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大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第33回~

残暑の候、まだまだ暑い日が続いております。
皆様夏バテには充分お気を付けください。
さて、どうする家康33回。
今週も『武将ジャパン』大河ドラマコラムについて書かせていただきます。
太字が何かを見たさんの言質です。
御手隙の方に読んでいただければと思います。それでは。


・初めに

>本当に真田昌幸は徳川家康の4歳年下なの?
>どう見ても歳上だよね?
歴史上の人物の実年齢と演じる俳優さんの年齢が合わない事例はこれまでの大河ドラマでも例がありました。(人物の年齢は子供だけど本役の俳優さんが演じるなど)
42歳の家康さまを演じる松潤さんは間もなく40歳を迎えますが年齢相応だと思います。
第一次上田合戦の時点で真田昌幸公38歳、演じる佐藤浩市さん62歳です。
因みに2016年『真田丸』で昌幸公を演じた草刈正雄さんは当時63歳でした。

>わざとらしいピアノが流れ、コテコテの顔芸を見せる豊臣秀吉。
>織田信雄を貶めつつ経緯を説明しますが、なぜここまで信雄のことを小馬鹿にするのでしょう。
織田信雄さまと講和した時点でまだ秀吉公は『羽柴』姓です。
小牧・長久手の戦が収束しましたが、秀吉公は『家康に勝たんでも戦には勝てる、敵の総大将は家康ではねえ』と信雄さまの家臣をどんどん調略していきます。
領国・伊勢では誅殺された3人の家老の一族が造反。
臣下だった九鬼水軍や大和の諸将も離反し、さらに羽柴軍の執拗な攻撃を受けます。ついに信雄さまは所領安堵(尾張・北伊勢5郡・三河半郡78万石)を条件に和議を結ぶ事になります。
秀吉公は『(信雄さまに)弓引くのは辛かった』とわざとらしい涙を流したり、『人質も連れて来た方がいい、徳川殿の子を我が養子としたい』と養子縁組と言う名の人質を要求します。
養子縁組を渋る信雄さまに 『滅ぼしてまうでよ』と圧をかけ、脅します。
小牧・長久手の戦の最中に秀吉公は20か国を有し、従五位下・左近衛権少将に叙位任官されており、すでに立場が逆転し徐々に官職でも主家の織田家を凌駕していきます。
小馬鹿にしているのではなく従属関係が反転しているのです。

『どうする家康』より

>秀吉のあまりにわざとらしい演技に興は削がれ、秀長の山賊スタイルには、どうしてこうなったという嘆きしか出てきません。
名代として何度か大坂城に足を運んだ石川教正さんが関白任官前後の秀吉公の印象として、「みっともない訛りをわざと使い無様な猿を演じ、人の懐に飛び込んで人心を操る・・・。欲しいものを手に入れるためには手立てを選ばぬ。関白も手に入れた。あれは化け物じゃ」と語っています。
秀吉公は道化の猿を演じ人の懐に取り入って懐柔しようとしているので『わざとらしい』のは仕様です。
あと秀長公の『山賊スタイル』は髭を生やした見た目だけの評価ですね。
きちんと中身見ていますか?

『どうする家康』より
『どうする家康』より

>説明セリフのオンパレードであり、まぁ、演技プランを載せたところで、どうにもならなくなっています。
小牧・長久手の戦以後の従属関係や政治情勢を語るうえで大事な説明を全く聞いていないので『小馬鹿にしている』『くどい演技プランなど投げっぱなし』『脚本もスカスカ』という感想が出てくるのでは?
貴方は『鎌倉殿』レビューで『物事は【情】だけではダメで【理】がなくては説得力がありません。』と言っていましたが、人物に対して情すらもわかない、人が何度も説明して重要な事を話しているのに耳を傾けず勝手な想像でものを言う、そういう態度ではいくら理のある話をしても『説明セリフのオンパレード』になると思います。

・どうする中古車販売業者の呪い?

>なのになぜ、こうも胡散臭いのか。
>秀長がキビキビと説明するたび、こう思ってしまいます。
>「この爽やかな笑顔でビッグモーターを勧めて……」
>あのテレビCMの件で佐藤さんをどうこう非難する気は皆無ですが、どうしたって頭から離すことはできない。
過去にCM起用されていたというだけで佐藤さんには罪がないのに、現在は企業の不祥事や事件が発覚したため所属事務所主導で契約解除になって無関係になっているものを『呪い』『大河出演が特級呪物』『お国言葉はどうにも発声に違和感』と称し、ゴシップ記事のリンクを貼りいつまでも犯罪者のように言い立てる貴方は名誉棄損で訴えられてもおかしくないでしょうね。
因みに佐藤さんの所属事務所によると7月21日つけでビックモーターとの契約は解除されているそうです。

ケイファクトリーHP
https://www.k-factory.net/information/other/post/21700

・どうする絨毯陣羽織?

>『確かに絨毯ではあるのだろうけど、そうは見えないオシャレな加工とデザインだなぁ』というもので、現物は以下のサイトからご確認できます。
>なんでもペルシャで製造された絹織物で、獅子が獲物に襲いかかるという文様が美麗で猛々しい。
>そのまま再現されても話題になったことでしょう。
>秀吉ならではのセンスと納得できるデザインですね。

『どうする家康』では、秀吉公が京都国立博物館所蔵で高台寺に伝わった重要文化財・鳥獣文様綴織陣羽織をモチーフにした陣羽織を羽織っていました。
鳥獣文様綴織陣羽織は絹の綴織で織られたペルシャのカシャーン地方で製織された伝統的な文様を用いた絨毯だったそうです。

『どうする家康』より
重要文化財 鳥獣文様陣羽織
桃山時代(16世紀) 京都 高台寺

衣装デザイン・柘植氏によると『現在この陣羽織を大河ドラマで復元するのは時間・予算面から難しく、既存の復元物をお借りしても役者の体に借り物となり、ドラマや秀吉の本質に届く表現になるとは思えない』『表現したいのは「陣羽織が同じ」という記号ではない』との事で既存のペルシャ絨毯の技法を使った陣羽織との事です。
いわゆる写しではなく着想を得たモチーフですね。

『どうする家康』HPより
https://www.nhk.or.jp/ieyasu/column/27.html

鳥獣文様陣羽織 - 名品紹介 - 京都国立博物館 (kyohaku.go.jp)

京都国立博物館HP

・どうする「お子様赤鬼」

>衣装といえば、井伊直政のサイズが合っていないのでは?
>着用されている役者さんも和装の所作に不慣れなようで、肘まで見えそうなほど前腕部が見えているのは厳しいものがあります。
>あの手の和装で前腕部をむき出しにするのは行儀が悪い。
>『鎌倉殿の13人』の八田知家ほど筋肉質であれば、出したくて仕方ないのだろうとは思えますが、この直政は小枝のように細い。
>『おんな城主 直虎』時の直政・菅田将暉さんは身長があるせいか、そこまで華奢な印象ではありませんでした。
井伊直政の肩衣袴は『天地人』石田三成公役で小栗旬さんが着用されていたものを使っているのでしょう。
板垣さんと小栗さんは着丈や肩幅が違うのだから丈を詰めたり仕立て直したりしても肩が落ちてしまうのは仕方のない事だと思います。
『前腕部をむき出しにするのは行儀が悪い』と言いますが直政が着物をたくし上げて襷掛けにしていたのは穴掘り普請の真っ最中です。
袖が邪魔になる様な土木工事をしているのに『行儀が悪い』とは?
また、わざわざ長身や筋肉質の俳優さんを比較に出して『小枝のように細い』と容姿を論い、小柄で華奢な板垣さんを何週にもわたって侮辱し続けるのはやって悪い事の一線を越えているのではないでしょうか? 

