見出し画像

竹下幸之介&ビリーケン・キッドvsHUB&上野勇希

2020年10月18日



この日、DDTプロレス ドラマティック・ドリームズ!Vol.7~留め置かまし 大和魂~が開催される。我らが松井幸則レフェリーの自主興行である。

言わずもがな私はとてつもなく松井さんにはお世話になっていて、毎大会松井さん興行では恩返しの気持ちも持って試合をしようと心がけているものの、いつも私がその時必要且つ、ノスタルジックな夢を見させてくれるカードを組んでくださるので気付いたら自分自身の為にしか闘っていない。たぶん、それでいいんだと思うのだけど。

毎年、1年に1回。私にとってご褒美のようなカードを組んでくださるのですが、そこから発生するモチベーションというか、エナジーがDDTプロレスリング 竹下幸之介としてのガソリンになり走り出すことができて、試合が終わった頃には来年はどんなカードを組んでくれるのかなぁ?なんて、思ってしまう。欲張りだ。しかし、プロレスラーは煩悩の塊だから仕方がない。

今年はダブルメインイベントの1試合として私のカードが決まった。


チームWRvsザ☆竹ビリー スペシャルタッグマッチ~紡~
竹下幸之介&ビリーケン・キッドvsHUB&上野勇希


それぞれに異常なほどの感情を私自身が抱いており、今回は煽りVTRやインタビューで語る機会がないので、この場を使って伝えられたらと思います。


HUBさんについて

幼少期の頃から、プロレスは見るのが好きで、時に父とプロレスごっこなどをするのが好きだったが、プロレスラーになろうとまでは思っていませんでした。
私が本格的にプロレスラーを目指したのは小学生低学年の頃。当時はWWEにハマりたての頃で、竹下少年の憧れの的は“凶獣”クリス・ベノワ。小さな身体で大きなヘビー級レスラーを3連発ジャーマンでバッタバッタと投げ倒し、首を掻っ切るアピールからのダイビングヘッドバット、痺れるタイミングで決まるクリップラークロスフェイス。当時から竹下少年は小学生の平均身長を大幅にオーバーしており、デカい小学生としてテレビに取材されたりしていて、本来ならばビッグショーに感情移入をするのが筋なのですが、そのベノワのファイトスタイルに毎週心が撃たれまくり。

父と弟と唯一見に行った、WWE大阪公演もメインイベントがクリス・ベノワvsHHHで運命を感じました。



しかし、2007年6月24日。クリス・ベノワはこの世から去ります。




私の夢は“プロレスラーになって、クリス・ベノワとWWEのリングで闘うこと”だったので、その対戦相手と闘うことが叶わなくなってしまった事。大変落ち込みました。
しばらく学校も休んで、何かをすることもなく、ただただ生き甲斐をなくしていました。たかが小学生の一時的なものではなく、今思い返すとなかなか深刻な状況だったと思います。



そんな竹下少年がカムバックするのに、とてつもなく長い時間はかかりませんでした。しばらく、観戦から離れていた大阪プロレスに足を運ぶとそこにはスーパー・ドルフィンからゼロ生まれ変わった、HUBさんがバッドフォースとしてリング上で大暴れしていました。


その時見た技のアイデア、切れ味、受け身の一挙手一投足まで完全に虜になりましたね。とにかくすごかったんです。今もすごいんですが。元々、スーパー・ドルフィンの頃には、私が在籍していた大阪プロレスのプロレス教室の先生も務めてくださっていたので、小学生の私にも受け身などは細かく教えていただいた記憶があります。(それまでのタイガースマスク&ペロのプロレス教室から、ちょっとスパルタ教室になったのは何度も話していますが。)


いつからか、私の夢は
“ プロレスラーになって、ゼロと闘いたい ”


になっていました。


その夢も松井さんに叶えてもらうことになります。


2016年5月22日。えっ!もう4年以上前ですか。書いてみてその月日の経過に驚愕してしまいました。
この試合に関しては様々な感情が複雑に入り交じって、言葉にすることが難しいのですが、私の夢はプロレスラーになることではなく、ゼロと闘うことまでが夢だったので試合後は子供の頃からの夢が叶った達成感と安堵で涙が溢れてしまいました。


