004年)に祖父・冷泉院の猶子となり、それぞれ冷泉院の五宮・六宮として親王宣下を受けています。
史実でも母娘の同時寵愛という逸話が残っており、平安時代では『気持ち悪い妄想』で収まらなくなりますが。

>コンビニで成人雑誌を選び、わざわざ女性店員のいるレジにニヤつきながら差し出す。
>温泉地の土産におっぱいチョコレートを買ってきて、女性社員に「キミは何色なのかな〜」と言いながら渡してくる。
>宴会で用意された「気の利いたイベント」が、お色気コンパニオンだった……
>そんなおぞましいセンスを連想させます。
女性を性的な視点でしか見られず、平気でセクハラ妄想を商業ブログで金を取って垂れ流す貴方の方がおぞましいセンスしていると思いますが。

・なぜ、この大河は失敗したのか??

>この大河のよいところは、来週終わることです。
>しかし、終わるからって安堵するだけでは不十分。
>なぜ失敗したのか考えねばならないでしょう。
頭から叩くことしか考えない人が考える『なぜ失敗したか』総括など罵詈雑言と誹謗中傷しかないのが目に見えているのでどうぞそのままレビューを終わってください。
ファンは十分満足して余韻に浸りたいと思います。

>まず、歴史劇を丁寧に作ることのできる脚本家を起用しなかったことがあげられます。
>家光から慶喜まで、大奥の成立から終焉までを描く『大奥』。
>長い原作をどう再構築するか。
>森下佳子さんがいかに丁寧に取り組んできたことか。
>こういう尺作りが大事です。
それは『大奥』であって大河ドラマ『どうする家康』ではない別物の作品になってしまいます。
最初から存在してはいけないと言わんばかりの評価なら『歴史劇を丁寧に作ることのできる脚本家を起用しなかった』と論じる必要はありません。
大事な作品を叩き棒にされる森下先生にも失礼です。

>小豆袋という創作を元にしたからだと、脚本家は思っているようです。
>違います。
「金ヶ崎の戦い」では北近江の浅井長政公の裏切りにより形勢が逆転。
撤退せざるを得なくなりますが、『浅井長政公に嫁いでいた信長公の妹・お市さまが、両端を結んだ小豆袋を届けて挟み撃ちを知らせた』という逸話があり、古沢良太氏によると、そこから浅井家の侍女・阿月の一生を創作して描いたそうです。
脚本家が自分の考えを述べているのに持論を展開するためにそれを否定して『違います』とは傲慢もいいところではないですか。
『阿月は金ヶ崎の貧しい下級武士の娘で、幼い頃は男の子よりも早く走れる活発な女の子だったが、父親から厳しくしつけられ、挙句、売り飛ばされるというつらい生活を送っていたところを、浅井家に嫁いだお市(演:北川景子)に助けられ、侍女として仕えることになる。そして、金ヶ崎城にいる信長に危険を知らせる役目を買って出る。』とあります。
「脚は開かず女性らしく」と自我を抑制され、売り飛ばされそうになったところをお市さまに拾われ侍女となり、恩人の窮地に得意の走りで小谷城から金ヶ崎まで十里(約40㎞)を走り続けました。
女性らしくと言われていた彼女が縛りを取り去り袖や裾を気にせずなりふり構わず走り続けた阿月さんですが、川に落とされ長距離を走った彼女はとうに限界で要件を家康さまに伝えたまま亡くなります。
命が尽きても得意なことで恩人に報いた阿月さんも名もなき民の物語だと思います。

・民放『大奥』にも注目を?

>ドラマ10『大奥』だけでなく、フジテレビ版でも放送を控えている、『大奥』の衣装写真が公開されました。
>文春砲で松本潤さんが拒んだという、宮舘涼太さんの扮装が見られます。よくお似合いですね。
46回でも言いましたが、いつまで文春砲にしがみついているのでしょうか。
『文春オンライン』は、10月22日に「『どうする家康』松本潤(40)がSnow Man宮舘涼太(30)の出演を拒否していた疑い『まだ大河に出る器じゃない』と切り捨て…」(原文ママ、以下同)と題した記事を配信していました。
しかし、これはNHKも『ご指摘のような事実はありません』と否定しています。
10月27日アップのブログで、宮舘さんご本人が『「最近皆さんにご心配をおかけしている件について」と切り出し、先日、松本と話をする機会があったと報告。その上で、「大丈夫!」「事実ではありません」と主張し、「ご心配をおかけしてしまった ファンの皆様 本当にすみません。そして信じてくれてありがとう!」とファンに謝罪しつつ感謝した。』と文春記事を否定しており、『どうする家康』はクランクアップに至っています。
臆測や事実ではない事で叩くネタにするのはただの風評被害、中傷になりかねません。

・それでもこの『鎌倉殿の13人』オマージュならば見たい?