>今年のスタッフさんに、こうした指摘をされる方はいるのかどうか。
>若手を伸ばすも潰すも、すべては制作陣次第。
>俳優さんの努力を無駄にせぬよう適切な指示が行われていることを願うばかりです。
『麒麟がくる』の監督さんは俳優さんに対してそういう演技をしてほしいので声をかけたのだと思いますが。
かける必要のない演技をしているのに口を出すのは『俳優さんの努力を無駄にしない適切な指示』どころか余計なお世話では?

『どうする家康』より
『どうする家康』より
『天地人』より

・どうする「秀吉に屈することはない宣言」?

>なぜ本作は、いけしゃあしゃあと空威張りのようなセリフを言わせてしまうのか。
>「秀吉に屈しない!」って空虚な言葉に対しては、ハイハイわかりましたよ……としか思えない。
>すぐにバレる嘘を積み重ねるから、このドラマはダメなのでしょう。
秀吉公が、徳川の子息を養子(人質)にできない場合『滅ぼしてまうでよ』『焼け野原にする』と信雄さまを脅したのでその件に関して徳川に書状が送られてきたのですが。
家康さまは勝手に信雄さまが和議を結んだことに対して怒っています。
当然秀吉公がそんな脅しをかけてきたら家康さまや若手家臣たちは怒ってもおかしくないですね。
その中で大坂城で直に交渉し秀吉公の勢いと恐ろしさを目の当たりにした石川さんだけが「みっともない訛りをわざと使い無様な猿を演じ、人の懐に飛び込んで人心を操る・・・。欲しいものを手に入れるためには手立てを選ばぬ。関白も手に入れた。あれは化け物じゃ」と印象を語ります。
徳川は小牧・長久手の戦いで勝ったというアドバンテージがあり、主戦派の平八郎さんは「誰の家臣か」と石川さんを問い詰め、直政に至ってはまだ戦うべきと主張します。
しかし、『総大将が和睦した以上戦う大義はない』と酒井さんが窘め、正信さんは形式上の和議の締結を勧めました。
言う事を聞けと強い言葉で脅されて徳川はそういう言葉に屈せず戦うべきだと言う主戦派ともう総大将が和睦した以上自分たちに大義がないので賊軍になるので様子を見ましょうと言う穏健派の話し合いですが、『すぐにバレる嘘の積み重ね』とは?
岡崎で籠城しても西は羽柴、北は上杉、東は真田。
徳川は同盟相手の北条ともども孤立しますが。

・帰宅したらどうする?

>例えば今回の石川教正。
>岡崎に戻って、玄関で妻の鍋がお茶を差し出すシーンがありました。
>疲れたらまず水分を補給する――
>現代人の感覚で言えば、何らおかしくない行動ですが、歴史的に見れば不正解となる。
>この時代、家に帰ったらまず足を洗います。
さも敵の首を獲ったように『ブッブー!不正解でーす!』とマナー警察を気取っていますが、玄関の土間で足を洗う為に湯を使う事と水を所望する事の順番など些末では?
画像を見ると上り框に座る石川さんは草鞋を脱いでおり、傍らには水桶が置いてあるのですが。
信雄さま発端の秀吉公と家康さまの和睦交渉は旧暦8月から9月の暑い最中です。
暑い外から帰ってきて汗をかいて冷たい井戸水を玄関先で所望してもよいのでは?
※再度画像確認したところ石川さんに水を差しだす女性は下働きの女性で鍋さんではありませんでしたので訂正させていただきます。
大変失礼しました。

『どうする家康』より

・どうする貴金属?

>当時の合戦には欠かせない火薬の材料もあり、銀を豊富に持っているということは、強さの証でもありました。
>しかし、このドラマでは頑なに金を出し続ける。
>人物や場所に応じて、金と銀を使い分けても良さそうなものなのに、なぜか金だけ。
>つくづく視聴者の想像力を刺激してくれないドラマです。
金と銀を使い分けても良さそうなものなのに、なぜか金だけ』の理由。
秀吉公の天下統一がなされておらず、銀を使った貨幣を鋳造する『常是座』と言う銀座の元になる施設や貨幣制度が作られておらず流通していないからです。
火縄銃に使用する黒色火薬の材料は、酸化剤としての硝酸カリウム(硝石)、可燃物としての硫黄・木炭です。
戦国時代、日本の一部では厠の床下の地面に堆積した物を採掘したり、枯れ草に尿をかけ発酵・生成させ入手していた高価なものです。
『麒麟がくる』では帰蝶さんが鉄砲を買い求める手付として砂金を使っていました。
室町時代以前の貨幣は大陸由来の銅銭が主で貨幣価値がビタ銭や私鋳銭(私的な偽造貨幣)によって下がっていました。
室町時代末期に『灰吹法』が伝来し、戦国時代になると各地で金銀の鉱山開発が大名によって行われるようになります。
甲斐では武田信玄公が『甲州金』と呼ばれる金貨を製造、流通させます。
甲州金は日本初の制度化された領国貨幣で戦国時代から江戸時代の文政年間(1818~1831年)まで製造され流通します。
『どうする家康』では武田信玄公が歩き巫女の活動資金や軍資金として使っていました。
さて、全国平定を成し遂げようという秀吉公、鉱山開発を積極的に行い、金銀産出量を増加させます。
秀吉公が賤ケ岳の戦いの折に徳川軍を味方につける贈答品や人を集めるために砂金を有効活用していましたね。
1588年(天正16年)には重さ44匁(165g)の世界最大の金貨「天正大判」を製造しますがこれは後の話。
しかし、天正大判は高価なためもっぱら贈答用。
庶民の間では変わらず渡来銭やビタ銭が使われていました。
石川さんへの贈答の金子はこれを踏まえ、戦国時代貨幣として広く使用された金が使われたのだと思います。
銀については秀吉公が天下を統一し生野銀山などの開発を進め、堺・京の銀吹屋20人を集め銀吹屋湯浅作兵衛に『常是』を名乗らせ、大坂に常是座を設けます。
ドラマ作中時系列だとまだ関白に叙任されたばかりで天下統一事業が成っていませんが。
銀細工師集団などが銀などを鋳造するようになり『銀座』の始まりとなり各地で領国貨幣が作られます。
徳川家康公は常是に『大黒』の姓を名乗らせ、江戸幕府の御用達商人による銀座を伏見、京、駿府、大坂、江戸、長崎に作り、以後この場所以外での貨幣鋳造が厳しく取り締まられました。
本格的に銀を使った貨幣が流通するのは江戸時代になってからです。(南鐐二朱判、一分銀、一朱銀)
因みに石川さんが秀吉公から頂いた金子は戦国時代から江戸時代の文政年間まで製造され流通した甲州金ですね。

『どうする家康』より

近世の貨幣/ホームメイト (meihaku.jp)
金座・銀座/ホームメイト (touken-world.jp)

近世の貨幣 - 名古屋刀剣ワールド

造幣局 : 日本の貨幣の歴史 (mint.go.jp)

造幣局 : 日本の貨幣の歴史

・どうするお万と於義伊?