だけど、今だから言えるのですがこの試合は決して満足がいくものではなかったのです。それはたぶん、HUBさんも同じだったかもしれません。


その時試合は気持ちを全身全霊でぶつけていく試合になりました。とにかく感情のままになりふり構わず。あの試合はそれで良かったんだと思います。どんなシチュエーションや、誰が対戦相手でももう二度と、あのような試合は出来ないと思うので。一生に一度の試合でしたね。ただ、試合から月日が経つにつれて、もっとこうしたかった、あれもできたし、まだまだできた。そんな風に思うことはほとんどないのですが、少しずつ悔やまれる気持ちが出てきてしまいました。


でもプロレスは一発勝負の世界だと自分には言い聞かせているので、もう過去に縛られず前を向いて突っ走るのみ!そう言い聞かせていました。



それからしばらくしてHUBさんが開催されている毒人興行で、HUBさんにとって神レスラーであるディック東郷選手と対戦されるんです。その試合後HUBさんが
「悔しい。実力を出し切れなかった。」というコメントをされていて、ゼロと闘った時の自分と同じだ!と思ったんです。


それから、毒人興行で納得がいくまで、そして自分の神が見ている景色を一緒に見るまで何度も再戦します。

ずるい!ずるいよー!!

いつもそう思ってしまってました。(すみません…)

だって、やれることなら竹下だってHUBさんとまた闘いたいもん!もうーーー!!




そして4年かかって、再びマッチアップすることができることに。HUBさんも進化しているのは最近の試合で見てるだけでもわかります、でも竹下幸之介のこの4年間もなかなか半端ないですよ。


KO-D無差別最多防衛記録、vs石川修司、vs仙女、vs青木真也、vsCIMA。ここには書ききれないほどのターニングポイントがありました。


そして、今は秋山準のプロレスを闘うことを通して学んで吸収しています。


それらをぶつけるのが楽しみであり、ゼロではなくHUBとは初対戦になるので何をぶつけてこられるのかも楽しみでなりません。



ビリーさんについて


今回パートナーはビリーさんこと、ビリーケン・キッド。ビリーさんもプロレス教室の時からお世話になっています。小学生だった私を、大人の部の練習にも参加させてもらい、プロレスの難しさ、おもしろさを教えてくださいました。ビリーさんがめちゃくちゃ頭が固い人で、大人の部に混ざらせてくれてなかったら、もしかしたらプロレスラーになってなかった…なんてことも…。

ビリーさんとの初対戦は去年のDDT大阪大会でタッグマッチながら実現しました。嬉しかったです。

今回初タッグを組むわけですが、ザ☆竹ビリーとチーム名ができてますね。これは大阪プロレスファンの方々にはすぐにピンと来ると思いますが、2003年?から2004年?に大阪プロレスを一世風靡したザ☆虎ビリーからきています。当時のタッグフェスティバルとかめちゃくちゃ好きで(映像が見たいです)、虎ビリーが優勝した時にセカンドロープとトップロープに足をかけてポーズを取っていたのがカッコよくて、よくマネしていました。
竹ビリーで勝てたら一緒にやりたいです。


2011年1月23日。ビリーさんの初の自主興行が豊中であったのですが、まだ中学3年生の僕はチケットを買って見に行きました。メインイベントはビリーケン・キッドvs怪人ハブ男。この試合は生涯忘れられないファン竹下としてのベストバウトになるのです。


残念ながら映像化はされていなくて、今もう一度見ることなどはできませんが、試合展開や技の攻防はもちろんのこと、観客にはわからない感情がぶつかり合うリング上に竹下幸之介は釘付けでした。



今回はその2人の闘いの中に、そのまま入る。なんてことはできないのだけど、なにか空間を共有することができること自体有り得ないことなのに、それができてしまうのがプロレスの懐の深さなわけでして。人生に大きな影響を与えた映画のフィルムの中に入って、そこに自分も登場するようなそんな感覚。