>最終回のあらすじでは、なぜか天海だけがキャスト未発表です。
>長谷川博己さんか、小栗旬さんか。
>そんなサプライズではないか?という予測も出回っています。
>心の底から勘弁して欲しい。
まだ公式が正式発表もしていないのに勝手にキャスト予想やあらぬ妄想をして『勘弁してくれ』と言い、持論を「『鎌倉殿の13人』のオマージュなら評価できると思います」と理不尽に押し付けてくる。
それこそ茶々さまが陥ってしまった『勝手に憧れの君妄想をして何かの拍子で裏切られたとブチ切れて自分の意見を押し付けている』状態ではないですか。

>運動後の空腹のためか、うまそうに食べる家康。
>しかし気づく。
>これはもしや、毒ではないか?
>そう呻きながら、這いずり回る家康。
>胃によい薬がないかとのたうちまわり、まだやるべきことがあると苦しむ。
>しかし天海は涙ながらに胃薬を飲ませようとせず、家康は嘔吐しながら息絶える。
妄想たくましいですね。
家康公は75歳で亡くなります。
死因としては鷹狩りの後に食べた鯛の天ぷらが よく挙げられますが、ピロリ菌の感染による胃癌説が有力なのだとか。
江戸幕府の公式史書『徳川実紀』には『1616年1月21日、鷹狩をして夕飯に京都で流行っていた鯛の天ぷらを食べたところ、翌日の午前2時ごろ腹痛を訴え、医者の診察により腹部のしこりが見つかった』という記述があります。
お腹の辺り、外から触って分かるしこりだったそうで食当たりでは見られない症状だそうです。
1月下旬になると「家康公の食欲は衰え、喀痰(たん)が増え、脈に結滞が出る」(徳川実紀)とあり、3月には「口にするのは茶漬けや粥、葛を団子にした汁物だけになった。体重が減り、顔色が悪くなる。吐血し、便は黒くなる。しゃっくりが頻発した」と症状が数か月で進行していく様子が書かれています。
4月に入ると家康公は死後の自身の扱いを遺言し、4月17日逝去します。
天ぷらを食べ腹痛を訴えしこりができていて数か月で進行する、これが食当たりでしょうか?

・徳川家康が主役なのに? だからか??

>慶喜は「なんか知らねえうちに京都で徳川の世を勝手に終わらせた豚一(一橋の豚野郎・豚を食う一橋家当主)」でしかありません。
>そういう慶喜を持ち上げるために、あんなふざけた家康を持ち出すことそのものが、侮辱に思えます。
>あんなおちょくった扱いをしてよく抗議がなかったものだと思うほど。
直近の大河ドラマにおいて、徳川家康はおもちゃにされている」と言い、この後延々と『青天を衝け』叩きになりますが、正直言って蛇足です。
便乗や文字稼ぎをせず『青天を衝け』批判がしたいなら別記事を立ててそこでやってください。
『青天を衝け』制作統括の菓子浩氏によると、慶喜公が家康公の事を尊敬していて、渋沢栄一さんが育った血洗島の人たちが東照大権現を尊敬していた事が史実として残っているので物語を深く感じてもらうための語り部として、北大路さん演じる家康公にお出ましいただいたという事です。
貴方は徳川将軍家代々の方々にもすごく失礼な物言いをしていますし、慶喜公には直近のご子孫がいらっしゃるのですが『先祖の侮辱をしていると抗議があれば責任を取る』という事でしょうか。

>『青天を衝け』では辞めジャニが徳川慶喜を演じ、話題をさらった。
>ならば臍を曲げたジャニーズ事務所の御機嫌取りのために、主演大河を作ればいいじゃん!
>主役は徳川家康でいっか? あいつはフリー素材みたいなもんだし、どんな描き方しても抗議はないし。
>なんだかんだで知名度は高いからな……。
>なんて誰かが思ったのではありませんかね?
ジャニーズ事務所は会社名を変えましたが、いつまで侮蔑の意味で事務所名を使うのでしょうか。
『青天を衝け』で徳川慶喜公を演じた草彅さんは2017年事務所を退所されており、今は別事務所に所属しています。
本人が不祥事を起こしたわけでもない、契約が切れているなどですでに事務所を退所している人まで『過去があった、所属しているから有罪』と勝手に法的根拠のないレッテル貼りをしたうえ、ファンまで罪を擦り付けるかのように『推し活有罪』と土足で踏み込んで殴りつけ『ご機嫌取りの主演大河』『辞めジャニ』と侮蔑の言葉で呼ぶ。
貴方のやっている事は俳優さんたちへの誹謗中傷と人格否定、経歴・属性による差別だと思います。
貴方が好きな『麒麟がくる』『鎌倉殿の13人』『大奥』にもジャニーズ、歌舞伎、宝塚の俳優さんがおられたはずですが。
そちらを『助演だから』『目が家康だから』と評するなら嫌いな作品についても公平な評価が必要だと思います。
それができないなら貴方のレビューは一切信用できません。