>久々にお万がでてきました。
>このドラマが好きな謎のグラデーション衣装があいかわらずです。
お万さん、久々の登場ですっかり大人の女性になっていましたが、彼女の小袖は見た限り薄い藍色一色なのですが。
どこがグラデーションでしょうか?
打掛は青系主体で袖が白から黄色系のムラ染めでした。
素朴な麻や木綿素材で、ムラ染めが徳川家の人々の主な色合いなのですが。

『どうする家康』より

>そして於義伊が妙にハキハキとした口調で「捨て殺しにしろ」と言うわけですが……
>これも家康の冷酷エピソードを踏まえてのアリバイでしょう。
>「だってあの子が望みって言ったんだもん!」
>母子自ら言わせたという設定になっていて、家康には何も背負わせない。>本当にセコい。
お万さんはお手付きになって身籠り、城を出る時に瀬名さまに「いずれ殿のお役に立つ子に育てます」と約束していきました。
なので庶子である於義伊にもお家の役に立つ事を言い含めてきたのではないでしょうか?
「またこうしてお目にかかる時がこようとは」とお万さんが言ったのはそれまで家康さまとの御目通りが叶わず、羽柴家への養子(と言う名の人質)の話が持ち上がり家康さま自ら彼の責任で話をしに池鯉鮒神社を訪れたのだと思います。
正室・瀬名さまや他側室を憚って冷遇になってもおかしくないのでは。
因みにこの時は庶子の於義伊は家康公に認知されています。
いつかお家のために役に立つ我が子を育てさせていたのは家康さまです。
元々戦災で破壊された実家の池鯉鮒神社立て直しのため庇護を受けようとお手付きになったお万さん、追放された後も打掛を着られるだけの化粧料が送られていると思われますが何も背負っていない責任を取っていないと言えますか?
物事の直接的な実行が不可能であったことを主張するのが『アリバイ』です。
逸話ありきでそれを基に創作するならどこがアリバイ作りなのでしょうか。
創作のために逸話を捏造したとでも言いたいのでしょうか?
母子は人質の話を役立つ時と考え承諾します。
お万さんは「この世に無用のことなど一つもございません」と言いまだ子供の於義伊も「捨て殺しとなさってください」と冷静に父に伝えます。
これは『国の為なら妻子は打ち捨てよ!』と言い放ち家康さま・瀬名さま夫妻を困惑させた於大さまの覚悟に通じるものだと思います。
逸話では本当は家康公の異父弟・久松定勝さんを養子に出す予定だったそうですが、於大さまは武田の人質で足が不自由になった源三郎さんの事もあり反対したので於義伊に白羽の矢が当たったそうです。

・ごはんをどうする数正??

>今週は石川数正が主役の回でしたが、彼が画面に映るたびに『なんか美味しいものでも食べそう……』だと考えてしまう自分がいます。
>全然、ドラマに入り込めない。
>同様の思いを味わっているのは、私だけでもないでしょう。
>数正のグルメは、ビッグモーターの呪いに次ぐ現象かもしれません。
(中略)
>劇中で、これみよがしに響いてくるBGMは、なんなんですかね。
>まるで喫茶店のようで、ますます「今回はコメダでなんか美味い新作でも食べて」と思ってしまう。
『同様の思いを味わっているのは、私だけでもない』と勝手に他人の気持ちを代弁して妄想に浸ってお気持ちを主張し、グルメやら呪いやらと俳優さんを侮辱し続けるのはやめましょう。
今度は喫茶店への誹謗中傷でしょうか?

・どうする真田昌幸の持ち物??

>胡桃カチカチは『真田太平記』でも同じ動作をしており、そのオマージュとされましたが、私は同時に「昌幸先天性のクセを表した」のだと感じました。
確かに『真田太平記』でも胡桃を手でカチカチと打ち付け手でもてあそんで落ち着かせる動作がありましたが、それは食べる用途の物ではありません。食用の胡桃の旬は9月~10月からです。
真田を羽柴方に引き入れるために秀長公が上田を訪れた7月にはまだ実が熟していません。
『どうする家康』では信州の地の物であるスモモを食べることに意味があるのですが。 

信濃くるみについて (raidenkurumi.jp)

信濃くるみについて

・どうして真田昌幸?

>今に限ったことではなく、このドラマは食べ方の所作が汚く見えます。
>しかもこの昌幸は、秀長という目上の相手がいる前で種を吐き出すんですね。
>いくら大物俳優が演じていようが、こんなことをさせたらダメでしょう。
領地であった沼田を家康さまが北条に与えたことでもめていた真田。
昌幸公は沼田を取り戻すため上杉と同盟を組んだもののうまく行かず、そこに付け込もうと秀吉公は秀長公を使者に送りました。
秀長公は兄・秀吉公の立場を利用し沼田問題に介入し徳川を叩こうとし、表裏比興と謳われる昌幸公はもめることで『甘い実(真田への利=沼田)』を得ようとする利害関係で繫がった関係でまだ従属ではありません。
お互い対等で有利な条件で交渉しているところにどちらが目上など関係ないのでは。
秀長公も交渉に上田城に来て敵陣にただ一人で威張っていたらおかしいでしょう。

『どうする家康』より
『どうする家康』より

>あと、インテリアの趣味が最悪です。
>あの布きれは何なんでしょうか。
昌幸公と秀長公の密談現場を見る限り、破れた障子(木枠も壊れていますね)と外の光が差し込む火灯窓、昌幸公の背後に一段高くなった場所と欄干があるのでおそらく廃寺になった手入れのされていない寺だと思いますが。

『どうする家康』より

・どうする「汚し」?

>あのドラマでは、登場人物の顔をやたらと汚していました。
>しかし人間には、時代を超えて最低限の礼儀がある。
>あんな汚い顔のまま、来客を迎えたり、重要人物と会うのか?
>言わば、勘違いしたリアリティであり、作品としての評価を落としたものです。
>本作でも、それと同様のことが繰り返されていて、例えば「大事な客の前で食べたものを吐き出す」のもその一つでしょう。
爪や髪は霊力や呪力が宿るとされ、平安貴族の生活は陰陽師による占いに左右されました。
湯殿があり湯を汲んで浴びる湯浴はできましたが、「禊(みそぎ)」と捉えられ精進潔斎のためでした。
湯浴をするのも占いで決めた日取り、5日間に1回程度(月に5〜6回程度)蒸し風呂込みなら2〜3日に1回。
清潔だったとはとても言い難いので、清少納言は『枕草子』である貴人の装束の衿に垢が付いているのを指摘していたそうです。
あとスモモの種は秀長公の方に向けて吐き出したわけではありません。
『食べたものを吐き出す』とは?
貴方はスモモの種も吐き出さずに食べるのですか?
バラ科植物の種子には毒性があるので食べられませんが。

参照:
平安貴族の体臭・衛生事情を解説!お風呂に入る日は占いで決められていた? | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る! (intojapanwaraku.com)

ROCK 和樂web

・どうする関白?

>秀吉が関白になる場面ですが、公卿が軽いですね。
>口調がペラペラの薄さです。
秀吉公がついに関白叙任されました。
帝の勅命を伝える勅使役の公卿が『内大臣を関白にすべし』と伝え、秀吉公が恭しくこれを承ります。
勅使は天皇の代理としての資格を以ってを宣旨を伝達するので勅使を迎える者が勅使よりも上位の官位であっても敬意を払う事とされたので勅使が上座、拝領する秀吉公が下座に座しています。
関白叙任の勅令の伝達の役割なのに他に何を話すというのでしょうか?

【🎬 #2分でどうする】 ◤ 第33回「裏切り者」◢ 関白に任ぜられ、勢いを増す秀吉。 かたくなに抵抗を続ける真田。 戦いには勝利したものの 苦境を強いられる徳川家中。 さらには重臣の数正が出奔する事態に… 第33回 再放送は 【9/2(土) 午後1:05… | Instagram

公式Instagram 2分でどうする

・どうするねねと、その衣装?