あと個人的には勝手にビリーさんのコウモリ吊り落としを誇張したオリジナル技、コウモリ吊り落としぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!なんて技もここぞと言う時には使用させていただいておりまして、公認をいただけるか当日は交渉させてもらえたらと思っている次第であります。


上野勇希について


言わずもがな咲くやこの花高校の同級生でして、同じクラスになったことはないのだけれど、昼休みの食堂とかでは一緒に飯を食ったりするグループが同じで。でも、当時はそんなにしゃべったことはなかった。たぶん。
あまり目立つタイプではなくて、高校から器械体操を始めたレアキャラっていう認識しかなくて、なのにいつからか一緒にジムに行くようになったんですよね。何がきっかけだったのか全く覚えてないんですけど、急に話すようになったような。
ジムで顎関節症になるくらいデッドリフトで追い込んだり(それは違うやつだっけ?)、段々変なやつやなーって思うようになったと思ったら、プロレスラーになりたいんやけどどうしたらいい?って相談されるようになりました。


当時の勇希は自転車屋でバイトしていて、準社員的なポジションだったので、将来はこのまま自転車屋さんとして成り上がっていくんだなと思ってたんで、相談された時は驚きました。なので、とりあえず某メジャー団体に履歴書を送らせたんですけど、たぶん身長が足りないとかで落とされて、その翌年もダメだったんですね。なので、DDTに履歴書を送るように言いました。


もちろん裏口入学的なのは本人も望んでいないと思ったので、同級生であることは誰にも告げず
「履歴書に咲くやこの花高校って書いてあるんだけど知ってる?」
って聞かれても知らないフリして。


勇希の入門テストの日は成人式があって、私はテストの様子を見れてないんですけど、その日も試合があったので会場入りするとレスラーが皆口々に
「竹下幸之介の同級生です!」
っていうやつが来たぞ。って。

「いや、すぐ言うんかい!」
って思わずツッコミましたけど、テストの成績もかなり優秀で満場一致で合格でした。



その頃はDNAとかもあって、若手や練習生が多かったので勇希だけ特別扱いみたいに思われてしまうと損してしまうと思ったので、デビューするまでの練習生期間は挨拶以外、一言も話さなかったです。



その後デビューしてぐんぐん成長して、持ち前のトンパチっぷりを発揮しながら、今に至るわけなんですけど勇希は私の試合の応援に来るまではプロレスを知らなかったので、DDT以外の選手とか試合とか全然知らなかったんですね。そこで彼が行き詰まってたので、自称プロレスソムリエの私が今見るべき試合をチョイスして見せました。


たしか、それが覆面ワールドリーグ戦の


獣神サンダーライガーvsビリーケン・キッド

でした。それでビリーさんに興味を持つようになって、たぶん勇希もビリーさんのようなプロレスラーは自分が目指すべきところだ。と思ったんじゃないでしょうか。
それから私が見せられるビリーさんの試合をとにかく見せたので、必然的に大阪プロレスの試合を見るわけです。
そこで彼の目に新たに留まったのはスーパー・ドルフィンでした。


当時のHUBさんはスーパー・ドルフィン時代にしか使っていない技が結構あって、そのひとつがWRですね。噂によるとビリーさんはこのWRを喰らって、大変なことになったそうです。


これが上野勇希がWRという名の恐ろしすぎる必殺技を身につけるまでの物語なのですが、こう振り返ると竹下幸之介、上野勇希、HUB、ビリーケン・キッドという4人のレスラーはまるで運命共同体のような、“因縁”ですよね。


仏教でいうところの因縁という教え、つまり絶対にこの世の全てが「因」と「縁」の結果からきていると考えると、この世のすべては原因と結果がある。





HUBさんとビリーさんがすごい試合をしていた。それを見た竹下幸之介は憧れて、こんなすげぇプロレスラーになりたいと思った。そして、プロレスラーになった。それを見た上野勇希がまたプロレスラーになりたいと思った。プロレスラーになって、HUBさんやビリーさんのプロレスが好きになった。2020年10月18日、この4人が1つのリングで対角線に立つことになった。





これはプロレスが起こす、奇跡の必然なんです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?