・どうするNHK?

>『どうする家康』なんて大駄作を看板として放送してしまった2023年。
>NHKの放送倫理に向けられる目はこの上なく厳しくなっています。
>先日、クローズアップ現代のジャニーズ性加害問題特集を見ました。
>NHKの建物内でも加害は行われてた。
>しかし、NHKはジャニーズに任せきりで、何が起きているかすら把握していなかったとのこと。
>NHKでまさかそんなはずがないだろう。
>そう思い、被害に遭われた方。
>そのご家族。どれほど辛い思いをしたのでしょうか。
NHKに物申したいのならNHKに直接直談判すればいいのではないですか。
視聴者や『どうする家康』ファンが性加害をしたわけではないのですから。大河ドラマレビューで金儲けのために視聴者に訴え理不尽に怒りをぶつけるより建設的な話ができると思います。

>朝ドラでは、放送前からこんな逆風が吹いたためか、ともかく各メディアで絶賛の嵐です。
>しかし、ドラマそのものを褒めるというよりも、モデルとなった歌手の逸話や、主演女優の家族エピソードを拾うような苦しい展開を見せています。
>私の個人的意見ですと、今季の朝ドラはここ数年でも最低の水準に思えます。
ここは大河ドラマレビューです。
草彅さんの出演に便乗して朝ドラ批判がしたいのなら別記事を立てるか個人的なnote記事でやってください。

・「七実三虚」の必要条件?

『七実三虚』
歴史書としての『三国志』を基礎として成立した『三国志演義』は、七割が事実、三割がフィクションである

  

>つまり「七実三虚」はインプットあってこそ。
>歴史をきちんと踏まえてないと、描けないのです。
>『どうする家康』は、その点があまりに脆弱でした。
>三割の創作があるにせよ、その創作部分でも考証は必要になってくる。
教養マウント・漢籍マウントの前にその教養を応用するのに場に合うかも考えず、時代背景や逸話についてきちんと紹介したり、ドラマ作中に出てくる文化財や逸話や地理関係について史料を調べて確認することもなく『あれはおかしい』と声高に吹聴し、史学科の先生に間違いを指摘されればマウントされたと逆ギレする。
そんな状態で『歴史をきちんと踏まえてないと、描けない、あまりに脆弱』とドヤ顔をする。
歴史ライターとしてゴシップ記事の羅列ではなくきちんとした仕事をしましょう。

>それをこの脚本家は省いているのでしょう。
>だから時代考証以前に物理的にありえない、現実味のないくだらなさが横溢している。
>北半球で南に虹が出るようなことばかりだ。
27回・45回コラムでも書きましたが、再再度コピペしておきます。
信玄公のいる場所が要害山城(山梨県甲府市上積翠寺町)ならば、方角的に富士山は南向きです。
何かを見た氏の言うように太陽と反対側に出る虹は日本(北半球)では太陽の角度が高くなる南側には出ません。(ここまで前振り)
第1回で信玄公は「南の空に不吉なものが」と言います。
虹とははっきり言わないで『不吉なもの』と言っています。
甲府の武田神社・信玄公宝物殿には『運気の書』というものがあります。
信玄公は「運気」で状況を見たようで陰陽五行をもとに雲の変化などの気象を色や変化の仕方で占ったようです。

また、駒井高白斎・著の『高白斎記(甲陽日記)』では砥石崩れの際の記述に雲の色について言及された記述があります。

・長窪の陣所の上、辰巳の方に黒雲の中に赤雲立つ。西の雲先なびく気にて。
・酉刻、西の方に赤黄の雲、五尺ばかり立ちて紅ひの如くにして消える。

『高白斎記(甲陽日記)』

参照:武田年譜(2)『高白斎日記』『甲陽日記』 | 山梨県歴史文学館 山口素堂とともに - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