>戦国時代の女性は思った以上に権力や発言権があった。
>とはいえ、秀吉の横からねねが出てきて説明セリフを吐くのはやりすぎでしょう。
今回より秀吉公の正室・寧々さまが登場しました。
『ねね』ではなく漢字表記で『寧々』ですね。
家康様の名代で大坂城に参上した石川さんを前に『お初にお目にかかります寧々と申します』と挨拶。
『我が夫も乱世を鎮めたい一心なのでごぜえます。もう皆戦はこりごりでごぜえますでな。』と夫・秀吉公の心情を代弁しつつ、徳川との不毛な長期戦になるのを回避するための協力を石川さんに仰ぎたい旨を柔らかな口調で伝えています。
また、奥向き内での繋がりも考えているのか、『つまらぬものでごぜえますが奥方へ』と、石川さんの妻・鍋さんへ漆塗りの櫛を贈ります。
奥向きを差配し側室の決定権を有したうえ、寧々さんは『北政所』と言う関白殿下の正室です。
夫の代弁として相手の機嫌を取りサポートする交渉役の一人として何がやりすぎでしょうか。
因みに秀吉公関白任官の頃の寧々さまは『従三位』に叙せられ北政所の称号を許されています。朝廷との交渉役や人質として大坂に来た諸大名の妻子の監視など大きな発言力と高い政治力を持っていました。

・どうする説得?

>石川教正の説得場面はくだらなかった。
>秀吉の顔芸。
>秀長はビッグモーターの宣伝。
>ねねはどこか目がうつろ。
秀吉公は顔芸ではなく、「余は関白である、日ノ本全土の大名は我が臣下と同様」と権力を誇示し、『和睦だけで臣下の礼を取っていない』と主張する石川さんに秀吉は「もう一戦やるきゃ?」と持ち掛けます。
そして真田の懐柔をちらつかせ、真田領の特産であるスモモ(季節は8月なのでスモモは旬です)を齧り放った後、「家康は直ちに来て余にひざまずくべし」「そして人質をもう一人差し出すべし、長丸か福松じゃ」「さもなくば三河も遠江も焼け野原と考えよ」と圧力をかけました。
スモモは真田を釣って繋ぎを付けた事を意味していますね。
秀長公の話のどこにビッグモーターの宣伝が入っていたか提示してください。
兄の領地の件の持ち出しを踏まえ『北条に渡した沼田に真田が居座っている』『真田は小さいから、徳川が力ずくでどかすこともできるが、もし誰かが手をまわして真田を助けたらどうなるかと』と暗に羽柴家の介入を示唆しました。
それから『いち百姓の出であることをお忘れなく』と夫を諫め、相手の表情を見据え自分の意見を伝え奥方への贈り物を欠かさない寧々さまのどこが虚ろでしょうか?
寧々さまの窘めにより『おなごが綺麗なべべ着ておしろい塗って甘えもん食って笑う、それが幸せな世だわ』と言う秀吉公の本心も垣間見ることができたのですが。

『どうする家康』より

>廊下の照明はわざとらしい置き方。
>このころは慶長伏見地震の前夜であり、前震があっても不思議はない。
>あんな不安定な蝋燭が倒れたら火災になりかねない。
秀吉公の関白任官の時点で天正13年(1585年)です。
慶長伏見地震は文禄5年(1596年)7月13日に発生した地震です。
ここで取り上げるなら天正13年(1586年)11月29日に発生した天正地震でしょう。
2日前の11月27日に地震の記録があり、11月29日に美濃・尾張・伊勢を震源域としたM8.2の巨大地震が発生しました。(発生当時秀吉公による天下統一が完成していないので正確な公式資料が残りづらい)
『梵舜日記』によると約12日間にわたる余震が記録されているそうです。
徳川家臣の松平家忠公の日記『家忠日記』によると地震は11月29日亥刻(22時頃)に発生し、翌日の丑刻(2時頃)にも大規模な余震が発生したそうです。
宿直の武士を置くならともかく、深夜の就寝時に廊下に灯りの付いた燭台を並べっぱなしにするでしょうか?

・どうしちゃったんだ真田一族?

>キラキラした笑顔の幸村(信繁)。
>「俺はクール系、優等生です」みたいなキメキメ感の兄・信幸。
>三人が第一次上田合戦で一ヶ所に固まっているのはおかしいのでは?
『どうする家康』でも『真田信繁』名義です。
信繁公は『父上!徳川勢攻めかかってまいりました!』と兜片手に入ってきたので物見の報告をしに来たところ父と兄が囲碁を打っているという場面ではないかと思います。
信幸公は上田合戦の時、戸石城を守っていたという事実はありますが。
信幸公も『真田丸』での大泉さんとはキャラクターが違うのだから優等生然と父の囲碁の相手をしてもいいのでは。

>しかし、それ以前の問題として、真田兄弟がコスプレ高校生にしか見えません。
>大河ドラマの人物というより、観光地のおもてなし武将隊のようです。
信幸公は紺色縅胴丸具足、信繁公は当世具足ですね。
特にコスプレでもなく特徴があるわけでもなく、将が着用する普通の具足です。

『どうする家康』より
『どうする家康』より

>昌幸にしたって「皆殺しにせい」という発言があまりにも幼稚だ。
>合戦で皆殺しという考え方はあまりなく、文字通り軍隊の損耗率が100ということはない。
>数割でも損耗すれば組織として動かなくなるので、全滅を狙うようなことはまずありません。
>海戦ならばまだしも、陸戦で「皆殺し」とか言わせてしまうからリアリティが無くなってしまう。
>まるで小中学生に考えさせた脚本のようです。
>ましてや真田と徳川の戦力差からして、あり得ない話でしょう。
天正13年(1585年)8月2日、徳川軍は彦さんを総大将として七さん・忠世さんらに7,000の兵を率いさせ真田領である上田に侵攻し、第一次上田合戦の火蓋が切られます。
元々真田のために徳川が築城した上田城を改築した昌幸公は籠城戦に出ます。
徳川軍は上田城の東3.9㎞ほどの国分寺方面に布陣。
昌幸公は本隊4~500余を上田城本丸、横曲輪など城内に兵を配置した後、城の東南の神川に200、戸石城に信幸公率いる800余、計2,000余り。
上田城下には千鳥掛けの柵を設け、町家や山野に武装した伏兵の民を置きます。
昌幸公は城門を閉ざし櫓の上で家臣と碁を打っていた逸話があります。
『どうする家康』での囲碁シーンはこれを踏まえての事と思います。

『どうする家康』より

徳川勢の先手が神川に差し掛かると200の前衛部隊は槍を数回合わせた後城に後退、真田が小勢なのを見た徳川軍は城内になだれ込もうとします。
前衛部隊は押され横曲輪に後退しますがここで昌幸公は若侍に手鼓で調子を打たせ挑発します。
勢いよくなだれ込む三河兵でしたが、ここで城内の真田隊は城門上に隠した丸太を落とさせ、弓矢・鉄砲を撃ち掛けます。
さらに強風に任せ上田城の町家に火を放ち山野に伏せていた武装した民が陣太鼓を鳴らして打ちかかりました。
信幸公の部隊800は戸石城より討って出て徳川軍の退路を断ちます。
猛進する徳川軍の後続の兵は止まる事もできず、千鳥掛けの柵にかかり町家の複雑な道に退路を見失い城壁では鉄砲隊の前にハチの巣になりました。
混乱に陥った徳川軍は甚大な被害を受け旧北国街道に撤退しようとするも堰を切られた神川によって溺死していくのでした。
かくして7,000の徳川軍を真田軍は2,000の兵で打ち破ったのです。真田信之公書状によると徳川方の死者は1,300余、『三河物語』によれば300名余とあります。一方真田方の死者は40余です。
『皆殺し』による全滅とまではいかなくとも真田のゲリラ戦による徳川の損失は甚大で『三河物語』では『ことごとく腰がぬけはて、震えて返事も出来ず、下戸に酒を強いたるが如し』と惨敗を認めているのです。

第一次上田合戦(神川合戦) (sengokudama.com)

戦国籠城伝
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・どうした軍師?