信玄公は虹ではなく『運気』を気象に準えた可能性も捨てきれないと思います。
甲斐より『南が不吉』と富士山方面を見ているのでこの場合は今川家の運気が不吉と言いたかったのでしょう。
その後、今川家は桶狭間の戦で義元公が討ち死にし遠州倊劇を経て大名としての名跡を失います。

『どうする家康』より

・太陽の周りに現れる、虹のような光の輪のことをハロ・日暈(ひがさ)といい、低気圧や前線が接近して天気が崩れる前触れなのだそうです。
・高層の雲の氷の結晶がプリズムの役割をして、太陽の光が屈折し太陽を中心として虹色が見える事を『アーク』といいます。(環天頂アーク、環水平アークなど)
・太陽の横で、薄雲の中に現われる虹色に輝く現象を『幻日』といいます。

>しかし、私がくどくど指摘したところで、「へっ」と鼻で笑って屁理屈でもこねくり回すのでしょう。
>「そーゆー真面目な歴オタ、史実至上主義、原理主義がつまらないんですよww」
>「負けて悔しいんですかwww」
>「偉そーなこと言いますけど、あんた勘違いしていたことありますよねwww」といったような論点ずらしばかりで本質とは向き合わない。
屁理屈と論点ずらし。加えて逆ギレ。
貴方が間違いを指摘されてやっている事ですよね。
『過ちて改めざる是を過ちと謂う』を貴方に贈りたい。(過ちて改めざる是を過ちと謂う=過ちを犯していながら改めないのが、本当の過ちである)

>はっきり書く人が少ないようですが、あえて指摘しますと……。
>『どうする家康』から伝わってくる制作者の人間性が、あまりに幼稚です。
>中学生あたりで人間性の成長が止まっていて、頭にあるのはエロとマウンティングだけ。
『頭にあるのはエロとマウンティングだけ。』
それは貴方の自己紹介でしょうか。

>非力な私ではなく、例えばの話、薩摩隼人の前でも同じことを言えるかどうか?
>武士というのは、「心せよ。相手は薩摩隼人かもしれん。ならば初太刀だけは避けよ」という心意気があるものでしょうよ。
>まぁ、こういう心境も新選組好きだけかもしれませんけどね。
>士道不覚悟は切腹だ!
『薩摩隼人の前でも同じことを言えるか』『士道不覚悟は切腹だ!

貴方は意見の違う他人と納得するまで意見を交わすのではなく、自分よりも権力のある力の強い人を連れてきて暴力に訴えて言論を封鎖すれば解決と思っているのですね。

・「シン・大河」とは結局何だったのか??

>「シン・大河」――このわけのわからないフレーズに何が期待されていたのか?
>迷う弱気なプリンスという描き方に、どういうわけか期待を寄せた人はそれなりにいたようです。
>私はタイトルとコンセプトの時点で嫌気がさしましたものですが、言わんとするところは想像がつきました。
>脚本家世代は、教養としての歴史にうっすらと反発を覚えていたのでしょう。
貴方のゴシップ記事の羅列ばかりのレビューのどこに『教養としての歴史』があるでしょうか。
史料解釈や発掘の成果も日々変化しており、新しい資料が発見されることもあります。
そういう流動的な歴史の流れや新説を考証の先生方と相談しながら取り入れているのに知らない事を盾に視聴者に教養マウントを取り馬鹿にしてきたのは貴方です。

>小説ならば隆慶一郎、山田風太郎。
>漫画ならば『シグルイ』を熟読するようなタイプですね。
>この脚本家の場合は、それすらないとみた。
>司馬遼太郎を読み、大河を見てきた親をおちょくりたいだけ。
>高校生あたりで卒業して欲しいそうした精神性でもって、大河に乗り込んできたと。
>そんなインプット不足で、面白い歴史劇が描けるわけがありません。
そういう貴方は忍びの認識が山田風太郎先生の作品やアニメや講談で止まっていると思いますが。
29回でも言いましたが、戦国時代の忍びの仕事としては大名や領主に仕え諜報、破壊活動、浸透戦術、謀術、暗殺などを請け負う、もしくは領主に仕えずに戦毎に金銭で雇われ傭兵や足軽として奇襲戦法を主に行う事です。
伊賀や甲賀のような土豪や悪党(盗賊など)あがりは後者に当たると思います。
あくまで土着の領主や民の中から特殊技能を体得して金で雇われる人達が後に講談などで『忍者』として活躍したものと思います。(『絵本太閤記』などの読本や明治末期~大正時代での『立川文庫』など)