>見るからに弱そうな真田でも勝てたのは、対戦相手がヤンキー漫画の高校生みたいな徳川家臣だったからでしょう。
>あんなに脇の甘い連中は負けて当然
>誰が聞いているかわからないところで、思ったことを話すし、悪口までペラペラ大声でしゃべる。
『どうする家康』では真田の臣従と羽柴家による沼田問題への介入がメインとなり、真田親子の会話のみで第一次上田合戦は終了してしまいましたが、ボロボロになりほうほうの体で浜松に戻ってきた彦さんが報告する場面がありました。
平八郎さんから『徳川の恥』と詰られ、彦さんは「ひと時兵を退いただけだ」と言い、さらに背後で助けている者がいると声を荒げ秀吉公の影響を示唆します。
実際に惨敗でしたし、地の利がない状態で勢いに任せ大軍で上田城に突っ込んだ事により真田の策にハマり甚大な被害を受けたのは否めません。
平八郎さん、小平太さん、直政の三人ですら武働きで功があっても石川さんの見た現実や秀吉公の関白任官を認められない井の中の蛙感が描かれているのですから。
誰が聞いているか分からないところで思った事を話すように見えるのは視聴者に見せるドラマとしての演出ではないでしょうか。
視聴者に対する情報としてセリフが何も無かったらドラマとして成立しません。
悪口は新井白石の『藩翰譜』にある榊原康政公の十万石の檄文の逸話を基にしたエピソードだからです。

・どうしようもない、家康の器量

>「秀吉に劣ると申すか!」
>家康がそう言うだけで「まぁ、どっちもどっちだけど、劣るんじゃないですか」と冷たい気持ちになってしまって辛い……。
上田合戦で惨敗してもなお小牧・長久手の戦いでの戦いでの勝利に拘る若手家臣に対して、石川さんは「あんな勝利は些細な事、今の我らと秀吉の在り様を見ればどちらが勝ったのか誰の目にも明らかじゃ。」と窘めます。
平八郎さんは「どなたの家臣か?」と愕然とし、小平太さんは「こちらの動きも秀吉に知らせておられたか?」と問い、直政が「謀反の疑い」と抜刀しかけたため彦さんが止めに入り「教正は教正の考えを申しただけじゃ」と皆を酒井さんが窘めます。
石川さんが臣従を勧めますが家康さまは『怪物ならば退治せねばならぬ』と立ち上がり支度を要求します。
それを拒んだ石川さんは岡崎城代を解任されてしまいました。
家臣団で唯一大坂城で関白となった秀吉公の権勢や羽柴家の調略を見た石川さんが血気盛んで戦も強い徳川の若手家臣には分からない底知れぬ恐ろしさを語っても家臣だけでなく家康さまですらその現実を受け入れられないという場面でした。
器量と言うより、理想のために走ってきたのに石川さんの語る現実を認めたくなかったという怒り・嘆きだと思います。
辛いゆえに批判のための批判に終始するのなら、今すぐ視聴を止める事をお勧めします。

>ピアノをBGMに数正との絆を説明セリフで語られても、何が何やらわかりません。
>脳裏によぎるのは、初回で「いやじゃー」と逃げ出していた家康の姿。
>一体このドラマは何をしてきたんですかね?
>マザーセナのラリラリダンスだの、側室オーディションだの、サウナで迫られるだの。
いつも叱られてばかりだったので苦手だったという家康さまに対し、石川さんは大高の兵糧入れの時を思い出します。
「数え切れぬほどの戦をしてまいりました。実に多くの仲間を失いました」
「あの弱く優しかった殿がかほどに強く勇ましくなられるとはさぞや、さぞやお苦しい事でしょう」と家康さまの成長を喜ばしい事と思う反面、ずっと強くなるために苦しんできたのではと寄り添ったのですが。
『ラリラリダンス』だの『マザーセナ』だの歴史系ライターとして語彙力の無さと風情の無さを恥じた方がいいと思います。

>この世を浄土にするというのも、唐突に思えます。
今川義元公の説いた「王道と覇道」もこの世を浄土にする(『厭離穢土欣求浄土』)も2話から語られているので唐突ではありません。
大樹寺で敵に包囲され先祖の墓前で自害しようとした時、登誉上人の受け売りをした小平太さんに普通は『現実の世の中は、穢れた世界であるからこの世を厭い離れ、次生において清浄な仏の国土に生まれることを願い求めること』だが、『あの世に行けではなく、穢れたこの世をこそ浄土にすることをめざせ』との独自解釈で教えられ自害をとどまりました。
以来『厭離穢土欣求浄土』は徳川家の旗印として使われています。

『姉川合戦図屏風』
福井県立歴史博物館所蔵
『どうする家康』より
『どうする家康』より

厭離穢土欣求浄土で家康とドラマが大変身! | ステラnet (steranet.jp)

ステラnet

・どうする昼間なのに蝋燭

>数正が秀吉に会う場面がよくわかりません。
>なぜ昼間から蝋燭を?
>当時の蝋燭は高級品です。
>それだけ秀吉が金を持ってんだと言いたいのかもしれませんが、それにしたってわざとらしい。
>くどいようですが、あんな照明は地震が来たら火災発生待ったなしでしょう。
石川さんが出奔し大坂城に来た時、長い廊下には蠟燭を灯した燭台が灯されています。
その後広間の上座に座す秀吉公と対面しますが、その周りは闇で蝋燭だけが灯されていますので、本音の見えない欲の底が知れない相手との闇の中での対面に臨む石川さんの心象も投影した演出と思われます。
光のあまり射さない暗がりの廊下なので灯りを灯すのは変ではないし、幅の広い廊下の両脇に並べて置かれた燭台と行燈には高価な蝋燭が灯り、関白・羽柴秀吉の財力をわざわざ見せつける仕様になっていると思いますが。
あと貴方は常にいつ来るか分からない地震や火災を恐れて火元になるようなものを排除し続ける生活をしているのですか?
戦国時代、現代の様な照明器具はなく皿に油を入れ紐に火を灯したり場合によっては高価な蝋燭くらいしかありませんが。

『どうする家康』より
『どうする家康』より

・どうなったんだ!上田合戦は??

>近年の大河ドラマでやったイベントはすっ飛ばす。
>そんな方針があるような本作ですから、上田合戦も中身はすっ飛ばされました。
>まぁ、どうせ描いたところで『真田丸』には遠く及ばず、仕方のないことでしょう。
徳川方から視点の上田合戦ですから描写ポイントは沼田問題への介入と羽柴家による真田の懐柔、大坂城での秀吉公の権勢を目の当たりにした石川さんの心の変化です。
結果として徳川は惨敗を喫し、ほうほうの体で上田から戻ることになりました。
作中では傷だらけの彦さんが甲冑姿のまま報告に上がっていました。
『描いたところで『真田丸』には遠く及ばず』というなら結果は真田丸を見れば明々白々でしょう。
何故描写ポイントや人物視点が作品によって違うのに比較して劣っていると馬鹿にするのでしょう?

>そして予告で旭姫とラブコメをしているところで、これの何が戦国時代か?と絶望した方も多いと思います。
石川さんが出奔してなお臣従を拒む徳川家に追い打ちをかけるように秀吉公が政略結婚として妹の旭さんを送り込み婚儀が行われる場面が予告にあるんですが。
於大さまも『おなごは男の駆け引きの道具ではない』と叱っており、どこがラブコメの空気でしょうか?

・どうする歴史意識?