『武将ジャパン29回』

>恐ろしいことに、このシナリオには、失敗した時の想定がない。だからシナリオ通りに大成功したと、主演や脚本家は振る舞っているのでしょう。
下記引用の黄色枠部分はあくまで何見氏の妄想にしかすぎず、中には『なにせこちらにはあの事務所もついているんだし。紫色のハートマークが乱舞する。めんどくせー歴オタだって、紫ハートーマークのいいね欲しさにコロッと参るだろう。』と視聴者や松本さんのファンを論い侮辱するような事が書かれており、人間性を疑います。

・聖人は天を体し、賢人は地に法(のっと)り、智者は古を師とす?

聖人は天を体し、賢人は地に法り、智者は古を師とす。 
『三国志』諸葛亮孔明
意訳:聖人は天の法則に従い、賢者は地の理に従い、智者は古の教訓に従う

『三国志』

>森蘭丸をあえて森乱丸にするだの。
>なじみのある呼び方ではなく、最新の説に応じた呼び方とする。
『森乱丸』ではなく『森乱』または『乱法師』です。
軍34回でも言いましたが、記物等で用いられる蘭丸の通称で知られる森乱ですが、『信長公記』では『森乱』と表記されています。
また本能寺の変の討ち死にした小姓衆の名前の中でも『森亂(乱)・森力・森坊』とあります。
これを踏まえ『森乱』表記としたのだと思いますが。
出典は『信長公記』なので新説採用でもアリバイやマウントでもないと思います。

史籍集覧 19 改定 書誌情報
著者 近藤瓶城 編
国立国会デジタルコレクション
史籍集覧 19 改定 書誌情報
著者 近藤瓶城 編
国立国会デジタルコレクション

天正7年(1579年)「四月十八日 塩河伯耆守へ銀子百枚遣はされ候、御使森乱、中西権兵衛相副へ下され、過分忝きの由候なり」

天正8年(1580年)「正月廿六日、森乱御使にて、濃州岐阜御土蔵に、先年、鳥目一万六干貫入れおかれ侯」

『信長公記』

>そのうえで、そんなことも知らんのかとマウントをとるあたりが、このドラマのいやしさの根源にあると思い当たった。
>このドラマは歴史に対して敬愛がない。
>体系立てた筋道すら学んでいない。
>そのくせ、小ネタだけは仕込んでくる。
>そうして逸話を仕入れている歴史ファンに目配せして、その蘊蓄語りをさせることで、批判する相手に「こんなことも知らないんですかぁw」とマウントを取ろうとする。
>そういう狡猾さが常に滲み出ています。
『そんなことも知らんのかとマウントをととるあたりが、このドラマのいやしさの根源にある』と言いますが、知識はマウントを取るためにあるのではありません。
指摘されるのが嫌なのなら、なぜ貴方は史料を調べてきちんとした情報を読者に伝えないのでしょうか。
歴史資料どころか情報がほとんど変わらない地理や基本的な作法など全く調べようとしないから言われるのではないですか。
歴史に対して敬愛がないのはどちらでしょうか。

>さらには出演者が大麻所持で逮捕されました。『花燃ゆ』以来のことです。
>あの作品は放送後、今回は最終回目前という違いがありますね。
>最終回直前に「出演者が逮捕でどうする!」となるとは、なんということでしょう。
薬物での出演俳優の逮捕は残念ですが、鬼の首を取った様に嫌いな作品を叩くために早速昨日の記事を引用して喜んでいるようですが、人は都合のいいものしか見ないとは貴女の事かと。
『いだてん』と『麒麟がくる』『光る君へ』でもそれぞれ薬物使用での逮捕者が出て周りに迷惑をかける事態になっているのは忘却の彼方でしょうか。(『光る君へ』は幸い俳優さんの交代により事なきを得ていますが)
『鎌倉殿の13人』の発表会見の際に三谷さんが「オファーを受ける俳優さんたちに言いたいのですが『おれ、ちょっとヤバいかな?』『スネに傷持ってるかな』と思っている人がいたら、ぜひ断ってください」とおっしゃっていましたが、大河に携わるならばぜひとも気を付けていただきたいとは思いますが。

※何かを見た氏も『大河を愛する皆様方も、思うところあればNHKに送ってください。』と仰っているので『最高の大河』になるようファンの皆様で応援の言葉や温かい感想を送ってみてはいかがでしょうか?

NHKや番組についてのご意見・お問い合わせ | NHK みなさまの声にお応えします
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