>たとえば来週の旭姫もそう。
>彼女と家康の結婚は、年齢的に名目的な儀式であり、実際の夫婦関係は無かったと見なされる。
>それが歴史的見解の「常識」であり、自然な見方でもありましょう。
>しかし、それだと「シン・」にはなりません。
>だからこそベタベタとした展開になったりするのでは?
>こうした認識の持って行き方は“斬新”などではなく、むしろ“手抜き”でしょう。
>単に逆を取っただけ。
まだ相関図とキャラ紹介と次週予告しか出ていない状態で勝手に妄想してそうに違いないと憤慨しているだけですね。
歴史上時系列では第一次上田合戦の3か月後、石川さんが出奔、6日後に秀吉公が真田家宛てに徳川征伐を示唆する書状を送っておりその10日後の天正13年11月29日に天正大地震が発生。
旭さんの輿入れは天正14年(1586年)5月です。
なので次週予告の地震発生時に寝所で共寝をしているのは旭さんではなく於愛さんかと思います。
まずは物語を見てから判断すべきところを妄想でしかないのだから批評でもなんでもなく、話になりません。
何が歴史的見解の「常識」ですか?

『どうする家康』より

>しかし、歴史用語として考えた場合の「プリンス」は、日本であれば皇族に該当するはず。
>もうこの時点で誤用が甚だしい。
芸術・スポーツなど特定の分野で他人の目を惹きやすいものの中でその技能が優秀であることに加えて若く、容姿や言動の面で特に魅力的な人物を『〜界のプリンス』『~王子』と呼ぶことがありますが。

・どうする信頼感?

>これは何も視聴者だけでなく、演じる側もそうなっているようで、今週やたらと長かった石川教正のラストシーンは、アドリブだそうです。
>思い入れのある人物のセリフをアドリブにするというのは、通常ならばまず考えられないでしょう。
>脚本が役者さんに信じられていないか。
>あるいは、よほど中身がなかったか。
長野県・松本市の公式YouTubeチャンネル「松本のシンカ」での松重さんと松本市長の対談記事のリンクが張られていますが、それによると話題がドラマ内ではまだ放送していない石川数正の出奔に及び、松重さんは『そこ(出奔)に至る経緯というのは、松本(潤)くんと2人で話して1年間一緒にやってきた。松本家康と松重数正が出奔せざるを得ない状況というものをリアルに追求した結果、ああいう形になった』と撮影を振り返りました。
また、出奔した後の最後のセリフは本来書かれておらず、アドリブだったそうで、『僕はその一言に家康に対しての愛情を込めに込めて、全ての思いを込めたっていうくらい。ただ、それを聞きようによっては裏切り者だと思う人もいらっしゃるかも』と視聴者によって解釈が異なる可能性も示唆していらっしゃいます。
そのセリフが実際にOAされるかは分からないとの事から現場では監督の裁量で演出が決められそこで松重さんが家康さまへの石川さんの愛情を込めた結果発露された言葉と捉えた方が自然だと思います。『松本潤家康とどういう別れ方をしたかなって2人で一生懸命シュミレーションした結果が33・34回の放送回』だそうです。
自論にとって都合の悪いところは切り取り一切紹介せず、勝手な憶測でものを言い叩くのはライターとして不誠実だと思います。

松重豊、「どうする家康」石川数正のラストシーンに言及「本来書かれていなかったセリフをアドリブで言った」 - サンスポ (sanspo.com)

サンスポ (sanspo.com)

>別の出演者は、自身のSNSでこう書き込んでいました。
>「(劇中での)台詞は台詞ですので苦情は受け付けておりません!」
>なぜ、そんなことをSNSでわざわざ但し書きしているのか。
>誰かから「おかしい」と言われることを想定していないと、そんなこと発表しませんよね。
貴方の様な相手が反論してこないと分かった途端に人の気持ちを勝手に代弁して切り取り記事を書き、執拗に他人の容姿や演技や服装を論い誹謗中傷してくるような輩から守るために予防線を張ったとは考えられないのですか?
役者さんも一人の人間です。

・落ち込んでいくばかりの信頼感?

>秀吉の発言が向けられたのは、あくまで「徳川軍」です。
>罵詈雑言の看板を立てた徳川軍に対し、秀吉が「どうしようもない連中だ」と罵り返したわけで、もしも秀吉の発言が肯定的に捉えられるなら、表向きは徳川軍の連中がどうしようもないということになる。
>SNSでのアンチを叩きたいあまり、主人公側をぶん殴るとは、あまりに筋が悪い。
>そして、今まで散々秀吉を貶めるような描写をしてきたドラマの制作者も、批判される側になるでしょう。
>作り手の自己批判だったのでしょうか?
なぜ主人公サイドをぶん殴るのが筋が悪いのですか?
主人公サイドは常に絶対正義と言えますか?
ドラマ作中の秀吉公への罵詈雑言高札のモチーフになった小平太さんの十万石の檄文の逸話は新井白石の『藩翰譜(はんかんふ)』によるものです。
小牧・長久手の戦の折、能筆家で知られた榊原康政公は秀吉公による織田家の乗っ取りを非難する檄文を書き、これに激怒した秀吉公は『榊原康政の首を獲った者には10万石を与える』という触れを出したという逸話です。

それ羽柴秀吉は野人の子、もともと馬前の走卒に過ぎず。
然るに、信長公の寵遇を受けて将師にあげられると、その大恩を忘却して、子の信孝公を、その生母や娘と共に虐殺し、今また信雄公に兵を向ける。
その大逆無道、目視する能わず、我が主君源家康は、信長公との旧交を思い、信義を重んじて信雄公を助けんとして決起せり

新井白石『藩翰譜』
榊原康政公檄文

小牧・長久手の戦では徳川軍と羽柴軍は互いに城に陣取り睨み合いをしている敵同士です。
大軍をまとめ無駄な動きのない羽柴軍。
『秀吉が怒りに我を忘れしくじるかもしれん』と徳川軍総出で悪口を書き連ねた高札を立て言葉戦を仕掛けることにしました。
かくして高札が立てられ、それを見た秀吉公は激怒し高札を叩き割ります。
『散々秀吉を貶めるような描写をしてきたドラマの制作者』とありますが、作中では元々身分の低い秀吉公はわざと道化を装い織田家の家臣を煽り手を出す者の事をずっと恨み覚えていました。
「わしゃあ~、まっと、まっと、まっとひでえことばっか言われ続けて来たんだで?」とはそういう事を常に忘れなかったから罵詈雑言くらいで動じないという表明だったのでしょう。
清須同盟の折に柴田勝家さんが恐れから尻を蹴り飛ばし秀吉公は『まっとやってちょーだい』と煽っていましたが、立場が逆転し賤ケ岳の戦いで勝家さんは滅ぶ事になります。
秀吉公は『所詮人の悪口書いて面白がっとるような奴は己の品性こそが下劣なんだと白状してるようなもんだわ』と言い、弟秀長公も「徳川は信用を無くす」と同調します。
『SNSでのアンチを叩きたいあまり、主人公側をぶん殴る』とありますが、秀吉公からすれば自分の一番言われたくない出自を論い『野人の子』と叩き、『主家をないがしろにする悪逆非道』と言いふらす徳川軍は『どうしようもない連中』です。
現代で言えば『私のように批判を記す不届者』や『SNSでのアンチ』のようなものですね。
元々秀吉公を怒らせて判断を鈍らせる策なので徳川軍の言葉戦は戦略的に成功したと言えます。
これは戦なのでお互いがお互いの正統性を主張する場です。
『そもそも作り手の個人的な意見を、こうもわかりやすく直接代弁させるのは、制作サイドの力量不足でしかありません。』とありますが、榊原康政公の十万石の檄文の逸話や小牧・長久手の戦時系列に沿って話を展開させ、そこに秀吉公の噴出する『出自コンプレックス』と反論を描いたと思われますが。
どちらが批判される側とかではなく、ドラマの制作や脚本家は徳川軍・羽柴軍両方の視点から言葉戦を描いたにすぎません。
『私のように批判を記す不届者へのカウンターと捉えた意見』『作り手の個人的な意見を、こうもわかりやすく直接代弁させる』と捉えたのは言われてそう捉えてしまう後ろ暗い事があるんでしょうか?

・どうする提灯記事?

>文字数稼ぎのような美辞麗句をたっぷりと織り込む。
>これは確かに、商品を売る文章としては秀逸かもしれない。そんなプロの仕事術に感服しました。
マイナビニュースの木俣冬さんの記事を挙げ、『そんなポリアンナっぷりがすごい』『理解できない感覚』と全否定していますが。
木俣冬さんは『どうする家康』のノベライズを書いておられ、他作品のノベライズやコラムも広く手掛けていらっしゃるライターさんです。
ノベライズ担当という事でひいき目もおありでしょうが、この方は褒め所と言うか褒め方がお上手だと思います。
常に他作品と比較し嫌いな作品をサンドバッグにし、細かな所に中途半端で史料を調べれば分かる様ないちゃもんをつけ、考証の先生に不備を指摘されれば逆ギレし、挙句不祥事を起こしたわけでもない周囲で関連したというだけで連座させて誹謗中傷をするような事がない安心して読めるライターさんだと思います。

◆『どうする家康』杉野遥亮、知性派イメージの榊原康政役を好演! 月代を剃った額も美しく上品(→link

マイナビニュース

>・「無」を旗印にするなんてすごい!
>→戦国武将の旗印ひとつでそこまで褒める、そんなポリアンナっぷりがすごい。
>二男であるから先がないと誘導していますが、当時は乳幼児死亡率が高いし、戦死もするし、二男の将来性が極端に落ち込むのは江戸時代以降では?
徳川四天王の一人・榊原康政公は戦場に於いて『無』の字を旗印に用いました。『無私・無欲の信念』、『無名の一将』など解釈はありますがその意味ははっきりと分からないそうです。
肖像画の背後の旗印の黒丸(日輪だそうです)の下の文字が『無』です。
今川方の吉田城攻めで19歳の榊原小平太は本多平八郎忠勝と共に先手を務め、以後数々の戦で先陣を務めます。
ドラマ作中小牧・長久手の戦で『一番槍』と言っていたのは長久手で池田・森の中入り部隊との交戦の口火を切槍で勝利をあげたからです。それ自体が勇猛な証であると評価されたことから、武士の誉れになったのです。
さて、榊原康政公の来歴と言えば。
榊原家は元々は伊勢・仁木氏の流れをくみ、松平家の家臣・三河国上野城主・酒井忠尚公に仕えた榊原長政公の次男として誕生しました。
つまり松平家の直臣ではなく『陪臣』で松平家中では有力な存在とは言えなかったのです。
榊原家の次男・小平太さんは最初当時の主家であった酒井忠尚公の小姓でした。
酒井公は今川家からも『松平か将監か』という独立したお家だったそうですが、後に三河一向一揆に組したとも言われ、松平家と対立し没落しました。
榊原小平太さんは幼い頃から大樹寺で勉学を好み、字も大変上手かったといいます。
1560(永禄3)年、家康公が桶狭間の戦で撤退するため大樹寺に立ち寄った折、13歳の小平太さんは元康(家康)公の目に留まり、小姓として仕えることになりました。
晴れて松平家の直臣として仕えるようになったのです。
すでに実家の榊原家は嫡男として兄の清政公が継いでおり、1563(永禄6)年~1564(永禄7)年の三河一向一揆で元主君である酒井忠尚公は松平家と対立するようになっていました。
『陪臣の次男坊』である小平太さんにとっては小姓として取り立ててくれた家康公に報い、実力で出世する道が恩返しだったわけです。
家康公の小姓・旗本として初陣した小平太さんは小身故にまともな具足を持っていませんでした。
そこで水野信元公の家来であった友人が餞別に繕いがちぎれた具足を送りました。小平太さんはその具足を付け戦い、これ以後吉例として出陣の時はこの破れた具足を、真っ先に持たせたそうです。
作中でも寄せ集めのちぎれ具足とザルに『無』と書かれた旗指物で出陣していました。
初陣を飾った小平太さんは家康公から『康』の字を賜り『康政』と名乗る様になります。
ドラマ作中では「ここまで出世し、長生きできるとは思っておりませんでした」と陪臣の次男坊という低い身分から家康さまに取り立てられ、前線で戦いながらも生き延び名を貰い出世までさせてもらえた事を感謝していました。(第31回)
康政公が十万石の檄文で『信長公の寵遇を受けて将師にあげられると、その大恩を忘却して』と主家をないがしろにし始めた秀吉公を糾弾したのは主君の家康公の恩義を忘れなかったのもあるかもしれません。

榊原康政像
重要文化財 東京国立博物館所蔵

>この記事のキモは、13歳の子役を妖艶だと見なしてもいいと、読む側にアリバイを与えることだと思えます。
>人間の叡智として、ただのゲスエロ欲求をコーティングするというものがあります。
>たとえば『金瓶梅』のようなえげつないポルノ。
>あれは最後に主人公が頓死します。
>それでこういう言い訳が通る。
>「エロい生活をすると死んでしまう。そういう教訓があるんだなぁ」
週刊誌の下記あらすじを読む限り、どのネット記事も大体同じ記述があるのでドラマを視聴した上でのあらすじと思われます。
茶々さまはまだ14歳ながら『浅井の血筋を残す』というお市さまの宿願を受け継ぎ、父や母を奪われた恨みや旧交がありながら援軍さえ出してくれなかった家康さまへの恨みを持ったまま、羽柴の陣へ降りました。
出自コンプレックスから織田の血筋を取り込みたい秀吉公と利害が一致した瞬間、『この男を利用する』と覚悟が決まったのか秀吉公の手を取り彼が一瞬たじろぐほどの凄みを持った笑みを浮かべるのですが。
戦国時代、10代前半で政治闘争に巻き込まれ母を討った敵に庇護される事を受け入れるのは並々ならぬ覚悟だと思います。
白鳥さんは戦国時代の同年代の女性の覚悟をうまく演じていたと思います。
お市さまと三姉妹のやり取りを見たうえで『性犯罪』『小悪魔少女』と侮辱し、『ただのゲスエロ欲求』『えげつないポルノ』と性的な目線でしか見られないのはどうかと思います。
「このエロい子役は後半のキーパーソンだからね。私は別にエロい気持ちで興奮しているんじゃないぞ、ドラマとして考察しているんだ」は貴方の言い訳ですか?

その母に「徳川様は噓つき」と反発した三姉妹の長女の茶々(白鳥玉季)は別れの時、母に抱き着き、自らが「天下を獲ります」と言い切る。そして、母と義父を討った憎い秀吉の前で妖艶にほほ笑み、その汚れた男の手をとる…。

夕刊フジ

◆【後半戦「どうする家康」キーパーソン】市と茶々 助けに来なかった家康に母娘は何を思うか 期待通りの存在感の北川景子、妖艶にほほ笑む白鳥玉季(→link

夕刊フジ

>一言だけ言うなら「しょーもな!」でしょう。
>こんな安っぽいBL展開でしか数字を狙えないドラマとは一体なんなのか。
>本当に大河ドラマなのか。
『週刊現代』の記事を挙げていますが、記事内でインタビューに応じるNHK関係者とは実在の方なのでしょうか?
単なるゴシップ記事を貼ってさも危機感がある様に煽っているだけでは?
実在なのならまだ放送もされていない公表されていない情報を我が事のようにベラベラ話しているのは守秘義務違反になると思いますが。
こちらが『しょーもな!』と言いたくなります。
槍の稽古をするのに男性が上半身もろ肌脱ぎになる事や家臣が相撲を取る事がBLとは?
男性が一人槍の稽古をしたり、家臣と武芸の稽古をすることが『男性同士の性愛を描く事』に当たるのでしょうか?
ふんどし一丁ではありませんが『おんな城主直虎』でまだ小姓時代の井伊万千代が伽のために『新しいふんどしを持て!』と高らかに叫ぶ場面がありました。
井伊直政は『容顔美麗にして、心優にやさしければ、家康卿親しく寵愛し給い』との記録もあります。(『徳川実紀』)
『甲陽軍鑑』には『万千代(直政)、近年家康の御座を直す』とあり、『御座を直す』とは主の伽の相手の隠語なのだそうです。
『どうする家康』の直政はすでに元服して将としての働きをしていますので小姓としての伽があるとは思えませんが。
戦国時代の武家社会では男色や衆道の嗜みも存在し男色を好む上司・主君への奉公による主従関係の強化や『出世の手段』となる事もありました。

岡田信長×松本家康では、「耳齧り」や「ほっぺたつねり」といったシーンが見られたが、今後はそれを超える見所が用意されているという。

「山田(本多)が上半身裸となって槍の稽古をする、杉野(榊原)が家臣と相撲を取る、といった演出プランがあると聞きます。松本家康の相手役になるのは、おそらく板垣(井伊)でしょう。美男子の井伊が、風呂場でふんどし一丁になって家康の背中を流すというシーンが今後の見せ場になるそうです」
(NHK関係者)

週刊現代2023年8月26日・9月2日合併号より

◆『どうする家康』が放送開始以来の大ピンチ…「BL展開」しか逃げ道がない「ヤバすぎる事情」(→link

週刊現代

・桃李成蹊?

桃李もの言はざれど、下自ら蹊を成す。『史記』
意訳:
桃やすももは何も言わないが、花や実を慕って人が多く集まるので、その下には自然に道ができる。
徳望のある人のもとへは人が自然に集まることのたとえ。

「史記」李将軍伝賛

この項では『会津藩公行列』二十年連続で参加される綾瀬はるかさんや『信玄公まつり』に参加される冨永愛さんの話題が引き合いにされています。
改めましてお二人おめでとうございます。

>なぜ大河ドラマが回避されたのか。
>あらためて考えていて浮かんできたのが脚本家の得意とする描写手法です。
>『どうする家康』にせよ『コンフィデンスマン』などにせよ、この脚本家については「二転三転する展開で視聴者が軽妙に騙される」といった趣旨の文言が必ずのようについて回ります。
>徳川家康はむしろ誠実さが売り物です。
(中略)
>秀吉だって、死を前にして、家康に秀頼を託しています。
>実際の内面はともかく、誠意ある人物に思われていたのでしょう。
>そういう人を主人公にして、どうして、軽妙に騙すのが得意な脚本家に依頼したのか?
その晩年の秀吉公がたった一人の我が子である秀頼公を託した内府・家康公は豊臣家中の内部抗争を利して子飼いの諸将と婚姻関係を結んだり手を結んで味方につけることに成功し、関ヶ原で石田三成公率いる西軍を破る事になります。
そして自ら将軍となり幕府を開き大坂の陣で軍略と権謀術数を駆使して大坂城に籠る豊臣家や戦国のあだ花・浪人衆などを滅ぼすことになります。
もっともそこに行きつき、『この世の浄土』を作るまでに強敵との戦や騙し合いや心理戦で何度も辛酸をなめてきたりしているのですが。
小牧長久手の戦のように戦に勝っても政治力や総合した財力の差には勝てず、面従腹背の場合もあったでしょうし。
決して『誠実さ』だけでは戦国の覇道を生き残る事は出来なかったと思います。

>そんな不誠実なドラマのもとには綺麗な花も咲かないし、美味しい実もならない。
>騙されて近づくと造花がつけてあって、実はただのハリボテ。
>しかも蜂の巣が仕掛けてあって、逃げ惑う羽目になる。
>それを「斬新だ!」「シン・桃李成蹊だ!」「ただの桃とスモモじゃつまらないでしょw」と木の周りにいる連中がニヤニヤと笑いながら見ている。
>せっせと小道をわざとらしく作り、そんな罠のある木に近づけようとするものもいる。
>「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と嘲笑う者までいる始末です。
貴方の言っている事が全く分かりません。
「斬新だ!」「シン・桃李成蹊だ!」「ただの桃とスモモじゃつまらないでしょw」「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と誰がどこで言いましたか?
そもそも沼田問題絡みで羽柴と接触した真田昌幸公が信州の地の物で旬だからとスモモを齧り、それを裏で糸を引いていると示唆するように秀吉公が口にしていた場面があっただけで、誰も『シン・桃李成蹊』などと考察していないのですから。
貴方が脚本家を嫌うのは結構ですが、家康公の紆余曲折・重き荷を背負った人生まで捻じ曲げ、誰も言っていないのに『徳川軍の罵詈雑言に対する秀吉公の反論は作り手の自己批判』「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と嘲笑う者までいるとあらぬ妄想で憤慨し、持論を展開するのは歴史系ライターとして不誠実です。
貴方の嫌いな秀長公の言うように信用を無くします。

コメント欄も拝見しましたが。

>相手の財力も知らずに戦を始めた?
>どこのバカ集団でしょうか
>財力は武器の質、量、兵の数(兵の食糧が必要なので)を大きく決定します
>それに、自分の目で見なくてもその種の情報をきちんとアップデートするために情報収集集団である「忍び」がいます
>半蔵や伊賀者は、一体何のために雇われ、何の仕事をしているのか
とありますが、小牧・長久手の戦の直後に徳川が総大将とした織田信雄公が秀吉公の調略による自領の内乱や造反のため『伊賀と南伊勢・北伊勢の一部の割譲など』を条件に家康公に無断で和議を結び、養子(と言う名の人質)として庶子の於義伊を羽柴家へ送ったのは事実です。
信雄さまが先に和議を結んだので徳川は大義を失っており、(これは酒井さんが憤る若手家臣団を窘めています)また石川さんが大坂での財力や権勢を目の当たりにし戦を思いとどまり和議を結ぶことを提案しますが、主戦派の多い家中で孤立していきます。
なので『相手の財力も知らずに戦を始めた?』は間違いで秀吉公とは和睦はすれども臣従はせずの状態です。
しかし真田家は所領であった沼田を家康さまが北条にやってしまったという因縁があり、そこに秀吉公が介入し第一次上田合戦が勃発します。
この戦は鳥居元忠公、大久保忠世公、平岩親吉公らが率いる約7000の兵が上田に派遣されますが、徳川軍の惨敗に終わります。
『自分の目で見なくてもその種の情報をきちんとアップデートするために情報収集集団である「忍び」がいます』とありますが、正式な名代として石川さんが大坂に派遣されています。
服部半蔵さんや伊賀者はこの戦には参加していません。
大名家に金で雇われた忍びは主の命がなければ動けません。
出撃命令がないのだから待機中です。

今でも観れる水戸黄門の再放送、どのシリーズでも、
>まず旅籠に着いたら足を洗う、もう常識で毎度お馴染みの場面です。
>このようにさり気無く、私達は時代の空気を学んで来ました。
画像確認する限り自宅玄関の上がり框に座る石川さんの傍らに水桶が置いてあり、石川さん自身は草鞋を脱いで手ぬぐいを手にしており、飲み水を差しだす場面があります。(上記『帰宅したらどうする?』参照)

>丁度本能寺の変のあたりまでだったので、
>今年は岡田准一主演「織田信長」と割り切る事にしました。
>あれ以降観ていません。
ドラマを見ていないのに貴方はコメントを書き込みに来て同調しているのですか?
レビューに迎合して同調コメントを残す前にきちんと歴史事件の流れを調べたりドラマ内容を見たりしてからコメントするとツッコまれない内容のあるコメントができると思います。


※何かを見た氏も『意見を送ってみましょう』と仰っているのでファンの皆様で応援の言葉や温かい感想を送ってみてはいかがでしょうか?

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